7月, 2015 - 平和外交研究所 - Page 2
2015.07.22
そもそもギリシャの混乱は、欧州各国がリーマンショック以来の金融危機から脱しきれないでいた2010年1月、欧州委員会がギリシャの統計上の不備を指摘したことから始まった。それまでは、ギリシャの財政赤字はGDPの4%程度と発表されていたが、実際は13%近くに膨らみ、債務残高は国内総生産の113%にのぼっていた。要するに粉飾報告されていたのである。
この問題が明るみに出た時の首相はゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ(全ギリシャ社会主義運、PASOKの党首)。2009年の総選挙で保守系の新民主主義党NDを破って政権について間もない時のことであった。NDは1970年代の初めに軍事政権が倒れて以来、PASOKと並んでギリシャの政治を担ってきた政党である。
統計問題の指摘後、国債、株価が急落するなかでパパンドレウ首相は2010年4月、EU(ユーロ圏諸国)などに対し金融支援の要請に踏み切り、第1次および第2次支援策(それぞれ2010年5月、2011年7月)をまとめた。
しかし、緊縮政策に起因する不景気、失業率の増大が引き続き、国債の償還満期の延期や利息の引き下げ、対外債務の減免などで対応しようとしたが混乱は収まらず、政治は不安定化し、パパンドレウは退陣した。
2012年5月の総選挙ではNDが雪辱した。党首のアントニス・サマラスは組閣に取り掛かったが成功せず、1カ月後に再選挙となり、NDが再度第1党となった。今度はPASOKなどと連立政権樹立に成功したが、PASOKはもともとNDのライバル政党であり閣外協力にとどまったので、サマラス内閣にとっては基盤の弱い門出となった。
アレクシス・チプラスが率いる急進左派連合(SYRIZA)はこのころすでにかなりの勢力となっており、2012年の選挙では第2党であった。サマラスが政権樹立に失敗した場面ではチプラスが大統領から組閣を要請されたこともあったが、実現には至らなかった。
チプラスは学生時代から政治運動に関わってきた共産党員であり、チェ・ゲバラの崇拝者である。首相に就任する際にも伝統的なギリシャ正教式の宣誓式をしなかった。公式の場でもノーネクタイを貫いている。
2015年1月の総選挙でSYRIZAが第1党となりチプラス政権が生まれ、EUなどとの再交渉に臨んだが、EU側の態度は硬く、あくまで緊縮案の受け入れをギリシャに迫った。チプラス首相は国民の意思を背後に再交渉に持ち込もうとし、各国の反対を押し切って7月5日に国民投票を行なった。その結果、緊縮案に対する反対は61.3%に上った。
しかし、ユーロ各国はきびしい態度を崩さなかった。交渉が決裂すると債務不履行に陥り、ユーロ圏からの離脱を迫られるので筋金入りの左翼主義者であるチプラス首相としても譲歩せざるを得ず、7月13日、ユーロ圏首脳会議はほぼ当初案通りの内容の支援策につき合意した。
これまでの経緯を振り返ると、いくつか注目される点がある。
第1に、7月5日の国民投票であり、チプラス首相は国民投票で多くに国民が緊縮案に反対すれば再交渉は可能と本当に考えていたのか疑問が残る。表面的にはまさにそれが国民投票の目的であり、投票前にはチプラス自身、国民にノーの意思表示をするよう呼びかけていた。しかし、それまでのEUの厳しい姿勢にかんがみると、それは楽観的に過ぎる期待であり、再交渉はしょせん困難と判断すべきでなかったか。
第2に、チプラス首相が飲まされた条件は従来から提示されていた緊縮策と同じであり、しかも、付加価値税の引き上げなどについては2日後の15日までに法制化することを条件とされるなど格段に厳しくなった面もあった。チプラスは債務の減免を獲得できるとギリシャにとって有利な面を強調しているが、合意全体を見ると、結局無条件降伏に近い敗北となったのではないか。
第3に、従来からチプラスとSYRIZAを支持してきた低所得者層のなかでチプラスの大幅譲歩に幻滅し、今後は支持しなくなる人たちが出てくるのではないか。そうなれば、今後の政権運営は困難になる。
第4に、1970年代からギリシャの政治を担ってきた左翼系のPASOKと保守系のNDに加え、厳しい内外の環境下でのしてきた急進的左派勢力であるSYRIZAも今後のギリシャ政治の新たな核となる印象もあったが、今回の結末を見るとSYRIZAにはたしてそのような力が備わっていくか疑問である。
ギリシャ支援と政治変化
ギリシャとユーロ圏諸国が財政・金融支援(第3次)について合意したのは喜ばしい。しかし、これでギリシャの危機が解決したのではなく、経済成長、財政、金融、対外債務の支払いなどをめぐる状況は依然として厳しく、さらなる支援が必要になるかもしれないと言われている。前途はまだまだ多難なようだ。そもそもギリシャの混乱は、欧州各国がリーマンショック以来の金融危機から脱しきれないでいた2010年1月、欧州委員会がギリシャの統計上の不備を指摘したことから始まった。それまでは、ギリシャの財政赤字はGDPの4%程度と発表されていたが、実際は13%近くに膨らみ、債務残高は国内総生産の113%にのぼっていた。要するに粉飾報告されていたのである。
この問題が明るみに出た時の首相はゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ(全ギリシャ社会主義運、PASOKの党首)。2009年の総選挙で保守系の新民主主義党NDを破って政権について間もない時のことであった。NDは1970年代の初めに軍事政権が倒れて以来、PASOKと並んでギリシャの政治を担ってきた政党である。
統計問題の指摘後、国債、株価が急落するなかでパパンドレウ首相は2010年4月、EU(ユーロ圏諸国)などに対し金融支援の要請に踏み切り、第1次および第2次支援策(それぞれ2010年5月、2011年7月)をまとめた。
しかし、緊縮政策に起因する不景気、失業率の増大が引き続き、国債の償還満期の延期や利息の引き下げ、対外債務の減免などで対応しようとしたが混乱は収まらず、政治は不安定化し、パパンドレウは退陣した。
2012年5月の総選挙ではNDが雪辱した。党首のアントニス・サマラスは組閣に取り掛かったが成功せず、1カ月後に再選挙となり、NDが再度第1党となった。今度はPASOKなどと連立政権樹立に成功したが、PASOKはもともとNDのライバル政党であり閣外協力にとどまったので、サマラス内閣にとっては基盤の弱い門出となった。
アレクシス・チプラスが率いる急進左派連合(SYRIZA)はこのころすでにかなりの勢力となっており、2012年の選挙では第2党であった。サマラスが政権樹立に失敗した場面ではチプラスが大統領から組閣を要請されたこともあったが、実現には至らなかった。
チプラスは学生時代から政治運動に関わってきた共産党員であり、チェ・ゲバラの崇拝者である。首相に就任する際にも伝統的なギリシャ正教式の宣誓式をしなかった。公式の場でもノーネクタイを貫いている。
2015年1月の総選挙でSYRIZAが第1党となりチプラス政権が生まれ、EUなどとの再交渉に臨んだが、EU側の態度は硬く、あくまで緊縮案の受け入れをギリシャに迫った。チプラス首相は国民の意思を背後に再交渉に持ち込もうとし、各国の反対を押し切って7月5日に国民投票を行なった。その結果、緊縮案に対する反対は61.3%に上った。
しかし、ユーロ各国はきびしい態度を崩さなかった。交渉が決裂すると債務不履行に陥り、ユーロ圏からの離脱を迫られるので筋金入りの左翼主義者であるチプラス首相としても譲歩せざるを得ず、7月13日、ユーロ圏首脳会議はほぼ当初案通りの内容の支援策につき合意した。
これまでの経緯を振り返ると、いくつか注目される点がある。
第1に、7月5日の国民投票であり、チプラス首相は国民投票で多くに国民が緊縮案に反対すれば再交渉は可能と本当に考えていたのか疑問が残る。表面的にはまさにそれが国民投票の目的であり、投票前にはチプラス自身、国民にノーの意思表示をするよう呼びかけていた。しかし、それまでのEUの厳しい姿勢にかんがみると、それは楽観的に過ぎる期待であり、再交渉はしょせん困難と判断すべきでなかったか。
第2に、チプラス首相が飲まされた条件は従来から提示されていた緊縮策と同じであり、しかも、付加価値税の引き上げなどについては2日後の15日までに法制化することを条件とされるなど格段に厳しくなった面もあった。チプラスは債務の減免を獲得できるとギリシャにとって有利な面を強調しているが、合意全体を見ると、結局無条件降伏に近い敗北となったのではないか。
第3に、従来からチプラスとSYRIZAを支持してきた低所得者層のなかでチプラスの大幅譲歩に幻滅し、今後は支持しなくなる人たちが出てくるのではないか。そうなれば、今後の政権運営は困難になる。
第4に、1970年代からギリシャの政治を担ってきた左翼系のPASOKと保守系のNDに加え、厳しい内外の環境下でのしてきた急進的左派勢力であるSYRIZAも今後のギリシャ政治の新たな核となる印象もあったが、今回の結末を見るとSYRIZAにはたしてそのような力が備わっていくか疑問である。
2015.07.17
日本にとってもこの合意は大きな意味がある。核不拡散の観点もさることながら、イラン原油の輸入を再開できるからである。
オバマ大統領は就任以来イランとの対話を重視してきたが、その後の進展は芳しくなく、共和党の保守勢力からは、シリアとの関係、医療改革などとともに批判されがちであった。同大統領の残りの任期が短くなってきている中で、議会との関係では今後も困難な局面が出てくるであろうが、今回の協議成功がオバマ大統領の得点となることは間違いない。
イスラエルとの関係では、ネタニヤフ首相が、四の五の言うイランに対して核協議の成立を待たず直ちに攻撃すべきであるという極論を唱え、また、米議会、とくに共和党との関係を重視し、オバマ政権は相手にしないと言わんばかりの姿勢を取るなどしたため米イスラエル関係は悪化していた。ネタニヤフ首相は今回の合意後も、「歴史的誤りだ」と評するなど相変わらずの姿勢であるが、各国としてはあまりにかたくななイスラエルを支持するのは困難になるはずである。
最近、イスラエルとの関係強化に関心を見せている中国は、今回の協議で建設的な役割を果たしたと言っている(王毅外相)。当然中国としても今次合意を積極的に評価しているのでネタニヤフ首相との付き合いは簡単でないだろう。
今回の協議は2002年の問題発生から数えると13年間かかった。その間のイランの対応を見ると、イランが国際協調的になったと判断するのは早すぎる。今回の交渉の最終段階でも歴史的、政治的な事情に起因する米国への警戒心が表れ、合意達成にブレーキとなっていた。
ロハニ大統領が就任した2年前から本件協議が前進し始めた。協議の最終段階でも同大統領は国内の保守勢力を抑えつつ、対外的に協調的な姿勢を貫くことができた。複雑な状況にある中東で、今後、イランが積極的な役割を果たすことが期待される。
(短評)イランの核協議で合意成立
ウィーンで行われていたイランとp5+1(米英仏露中独)の核協議が、数回にわたる延長の末7月14日、最終合意に達し、イランは今後15年間高濃縮ウランを製造しない、現在保有している低濃縮ウランは大幅に減少する、IAEA(国際原子力機関)の査察は軍事施設に対しても行なう、イランに対する各国の制裁は一部を除き解除する、こととなった。日本にとってもこの合意は大きな意味がある。核不拡散の観点もさることながら、イラン原油の輸入を再開できるからである。
オバマ大統領は就任以来イランとの対話を重視してきたが、その後の進展は芳しくなく、共和党の保守勢力からは、シリアとの関係、医療改革などとともに批判されがちであった。同大統領の残りの任期が短くなってきている中で、議会との関係では今後も困難な局面が出てくるであろうが、今回の協議成功がオバマ大統領の得点となることは間違いない。
イスラエルとの関係では、ネタニヤフ首相が、四の五の言うイランに対して核協議の成立を待たず直ちに攻撃すべきであるという極論を唱え、また、米議会、とくに共和党との関係を重視し、オバマ政権は相手にしないと言わんばかりの姿勢を取るなどしたため米イスラエル関係は悪化していた。ネタニヤフ首相は今回の合意後も、「歴史的誤りだ」と評するなど相変わらずの姿勢であるが、各国としてはあまりにかたくななイスラエルを支持するのは困難になるはずである。
最近、イスラエルとの関係強化に関心を見せている中国は、今回の協議で建設的な役割を果たしたと言っている(王毅外相)。当然中国としても今次合意を積極的に評価しているのでネタニヤフ首相との付き合いは簡単でないだろう。
今回の協議は2002年の問題発生から数えると13年間かかった。その間のイランの対応を見ると、イランが国際協調的になったと判断するのは早すぎる。今回の交渉の最終段階でも歴史的、政治的な事情に起因する米国への警戒心が表れ、合意達成にブレーキとなっていた。
ロハニ大統領が就任した2年前から本件協議が前進し始めた。協議の最終段階でも同大統領は国内の保守勢力を抑えつつ、対外的に協調的な姿勢を貫くことができた。複雑な状況にある中東で、今後、イランが積極的な役割を果たすことが期待される。
2015.07.15
安倍首相は、安全保障関係の法整備に関連して、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献する必要があると強調しています。
今回の法整備では、国連平和維持活動法(PKO法)の改正と「国際平和支援法案」が国際貢献の強化について規定しています。「国際平和支援法案」は新規の法案になっていますが、現在は失効しているテロ対策特別措置法(テロ特措法。2001年成立)とイラク人道復興支援特別措置法(イラク特措法。2003年成立)を恒久法(有効期限を定めない法律)にしたものです。自衛隊が海外で活動する点では「重要影響事態法」の場合と類似していますが、「国際平和支援法案」の場合は日本に対する脅威が前提となっていません。
国際貢献は国際の平和と安定のため各国が協力するところに主眼があり、それは本来各国の「自衛」のためでありません。
しかし、日本の場合は自衛隊が海外へ出動することに関する日本国憲法の制約があり、国際貢献も、法的には、「自衛」の枠内で処理されてきました。自衛隊員は、PKOに従事している場合も行動を厳しく制限され、武器は、自らの生命・身体を守るためやむをえない場合、つまり「自衛」の場合以外は原則として使用できず、他国の隊員が危機に瀕していても駆け付けて救助すること(駆け付け警護)などできませんでした。
しかし、これではあまりに不公平であり、改善する必要があると指摘されてきました。今回のPKO法改正案においてはそれを可能とする新しい規定がPKO法第26条として追加され、いわゆる「駆け付け警護」の問題は解決しました。
また、PKO法改正案は、国連が実施するのでない平和維持活動(「国際連携平和安全活動」と名付けられています)への自衛隊の参加を可能とすることを新たに提案しています。PKOは通常国連が主体となって行われますが、そうでなく、数カ国の合意で実施する場合も認めているのです。その場合も紛争当事者の同意が条件となっていることなど基本的な仕組みは国連のPKOと類似していますが、紛争が終了していることは必ずしも条件となっておらず、紛争当事者が「武力紛争の停止およびこれを維持することに合意」している場合もその条件を満たすとみなされています。
国連ではないPKOへの参加を認めることは、紛争により危険にさらされている住民の保護などのために機動的対処できる面があるでしょうが、自衛隊の出動を国連でない機関や国による要請の場合にまで認めると、それらの機関や国と意見が違う国が出てきて、争いになり、自衛隊の派遣が反対される恐れがあります。
また、派遣された部隊が国連の指揮下にないことも、後述する多国籍軍と同様に、自衛隊の派遣について争いが生じ、批判される原因となるおそれがあると思われます。
PKO改正法案はしきりに「いずれの紛争当事者にも偏ることなく実施」することの必要性を述べていますが、国連による自衛隊の派遣でない場合に、どちらの当事者にも偏らないで実施することが困難なことを法案みずから示唆しているように思われます。
国際貢献面での今回の法整備においては、「国際社会の平和および安全を脅かす脅威を除去するために国際社会が国連憲章の目的に従い共同して対処」し、「我が国が国際社会の一員としてこれに主体的かつ積極的に寄与する必要がある」場合が想定されており(国際平和共同対処事態)、国際平和支援法案はその場合の日本の自衛隊のあり方を定めています。これがいわゆる「多国籍軍」の場合であり、紛争は終了していません。
この事態では紛争は継続しており、日本が国際紛争に巻き込まれることを厳禁している憲法に抵触しないか、問題になりえます。
これに対し、国際平和支援法案は、支援として具体的に行う行動の範囲・種類、支援を行なう場所、国連の決議などによって歯止めをかけ、憲法違反になるのを防ごうとしています。
自衛隊が行なう行動としては、捜索救助、船舶検査などとともに、いわゆる後方支援として物品や役務を「共同して対処する国の軍隊(つまり多国籍軍)」に提供することが想定されています。武器について言えば、提供は認められていませんが、輸送は認められています。これらの行動は集団的自衛権の行使として認められているのではなく、「武力の行使」でないとの考えに基づいており、テロ特措法やイラク特措法で認められていました。
後方支援は、武力行使を伴う戦闘行為ではないのは明らかですが、紛争中の当事者から中立の立場で実施することはできない、戦闘している国に後方支援すると、やはり敵対行為とみなされるとも指摘されています。
支援を行なう場所については、「現に戦闘行為が行われている現場では実施しない」と明記されています。これは、支援活動を地理的に戦闘地域と切り離すための規定ですが、複雑な状況である現場においてそれははたして可能か、疑問の余地があります。国際平和支援法の前身であったイラク特措法の国会質疑において、小泉首相が「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域か、日本の首相にわかる方がおかしい。自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」と答えたのは有名な故事ですが、「戦闘地域」と「非戦闘地域」の境界は明確でない、明確になしえないことを雄弁に語っているように思われます。「戦闘地域」でなければ紛争に巻き込まれないというのは机上の空論になるおそれがあります。
国連決議についても問題がありえます。激しい紛争の場合は国連安保理決議がなかなか成立しません。また、決議があるかないかさえ争いの対象になることがあります。イラク戦争がまさにその例であり、米英豪などが2003年3月、イラクに対する攻撃に踏み切った際に決議の有無が問題となり、独仏などはないという立場を取りました。
また、PKOの部隊は国連の指揮下に入りますが、多国籍軍は特定国の司令官が全体の指揮を執ります。ただし、PKOの場合はもちろん、多国籍軍の場合も国連の決議があることが多いので、多国籍軍としてもその決議に従う義務があります。その意味では、司令官といえども自由に行動できるわけではありませんが、国連の指揮下にあれば、決議だけでなく、実際の活動においても特定国の意思が働く余地はきびしく制限されます。
このように考えると、紛争が継続中に多国籍軍に協力することは憲法第9条が禁止する国際紛争での武力行使の禁止に違反する恐れがあると言わざるをえません。機雷の除去についても紛争が継続中であれば人道的な措置という理由だけでは説明しきれません。
多国籍軍への協力が憲法上問題となりうることは今回初めて出てきたことでなく、テロ特措法やイラク特措法にあったことですが、恒久法である国際平和支援法を成立させると今後繰り返し問題になる可能性があると思われます。
(THE PAGEに7月14日掲載)
そもそも「安保法案」とは?(国際貢献編)
国際貢献は自衛隊にとって湾岸戦争以来の新しい任務ですが、その重要性はますます増大しています。典型的な国際貢献は国連の平和維持活動であり、これは冷戦が終わる頃から急増し、日本も1992年に初めて参加しました。安倍首相は、安全保障関係の法整備に関連して、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献する必要があると強調しています。
今回の法整備では、国連平和維持活動法(PKO法)の改正と「国際平和支援法案」が国際貢献の強化について規定しています。「国際平和支援法案」は新規の法案になっていますが、現在は失効しているテロ対策特別措置法(テロ特措法。2001年成立)とイラク人道復興支援特別措置法(イラク特措法。2003年成立)を恒久法(有効期限を定めない法律)にしたものです。自衛隊が海外で活動する点では「重要影響事態法」の場合と類似していますが、「国際平和支援法案」の場合は日本に対する脅威が前提となっていません。
国際貢献は国際の平和と安定のため各国が協力するところに主眼があり、それは本来各国の「自衛」のためでありません。
しかし、日本の場合は自衛隊が海外へ出動することに関する日本国憲法の制約があり、国際貢献も、法的には、「自衛」の枠内で処理されてきました。自衛隊員は、PKOに従事している場合も行動を厳しく制限され、武器は、自らの生命・身体を守るためやむをえない場合、つまり「自衛」の場合以外は原則として使用できず、他国の隊員が危機に瀕していても駆け付けて救助すること(駆け付け警護)などできませんでした。
しかし、これではあまりに不公平であり、改善する必要があると指摘されてきました。今回のPKO法改正案においてはそれを可能とする新しい規定がPKO法第26条として追加され、いわゆる「駆け付け警護」の問題は解決しました。
また、PKO法改正案は、国連が実施するのでない平和維持活動(「国際連携平和安全活動」と名付けられています)への自衛隊の参加を可能とすることを新たに提案しています。PKOは通常国連が主体となって行われますが、そうでなく、数カ国の合意で実施する場合も認めているのです。その場合も紛争当事者の同意が条件となっていることなど基本的な仕組みは国連のPKOと類似していますが、紛争が終了していることは必ずしも条件となっておらず、紛争当事者が「武力紛争の停止およびこれを維持することに合意」している場合もその条件を満たすとみなされています。
国連ではないPKOへの参加を認めることは、紛争により危険にさらされている住民の保護などのために機動的対処できる面があるでしょうが、自衛隊の出動を国連でない機関や国による要請の場合にまで認めると、それらの機関や国と意見が違う国が出てきて、争いになり、自衛隊の派遣が反対される恐れがあります。
また、派遣された部隊が国連の指揮下にないことも、後述する多国籍軍と同様に、自衛隊の派遣について争いが生じ、批判される原因となるおそれがあると思われます。
PKO改正法案はしきりに「いずれの紛争当事者にも偏ることなく実施」することの必要性を述べていますが、国連による自衛隊の派遣でない場合に、どちらの当事者にも偏らないで実施することが困難なことを法案みずから示唆しているように思われます。
国際貢献面での今回の法整備においては、「国際社会の平和および安全を脅かす脅威を除去するために国際社会が国連憲章の目的に従い共同して対処」し、「我が国が国際社会の一員としてこれに主体的かつ積極的に寄与する必要がある」場合が想定されており(国際平和共同対処事態)、国際平和支援法案はその場合の日本の自衛隊のあり方を定めています。これがいわゆる「多国籍軍」の場合であり、紛争は終了していません。
この事態では紛争は継続しており、日本が国際紛争に巻き込まれることを厳禁している憲法に抵触しないか、問題になりえます。
これに対し、国際平和支援法案は、支援として具体的に行う行動の範囲・種類、支援を行なう場所、国連の決議などによって歯止めをかけ、憲法違反になるのを防ごうとしています。
自衛隊が行なう行動としては、捜索救助、船舶検査などとともに、いわゆる後方支援として物品や役務を「共同して対処する国の軍隊(つまり多国籍軍)」に提供することが想定されています。武器について言えば、提供は認められていませんが、輸送は認められています。これらの行動は集団的自衛権の行使として認められているのではなく、「武力の行使」でないとの考えに基づいており、テロ特措法やイラク特措法で認められていました。
後方支援は、武力行使を伴う戦闘行為ではないのは明らかですが、紛争中の当事者から中立の立場で実施することはできない、戦闘している国に後方支援すると、やはり敵対行為とみなされるとも指摘されています。
支援を行なう場所については、「現に戦闘行為が行われている現場では実施しない」と明記されています。これは、支援活動を地理的に戦闘地域と切り離すための規定ですが、複雑な状況である現場においてそれははたして可能か、疑問の余地があります。国際平和支援法の前身であったイラク特措法の国会質疑において、小泉首相が「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域か、日本の首相にわかる方がおかしい。自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」と答えたのは有名な故事ですが、「戦闘地域」と「非戦闘地域」の境界は明確でない、明確になしえないことを雄弁に語っているように思われます。「戦闘地域」でなければ紛争に巻き込まれないというのは机上の空論になるおそれがあります。
国連決議についても問題がありえます。激しい紛争の場合は国連安保理決議がなかなか成立しません。また、決議があるかないかさえ争いの対象になることがあります。イラク戦争がまさにその例であり、米英豪などが2003年3月、イラクに対する攻撃に踏み切った際に決議の有無が問題となり、独仏などはないという立場を取りました。
また、PKOの部隊は国連の指揮下に入りますが、多国籍軍は特定国の司令官が全体の指揮を執ります。ただし、PKOの場合はもちろん、多国籍軍の場合も国連の決議があることが多いので、多国籍軍としてもその決議に従う義務があります。その意味では、司令官といえども自由に行動できるわけではありませんが、国連の指揮下にあれば、決議だけでなく、実際の活動においても特定国の意思が働く余地はきびしく制限されます。
このように考えると、紛争が継続中に多国籍軍に協力することは憲法第9条が禁止する国際紛争での武力行使の禁止に違反する恐れがあると言わざるをえません。機雷の除去についても紛争が継続中であれば人道的な措置という理由だけでは説明しきれません。
多国籍軍への協力が憲法上問題となりうることは今回初めて出てきたことでなく、テロ特措法やイラク特措法にあったことですが、恒久法である国際平和支援法を成立させると今後繰り返し問題になる可能性があると思われます。
(THE PAGEに7月14日掲載)
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