平和外交研究所

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2015.04.09

機雷除去の是非

 日本政府は、近く国会に提出予定の安保関連法案や4月末にも改定される可能性がある米国との「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)において、今まで日本周辺の海域に限られていた自衛隊による機雷除去を中東のホルムズ海峡などにおいても可能にすることを盛り込む方針であると伝えられている。
 問題は第三国間で紛争が継続中にも機雷除去を行なうことで、これは認めるべきでない。自衛隊が機雷除去を行なうのはあくまで停戦が成立した場合に限るべきである。
 なぜならば、紛争が継続中に自衛隊が機雷除去を行なうと日本は中立ではありえず、紛争のどちらか一方に加担することになるからである。
 憲法をあらためて読み直そう。日本が国際紛争に巻き込まれてはならないと固く禁止していることは明白であり、この禁止は何としても遵守する必要がある。
 これまで集団的自衛権の行使を認めることの意味が明確にされないまま、政治の力で小出しに既成事実化されてき、またこれからもそのようなプロセスが続けられようとしている。ここに根本的な問題があるのだが、理屈はともかく、国民としては憲法を読み直し、紛争中の機雷除去を認めてならないことを確認すべきである。
 機雷除去を停戦成立後に限定することに対して、ホルムズ海峡での機雷敷設は「我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」であり、我が国としても死活に関わる問題であり、拱手傍観できない、という反論があるかもしれない。しかし、もし日本を守るために停戦前の機雷除去が本当に必要ならば、そう言えばよい。自衛のためであれば国際紛争に巻き込まれないので武力を行使できることは政府だけでなく国民も含め確認してきたことである。政治の中でこの筋道が曲げられてはならない。
2015.04.06

アジアインフラ投資銀行は中国の国内銀行である

 いわゆるアジアインフラ投資銀行(AIIB)をめぐって巨大な流れが起きている。日本と米国はその流れの外にいるが、かなりの数の国がその流れに乗っており、メディアや評論家(国内と外国を含む)の中にもそのような流れを肯定的に見ている者が多いようであり、ごうごうと音を立てている。しかし、以下に述べる理由により、この流れは混乱を惹起する危険があると考える。

 中国政府は、AIIBをmultilateral development bank(MDB)だと説明している。AIIBのHP(以下単にHP)も同じ説明である。世界銀行、IMF、アジア開発銀行などと同種類の銀行とみなしているのであるが、国際機関として見た場合次のような問題がある。
 AIIBの授権資本(authorized capital)は1000億米ドル、最初は500億ドルから出発すると、2014年10月24日、北京で署名された覚書に明記されている(同日の新華社電。しかし、その覚書は公表されていない)が、問題は、各国の出資比率がどうなるかである。各国は出資比率に応じて投票権が与えられるので、出資比率は国際開発銀行における各国の発言権の重さを決める根本問題である。
 AIIBの場合、HPに記載はないが、中国は半分を出資すると表明したと報道されている。これは異常に高い率であり、中国がAIIBを思うままに操作可能な比率である。ちなみに、世界銀行の場合、米国は15.85%、日本は次いで6.84%、以下、中国は4.42%となっている
 中国系新聞には、米国は1番か2番目の出資国になることを中国に内々打診したが、中国は拒否したと報道しているものがある。真偽のほどは定かでないが、将来かりに米国や日本が参加する場合に必ず出てくる問題であり、中国が出資比率50%にこだわれば、両国が参加することはありえない。これは断言できる。
 さらに、AIIBの本部をどこに置き、ナンバーワン、いわゆる総裁を誰が務めるかも極めて重要なことであり、本部についてはすでに北京に置くことが決定されている(HP)。
 総裁についてはまだ決定はなさそうであるが、中国は自国人を総裁にすることに固執するだろうという報道はある。この報道は間違っていないと思う。
 このように重要な問題についての現状を見ていくと、一部は推測が混じっているが、AIIBは国際機関とは到底言えない。中国が言うのは自由だが、米国、日本も含め各国は認められないだろう。1か国が出資比率を50%持ち、その国に本部があり、その国の人が総裁を務める国際機関はありえない。

 中国がAIIBを国際機関という形式に仕立て上げたのは次のようなプロセスを通じてであった。すなわち、中国は2013年10月に習近平主席と李克強首相が東南アジアを訪問した際にAIIB設立構想を打ち出して以来、一直線に設立準備を進め、1年後の2014年10月24日、北京で創設に関する覚書署名式を行ない、11月27~28日には昆明で、2015年1月15~16日にはムンバイで協議を重ねた。3月末には、カザフスタンのアルマティで会議が予定されていたが、これがどうなったか不明である。今後、5月に準備段階の最終協議が予定されており、2015年6月までに関係の協定が合意され、本年末までに正式に発足するというスケジュールである(HP)。
 2014年10月に北京で署名された覚書に中国の他20カ国が参加したという意味では国際的であった。そして創設準備会議を重ねることにより、中国はAIIBが国際機関であるという体裁を作り上げることに成功した。しかし、国際機関とは言えないことは前述したとおりである。
 では、AIIBの実態をどう見るべきか。中国が圧倒的な出資比率を持ち、本部は中国に置き、中国人が総裁となるAIIBは中国の国内銀行に限りなく近いのである。それに数十の国が資本参加する可能性を創設準備の過程で示したというのが実態である。
 中国がそのような機関を持ちたいのはよく分かるし、そのこと自体批難されることではない。しかし、各国にとってはこのような実態は問題であるはずだが、それにもかかわらずAIIB創設準備に協力しているのはなぜか。いくつかの可能性が考えられる。
 1つ目は、中国の国内銀行でも国際機関でも、どちらでもよい、中国が圧倒的な影響力を持ってもかまわないという考えである。
 2つ目は、授権資本の総額と本部を北京に置くことだけは合意したが、それ以外のことについてはまだ合意していない、今後協議して決定することであるとみなして参加を表明している可能性である。形式的にはその通りであるが、そのように軽薄な姿勢では、中国が資本比率は50%、総裁も中国人とすることを正式に提案した場合、拒否できるかはなはだ疑問である。
 3つ目は、AIIBが満足できるものとならなければ、設立には参加しない可能性である。これはありうる。欧州諸国で設立準備に参加した国は、1のケースでも2のケースでもなく、この3のような考えかと思われる。中国だけが圧倒的な影響力を持つ機関に欧州諸国が出資してまで参加するとは、常識的に考えられない。

 さらに、かりにAIIBが発足した場合、融資の政策がどうなるかについても注意が必要である。中国がAIIB設立に熱心なのは、「海上のシルクロード」とも、あるいは「一路一帯」とも呼ばれる戦略、したがってまた、中国の海洋大国化戦略を達成したいからではないか。AIIBの融資ポリシーはこの戦略的考慮によって影響されるのではないか。
 このことを断定するのは早すぎるとしても、「海上のシルクロード」や「一路一帯」構想は中国が公然と進めていることであり、各国は、すくなくともそのようなこととの関連の有無を明確にすべきである。そのため、今起こっている流れがどのような方向に行くかを見極めてから参加の有無を判断すべきである。中国の海洋大国化戦略の影響をもろに受ける日本としてその確認をしないでAIIBに参加することは、日本の国益に反することになる恐れがある。

 以上のような考えから、AIIBの流れに乗ることに慎重な姿勢を堅持している日米両政府に賛意を表したい。今後、日米両国は、できれば共同で、AIIBの創設準備の現状についての見解を公に表明し、暴走気味の流れを鎮めることに努めるのが望ましいのではないか。
2015.03.30

尖閣諸島の歴史的経緯ー古文献に見る

(THEPAGEに3月28日掲載された)

 尖閣諸島に関し、最近2つの出来事がありました。1つは、中国の国家測絵総局が1969年に「尖閣群島」と日本名で表記した地図を日本外務省が公開したことです。本年3月付の「尖閣諸島について」と題する同省の資料に掲載されています。
 2番目は、昨年、北京でのAPEC首脳会議に先立って日中両国の事務方が関係改善のために合意したことについて、中国の在米大使館員が米国の研究者に対し、日本側が従来の態度を変更し、尖閣諸島は両国間の問題であることを認めたと説明してまわったことです。
日本外務省が昨年11月7日に公表した合意では「双方は,尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し,対話と協議を通じて,情勢の悪化を防ぐとともに,危機管理メカニズムを構築し,不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた」と記載されているだけであり、尖閣諸島は両国間の問題であるということは一言も書いてありません。日本政府の「尖閣諸島をめぐり,解決すべき領有権の問題は存在していない」という立場はまったく変化していません。中国が一方的に要求しているだけです。

 この機会に尖閣諸島についての考え方をあらためて整理しておきましょう。重要な論点は6つあります。
①古い文献にどのように記載されているか。
②日本政府が1895年に尖閣諸島を日本の領土に編入したことをどのように見るか。この行為を批判する見解もあります。
③戦後の日本の領土再画定において尖閣諸島はどのように扱われたか。とくにサンフランシスコ平和条約でどのように扱われたか。簡単に言えば、尖閣諸島の法的地位いかんです。
④その後日中両政府は尖閣諸島をどのように扱ってきたか。「棚上げしたか否か」という議論、1969年の中国国家測絵総局の地図、さらには昨年の日中合意などもこのグループに含まれます。
⑤1968年の石油埋蔵に関する国連調査との関連。
⑥沖縄返還との関連。

 ①から⑥までの論点のうち、もっとも基本的なものは、①の、古文献にどのように記載されているかと、③の、国際法的に尖閣諸島はどのような地位にあるかです。まず、本稿では古文献の記載を説明します。

中国は1971年から従来の態度を変更して尖閣諸島に対する領有権を主張するようになりましたが、その根拠として、明国の海防を説明した書物『籌海圖編(ちゅうかいずへん)』(胡宗憲著)、清国の使節(冊封使)であった汪楫(オウシュウ)の『使琉球雑録(しりゅうきゅうぞうろく)』、それに西太后の詔書の3文献を引用していましたが、最後の文献は偽造であることが判明しており、現在は使わなくなっています。琉球は古くは日本と清の双方に朝貢しており、その関係で数年に1回清朝から琉球に使節(冊封使)が派遣されており、その旅行記がかなりの数残っています。
 汪楫の『使琉球雑録』は、福建から東に向かって航行すると尖閣諸島の最東端の赤嶼で「郊」を過ぎる、そこが「中外の界」だと記載しています。これについて、中国政府は「中外の界」は中国と外国との境だと主張していますが、この「中外の界」と言ったのは案内していた琉球人船員であり、それは「琉球の中と外の境界」という意味でした。つまり尖閣諸島は琉球の外であると記載されていただけです。琉球の外であれば明国の領域になるわけではありません。そのことは後で説明します。
『籌海圖編』については、その中の図が尖閣諸島(の一部の島)を中国名で示しているのは事実ですが、この文献には明軍の駐屯地と巡邏地(じゅんらち。警備する地域)がどこまでかということも示しており、尖閣諸島はいずれについても外側にあると図示されています。つまり明国の海防範囲の外にあることが記載されていたのです。

 一方、明や清の領土は中国大陸の海岸までが原則で、それに近傍の島嶼が領域に含まれていることを示す文献が数多く存在しています(最近出版された石井望氏の『尖閣反駁マニュアル』などを参考にしました)。 
○同じ汪楫が著した『観海集』には「過東沙山、是閩山盡處」と記載されていました。「閩山」とは福建の陸地のことであり、この意味は「東沙山を過ぎれば福建でなくなる(あるいは福建の領域が終わる)」です。東沙山は馬祖列島の一部であり、やはり大陸にへばりついているような位置にある島です。
○明朝の歴史書である『皇明実録(こうみんじつろく)』は、臺山、礵山、東湧、烏坵、彭湖、彭山(いずれも大陸に近接している島嶼)は明の庭の中としつつ、「この他の溟渤(大洋)は、華夷(明と諸外国)の共にする所なり」と記載しています。つまり、これらの島より東は公海だと言っているのです。
○明代の勅撰書『大明一統志』も同様に明の領域は海岸までであると記載しており、具体的には、「東至海岸一百九十里」と記載しています。これは福州府(現在の福州)の領域を説明した部分であり、「福州府から東へ一百九十里の海岸まで」という意味です。一百九十里は福州から海岸までの直線距離40数キロにほぼ合致します。同じ記載の文献は他にも多数あります。

以上、中国の古文献では、清や明の領域が海岸までであることが明記されています。中国大陸と琉球の間の海域は『皇明実録』が言うように「華夷(明と諸外国)の共にする所」だったのです。また、このことは、尖閣諸島を含めこの海域に存在する無人島は中国も琉球も支配していなかったことを示しています。このような記述は歴史の常識にも合致します。中国の古文献は政治的な影響を受けることなく、実体をごく自然に記載していたと思われます。
なお、日本政府は1895年に、尖閣諸島が無人島であることを確認して日本領に編入しました。それ以来一貫して日本の領土です。

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