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2019.01.15

「北方領土問題は第二次大戦の結果」と言うが

 1月14日、モスクワで行われた日ロ両国の外相による平和条約交渉において、ラブロフ・ロシア外相は冒頭、「問題は第二次世界大戦から引き継がれた」と語ったという。これまでの、「(北方四島は)第二次世界大戦の結果としてはロシアの領土の一部になった」との主張を維持する考えであると受け取られている。
 しかるに、「第2次大戦」の結果とは具体的にどういうことか明確にしておく必要がある。

 日本の領土は、第二次大戦の結果、連合国によって再画定されることとなった。1945年8月14日、日本が受諾したポツダム宣言は、米英中ソの4ヵ国(宣言を発出した時点では米英中の3ヵ国であったが、後にソ連が加わった)が日本に対して降伏の条件を示すために発出したものである。そのなかで日本の領土については、「日本国の主権は本州、北海道、九州および四国ならびに我らの決定する諸小島に局限せられるべし」とした。これにより、本州、北海道、九州および四国は日本の領土であることが確認されたが、その他の島嶼については、北方領土を含め、どれが日本に残るか、米、英、中、ソ連の4ヵ国が決定することとなったのである。

 日本の領土を日本自身が決めることは認めないという恐ろしい条件であったが、日本はこのような宣言を受け入れざるをえなかった。ポツダム宣言を受け入れないという選択肢はなかったのである。

 一方、連合国では終戦処理の一環としてソ連が「千島列島」を「占領」することが認められた。しかし、「占領」と「領有権」の有無は別次元の問題であり、連合国はそのことを確認している。ソ連が「千島列島」を「領有」できるかは、ソ連が決められることでなく、連合国が決めることであった。

 ポツダム宣言に基づいて連合国の意思を具体化したのは1951年のサンフランシスコ平和条約であり、これによって日本の領土が正式に確定された。「千島列島」や「台湾」などについては、日本はすべての「権利を放棄」した。「千島列島」の「領有権」をソ連に認めたのではなかったのである。日本が「放棄」した後の「千島列島」の領有権は米国が獲得することも法的には可能となったのであった。

 同条約が旧日本領について最終的な処分を決定しなかったのは、ソ連が、自らの判断で同平和条約に参加しなかったからである。当時、東西の対決は厳しさを増していた。
 要するに、「千島列島」の領有権は連合国によって決定されることになっていたが、実際にはそうならなかったのである。

 一方、「第二次大戦の結果を認める」だけであれば日本として問題ない。第二次大戦の結果とは、ポツダム宣言とサンフランシスコ平和条約であり、それは日本も認めている。
 そして、「第二次大戦の結果」を忠実に受け入れるかぎり、日本は「千島列島」に対するロシアの領有権を認めることはできない。その理由は前述したとおりであり、日本は「千島列島」を放棄することしかできず、その帰属を決定するのは連合国だったからである。

 なお、法的な解釈とは別に、ロシアは戦争に勝ったのだからという理由で、負けた日本から領土を取り上げることは当然だと考えているともいわれているが、この考えも成り立たない。全く同じ理由からであり、日本から領土を取り上げることができるのはロシアでなく、「連合国」だったからである。

 なお、ソ連が勝ったと言っても、ソ連は日本との中立条約を一方的に破棄して参戦したのであり、また、数日だけの参戦であったが、そのことは本稿では触れない。

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