平和外交研究所

2014 - 平和外交研究所 - Page 60

2014.04.18

習近平の軍事改革

4月18日付の香港紙『大公報』は、習近平の軍事改革について次のように論評している。内容的には不明確な点が少なくないが、最近の習近平主席の動静に注意を払った結果であろう。
「習近平が最近軍との接触を増加させており、過去半月の間にも武装警察の特警学院を訪問し、空軍を視察した。また、4月初めに18人の人民解放軍高級将校が習近平に倣おう(?挺習)と呼びかけた。これらは今後行われる深化改革と関係があるのではないかと見られている。
ちまちました改革は放っておいて、系統的に改革するということである。
現在検討中の軍の全体的改革は、その勢力、強度および範囲の点で1949年の建国以来めずらしい規模のものである。近年何回も軍事改革は実行されたが、根本に触れる改革はなかった。しかるに、習近平が実行しようとしている軍事改革は、細かい問題を扱うのでなく、系統だった設計、全面的な推進を目指すもので、筋肉と骨を立て直すものである。
3月に、中央軍事改革指導小組は第1回の全体会議を開催し、国家安全委員会も今週正式に活動を開始した。新たに始まる軍事改革のための頭と決定の枠組みは決まった。軍事改革はもっとも困難なものであるが、「積極的に妥当な解決」を目指している。現在のところ、軍隊の主要な領域の改革はまだ研究段階にあり、最終的な改革案が作成されるにはまだ一定の時間が必要であるが、一部の部隊は改革を先取りし、改革の実験場となっている。」

2014.04.17

習近平国家安全委員会主席の講話

4月15日、国家安全委員会の第1回会合が開催され、同委員会の習近平主席は、「国家の安全にかかわる情勢変化の特徴と趨勢を正確に把握し、国家の安全全体観を堅持し、中国の特色ある国家安全の道を歩まなければならない」「国家安全委員会の重要な使命は政治の安全を根本とし、経済の安定を基礎とし、軍事、文化、社会の安全を保障とすることである」と語った。
習近平主席が政治の安全をこのように高く位置づけたことは、広範な世論の注意を引いた。その場には習近平主席の他、李克強総理、張徳江全人代委員長と党、政、全人代のトップがそろって出席したこともあり、最近比較的平穏であった中国の政壇にちょっとした波乱が巻き起こった。15日の習近平講話を仔細に分析すれば、同人の国家安全観がはっきりするのではないかという人も居る。なお、習近平は副主席であった2012年7月、「世界和平論壇」の開幕式ですでに国家安全観を示唆していた(『多維新聞』4月15日)

2014.04.16

PKOと武力行使⑥


PKOでの自衛隊による武力行使について、日本政府が、「要員の生命などを防護する場合(A型)」は認められるが、「任務の遂行を実力で妨害する企てに対する抵抗の場合(B型)」は認められないとするのは国際的に稀有な例である。そのような立場を取る理由は日本の平和憲法にあるが、憲法を見てもそのような結論が簡単に導き出されるわけではない。憲法9条には「国際紛争を解決する手段としては武力行使を永久に放棄する」と規定されており、このこととPKOで武力行使ができないということとの間にはかなりの距離があり、それは解釈で補われている。

日本政府によれば次のように説明されている(官邸ホームページ「国際的な平和活動における武器使用」)
○ 憲法第9条第1項の「武力の行使」とは、基本的には、「国家の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為」をいい、関連法において「戦闘行為」とは、「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」をいう。
○ 憲法第9条第1項の「武力による威嚇」とは、「現実にはまだ武力を行使しないが、自国の主張、要求を入れなければ武力を行使するとの意思、態度を示すことにより、相手国を威嚇すること」をいう。
○ 「国際紛争」とは、「国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立している状態」をいう。

この定義に立てば、日本でないA国とB国の間の紛争において日本は武力を行使できず、また、A国内で政府と反乱軍の間で生じている紛争にも日本は武力行使できないという結論になる。憲法9条1項の「国際紛争」とは世界中のすべての紛争のことだというのと同じことであろう。
これが法制局において吟味を重ねた結論であることは分かっている。だからというのではないが、ここで論じられている限りにおいてはもっともな結論であると私も考える。しかし、この解釈でPKOにおいて必要とされる行動について妥当な結論が得られるとは思わない。問題は、「国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立している状態」をどのように解するかであり、もし、PKOとして活動が継続している間に反乱軍が政府軍に攻撃してきた場合もこの定義に当てはまると考え、したがって憲法9条の言う「国際紛争」とみなすのは、平和な状態であるPKOを国際紛争とみなすことにならないか。PKOがPKOとして活動している限り、すなわち、国連がPKOの継続を困難と判断しない限り、攻撃や妨害があってもそれは全体として平和な状態の中の問題であり、PKO部隊にとってはそれに対し防御する、つまり、「任務の遂行を実力で妨害する企てに対し抵抗」しなければならないである。
さらに重要なことは、そのように我が国のPKO部隊が行動し、必要な武器を使って攻撃に対し防御したり、抵抗したりする場合、日本国憲法が厳しく定めている平和主義に悖る心配はまったくない。PKOは平和を維持するために活動しているからであり、かつ、そのことが国際的に承認されているからである。また、そうすることは日本の自衛隊を含め、PKOに参加しているすべての国の部隊にとって義務である。
このように考えると、日本政府の「国際紛争」とは「国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立している状態」とするのは憲法9条を拡大し過ぎているのではないかと思われる。少なくともPKOという、国連憲章も予想していなかったが現実の国際政治の中できわめて重要な国際的活動として認められているPKOに対する理解が不十分なのではないかと思われる。
根本的な問題は、PKOは「国際紛争」の存在を前提とすることが多い自衛権の発動でなく、国連憲章2条4項にしたがった措置として武力行使が認められるということである。和平が成立している状況下で武器使用に限定があるとすれば、それは国連決議のみである。
 政府は91年、国連平和維持活動(PKO)協力法の審議の際、「自己保存のための自然権的権利」という考えを編み出し、その上で、「隊員個人の生命・身体を守るための必要最小限の武器使用は、憲法の禁じる武力行使にはあたらない」という統一見解を示した。01年のPKO法改正では、「自己の管理下に入った者の生命、身体の防護」にも拡大した。これらの結論は妥当なもの(必要なことで十分でないが)であるが、やはり、自衛権の考えにとらわれているようである。

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