平和外交研究所

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2020.02.08

小型核の配備

 米国防総省は2月4日、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)用に爆発力を抑えた低出力の小型核弾頭を実戦配備したと発表した。トランプ政権が2018年2月に発表した、新型の小型核弾頭の開発を戦略の柱に据えるとの新方針を実行に移したものであるが、第二次大戦終了後、続けられてきた核の拡散防止と核軍縮のための懸命な努力に逆行し、世界を再び核軍拡競争に陥れかねない危険な行為である。

 米国が小型核を配備した理由は、ロシアがすでに小型核を保有しており、また、中国も核兵器の近代化や拡大をしていることであり、ロード国防次官は声明で「(小型核の実戦配備は)米国の拡大抑止(核の傘)を支え、潜在的な敵に限定的な核使用は何の利点もないことを示す」と説明した。つまり、ロシアや中国が小型核を配備、あるいはその方向に向いているので、米国も小型核の配備が必要なのだということであろう。

 しかし、このような戦略は有効か、はなはだ疑問である。

 そもそも小型核が開発されたのは、核兵器は破壊力が大きすぎて使用できないからである。小型核、たとえば広島へ投下された原爆の3分の1のエネルギーである5キロトン程度であれば使用可能だと考えられており、今回配備されたのはその程度の威力だとみられている。

 しかし、その程度の威力であれば核兵器に頼る必要はない。最近は、通常爆弾でもMOAB(Massive Ordnance Air Blast大規模爆風兵器)など、核兵器と間違われるほど強烈な威力の爆弾が開発されている。しかも、核兵器は小型であっても放射能汚染を起こす。

 抑止、つまり、相手が攻撃を仕掛けてくると相手は壊滅的打撃をこうむることを知らせることにより攻撃を思いとどまらせる点では、こちら側は威力が大きい方がより有効であり、小型核による理由はない。

 また、実際問題として、敵方が5キロトンならこちら側も5キロトンで対抗することにはならない。今まで世界中の人々が恐れてきたのは、核には核、すなわち、どちらか一方から核攻撃が行われれば、他の一方は核により反撃するしかないということであり、そのような状況において、爆弾の威力を比較することにはならない。小型核にはやはり小型核で対抗するというのは机上の空論に過ぎない。  

 小型核の配備は政治的な問題も引き起こす。敵方から見れば、米国が小型核を持つと米国から攻撃をしやすくなると思う危険があることだ。そうすると、彼らは核兵器の威力をさらに向上させようとするだろう。つまり、核軍拡競争となる。

 米国の核は攻撃用でなく、抑止のためだというのは日本のように米国の同盟国は比較的容易に信じられるが、ロシアや中国は日本のようには考えないだろう。
 
また、小型核の配備は米ロ間の戦略兵器削減交渉にも悪影響を及ぼす。この交渉は冷戦時代から核の恐怖におびえる世界にとって唯一といってよい前向きの努力であった。この交渉を今後前に進められなくなるとマイナス効果は計り知れない。

小型核は、核不拡散条約(NPT)においても、長年議論され、2000年の再検討会議では「非戦略核兵器(小型核のこと)の削減」が合意されていた。NPTで合意したことを反故にすることがいかに危険か、あらためて述べる必要はないだろう。

 日本としては、小型核の配備を深刻な問題として捉えなければならない。そして、この際、核軍拡競争には反対することを表明すべきである。その相手は今回小型核を配備した米国に限らない。すべての国に対して呼びかければよい。

 本年4月から5月にかけ、5年に1回のNPTの再検討会議が開かれる。その際にも日本は明確な態度表明が必要となる。
2020.01.05

スレイマニ司令官の殺害

 イランの精鋭部隊・革命防衛隊の実力者ソレイマニ司令官が3日、イラクの首都バグダッドの国際空港から車で移動してまもなく、米軍による空爆で殺害された。米国防総省が殺害を認める声明を出し、イラン側も死亡を認めた。爆撃は無人機によるものであったと報道されている。これに対し、イランは米国に報復すると強く反発した。

イラクは数カ月前から不穏な情勢にあり、米国人の死傷が相次いでいた。ソレイマニ司令官の殺害後情勢がさらに険悪化する中で、米国はイラク国内の米国市民に対して直ちに国外退避するよう警告を発した。また、3500人の部隊を増派する方針だという。

 米軍によるソレイマニ司令官殺害の方法について、二つの疑問がある。一つは、米軍は同司令官を捕獲する努力を行ったか否かである。状況証拠から見るとそれは疑わしい。しかし、米軍は同司令官の行動を非常に正確に把握しており、捕獲は可能だったのではないか。少なくとも捕獲を試みるべきだったのではないか。

 同様の問題は、2013年、ウサマ・ビン・ラーディン殺害の時にも起こった。米軍はパキスタンに潜伏中のビン・ラーディンを襲い、殺害したのだが、捕獲を試みたか疑問であった。今回は米軍の支配力が強い状況下で行われた爆撃であり、その時より捕獲は容易でなかったか。

 実際には、ビン・ラーディンやスレイマニに対して正しい手続きでその罪を償わせることなど絵空事だったかもしれない。しかし、戦争ではなかっ。戦争ならば何をかいわんやであるが、そうではなかったのであり、スレイマニ司令官の殺害が正当化されるか疑問の余地がある。

 もう一つの疑問は、無人機による攻撃が適切であったかである。人が攻撃したのであればよかったということではないのはもちろんだが、無人機による攻撃ははるかに危険である。攻撃する側は、まったくといってよいほど危険にさらされないからであり、そのため、攻撃に歯止めがかかりにくい。また、攻撃された側がやはり無人機で報復するとそれだけ危険な状況になる。
 
 もちろん、今回の攻撃については方法の是非だけでなく、全体的に判断しなければならない。スレイマニ司令官の殺害は戦争に発展するという見方も現れている。トランプ大統領は「戦争を止めるための行動だ」と訴えているが、はたしてその主張は受け入れられるか。

 米国としては、今回の攻撃はテロや米国人に対する襲撃を防ぐために必要であったことを主張しているが、これは広島と長崎に原爆を投下した際の理由づけ、すなわち「米軍兵士の損害を防ぐため原爆を投下した」との言い訳と実質的には同じでないか。

 さらに、トランプ大統領のイスラエル寄りの姿勢とイランの核合意を一方的に破棄したこととも無関係といえない。そのような主張が通るのは、トランプ大統領とその支持者だけではないか。

日本は、ソレイマニ司令官の殺害については沈黙しつつ、自衛隊をオマーン湾に派遣しようとしている。しかし、米国とイランの対立が一段と激化した現在、そのような方針を維持すべきか、あらためて基本的な問題にまでさかのぼって検討すべきではないか。

2019.12.26

日韓首脳会談

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