平和外交研究所

2014 - 平和外交研究所 - Page 47

2014.06.12

南シナ海の紛争と中国のベトナム観

6月11日付の『多維新聞』が、西沙諸島海域への2隻の中国艦増派や中国軍と外交部の関係などについて次のように論じている。我が国での見方とはかなり趣の違うものであるが、中国側の少なくとも一部の見方を反映している可能性があり、参考になる。

「南シナ海における中越の争いはすでに峠を越え、収拾段階に入ったと本紙は見ていた。ベトナムは、先のシャングリラ対話で米日比と同調しなかったこと、反政府組織が反中国デモを起こしたとしぶしぶ認めたことなど、態度を抑制気味にしたと思われたからであった。
しかし、6月10日付のベトナムニュースが、中国は9日に石油掘削機付近の海域へ2隻の軍艦を派遣したことを報道しているのは注目される。これで同掘削機の東西南方を6隻の軍艦が分担して守っていることになる。11日の記者会見で外交部のスポークスマンはそのことを否定しなかった。ベトナムはすでに負けを認めおとなしくなっているのに、中国はなぜ軍艦を増派したのか。

中国はすでに和解する姿勢を見せていた。中国の劉振民外務次官はASEANのハイレベル会談において中国は南シナ海情勢のいかなる不安定化も望んでいないと表明し、また、王毅外相はインドの新聞に対し、日本とベトナムがさらなる一方的行為により中国を挑発しない限り情勢は沈静化すると述べている。王毅の言葉は中国のベースラインを示しており、ベトナムが挑発をやめれば中国はこれまでの行為の是非は問わないということである。しかし、どうして軍と外交部では言うことが違うのか。外交部は軍に影響力がないのか、それとも軍には別の考えがあるのか。

中国では南シナ海および東シナ海での紛争について統一的に指揮する体系がすでに存在している。国家安全員会を成立させたのは、各方面の力を統合するためであった。解放軍と外交部は、尖閣諸島に関する争いや、東シナ海の防空識別圏などの問題に対処するのに重さの違う、かつ緩急自在の手を繰り出しており、解放軍と外交部はすでに良好な関係を築いていることがうかがわれる。外交部は軍に影響力がないという考えは排除してよい。外交部が南シナ海で態度を和らげていることと解放軍の行動には隠された考慮があるのであろう。

中越の船舶が衝突事件を起こして以来、中国は軍事的に強硬な態度を取り、空軍と海軍の航空機は南シナ海で主権を防衛する行動を取ってきた。5月8日の記者会見で外交部は、中国の軍艦は関係海域でどのような行動もとっていないと説明したが、石油掘削機付近に軍艦が集まっていることは否定しなかった。5月14日の前後、中国海軍の2万トン級の揚陸艇2隻が掘削機の付近に現れていた。また、海軍は第9海軍航空師団の戦闘爆撃機を出動させ、西沙諸島海域の石油掘削機の安全にあたらせた。これに2隻の軍艦を派遣したのである。

2012年4月にスカーボロー礁でフィリピンと対峙した時、中国は国家海洋局海監総隊の船(海監)だけを派遣し、同年9月に日本が尖閣諸島を国有化した時、中国は同じ部署に属する飛行機に尖閣諸島の領空外を巡航させただけで、戦闘機、無人機は尖閣諸島の空域に接近し、日本の防空識別圏内に入っただけであった。中国は、フィリピン、日本、ベトナムとの紛争に対応する際軍事面で差異を設けており、ベトナムに対しては一戦を交えることも辞さないという態度を取っている。ベトナムは態度を和らげたが、石油掘削機付近での妨害を放棄してはいない。中国が2隻の軍艦を新たに派遣したことはベトナムに対する警戒心をなくしていないからであり、石油掘削機は絶対に防衛する意図である。解放軍は、外交の言葉だけで問題を解決しようとするやり方を改めようとしている。軍事的威力を示すことと外交による交渉は、南シナ海における今後の紛争解決のモデルを示している。」

2014.06.11

集団的自衛権ーわが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある場合とは

安倍首相は5月15日の記者会見で、「わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許される」と安保法制懇が提言したことについて「従来の政府の基本的な立場を踏まえた提言だ。今後、さらに研究を進めたい」と述べた。研究においては以下の問題をクリアにする必要があろう。

まず、自衛権行使の要件であるが、個別的自衛権の行使は「急迫不正の侵害がある」などの要件を満たす必要がある。一方、集団的自衛権行使の場合は「わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある」というのが要件であれば、個別的自衛権行使の場合より、集団的自衛権行使の場合のほうが要件が緩やかになる。
「急迫不正」は一刻の猶予もならない状況であるが、「可能性がある」はそうではなく、「急迫不正」でなくても「可能性がある」に該当することはいくらもある。「可能性がある」というのは「急迫不正」よりはるかに広いのである。このような緩やかな要件で自衛隊が海外へ派遣されるのは個別的自衛権行使の場合と比べて均衡を失するどころか、あってはならないことである。
常識的に、個別的自衛権行使は自国を守るためであるので、要件は他国へ派遣される場合と同じか、むしろ緩やかであるべきだ。逆に、海外へは緩やかな要件で派遣されるのは、おかしいし、海外派兵を厳しく自制している憲法を無残に踏みにじることにならないか。
一方、安保法制懇の言う「可能性がある」は「急迫不正」と同じであるならば、「わが国の安全に重大な影響を及ぼす急迫不正の侵害がある」となり、それはまさに個別的自衛権を行使すべき時である。それを集団的自衛権の問題と言うのはおかしい。

急迫不正の侵害が行なわれ、自衛隊が防衛する場所についても問題がある。「わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある」場合に自衛隊が出動するのであれば、その場所は日本であるはずだ。「わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある」場合に米国へ出かけていくことは理屈の上ではないと言い切れないかもしれないが、日本が危うい時に肝心の自衛隊を米国へ派遣するのか。歴史上、自国の防衛に手いっぱいの時は同盟している他国から援軍派遣の要請があっても応じられないと応対してきたことはいくらも例があった。しかし、自国が危うい時に自国の防衛軍を他国へ送り出すなどあったためしがない。そのようなことをする国は存続できない。

このように考えると、安保法制懇の言う「わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許される」という提言には重大な疑問があり、集団的自衛権と個別的自衛権を混同しているか、あるいはあくまで集団的自衛権と言うなら荒唐無稽な主張になる恐れさえある。

2014.06.10

集団的自衛権に関する1972年の政府見解

政府は、日本が集団的自衛権を行使できるようになってもどのような場合でも行使するのではなく、一定の場合に制限されると説明しており、その根拠として、72年に田中内閣が示した政府見解を持ち出す考えであり、閣議決定案では、この見解を使って「我が国の存立を全うするために必要な自衛のための措置」に限って集団的自衛権を行使できると明記する考えだと6月10日の『朝日新聞』が報道している。
この報道が正確であるとして、政府はなぜ72年の政府見解が閣議決定の根拠として使えると考えたのであろうかを推測して見ると、同見解は、日本が「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置」を取ることを認めており、かつ、「自衛の措置」とは個別的自衛権の行使か集団的自衛権の行使かを区別していない、つまり集団的自衛権が一定の場合行使できるとの考えに立っていたと解したためかもしれない。
しかし、この引用した説明は72年の政府見解の一部に過ぎない。同見解は「憲法は(中略)自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」と述べている。
太字で示したとおり、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」と明言しているのである。ここまで正しく読めば、72年の政府見解が一定の場合集団的自衛権の行使を認めていたと解することはできないのは明らかである。したがって、現在想定されている閣議決定の根拠にはなりえないと考えられる。

アーカイブ

検索

このページのトップへ

Copyright©平和外交研究所 All Rights Reserved.