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2016.12.27

日米が意見を異にした南スーダン決議

 12月23日、安保理で南スーダンへの武器禁輸を強化する決議案が否決されたのだが、その際日本は米国とちがって棄権に回った。この決議案の成立を目指していた米国のパワー国連大使は、日本などが賛成しなかったことがよほど悔しかったのだろう。採択の際の声明で、棄権に回った国の議論は「誤りだ(false)」と少なくとも3回強調した。
 実は、パワー大使は審議の過程でも「武器禁輸を強化すると政府と反政府軍の武器のバランスが崩れ、治安の悪化を招きかねない」と懸念する日本の主張を「非常に疑わしい」として批判したそうだ。
 国連で政治問題について日本が米国と異なる投票態度を取ることはないではないが、それは核軍縮のように日米双方が立場の違いを認識し、また、違いがあることを了解しあっている場合であり、今回のように米国が成立に力を入れている案件について日本が米国と異なる態度を取り、それに米国が不満を唱えることなど、私は41年間外務省で勤務したが、1回も聞いたことがなかった。

 なぜそのような事態に立ち至ったのか。パワー大使だけが個人的に激しい姿勢を見せたということではないはずだ。日本ももちろんそうだが、国連決議が採択される場合に行う説明は事前に本国の許可を取っておく。米国の場合国務省内で関係者のチェックを経て国務長官が承認する。したがって、パワー大使の個人的考えが突出して強く出たということではない。「誤りだ」と言ったのは国務省の考えでもある。
 一方、日本側でも外務省のチェックを経た上で外務大臣が承認し、それがなければ何事もできない。とくに米国と意見が異なる場合に、外務大臣まで上げないで処理することなどありえない。
要するに、今回安保理では、国務長官と外務大臣の異なる意見がぶつかったのだ。
 
 問題になったのは南スーダンへの武器輸出を禁止すべきか否かであった。これは日米が対立、あるいは対峙するような問題か、どうもそのようには見えないが、にもかかわらず日本政府が決議案に棄権したのは、南スーダン政府が「武器は必要だ、禁輸しないでほしい」と要請したからであり、それに応じないと日本が派遣している部隊の安全が確保されないと判断したからではないか。これは推測にすぎないが、日本が米国と意見を対立させてまで頑張った理由の説明にはなっている。これ以外の説明はないのではないか。

 しかし、そうであれば別の大きな心配が沸き起こってくる。PKOは本来停戦あるいは和平の成立を前提として行われる活動だが、南スーダンの場合は状況判断において米国と国連の意見が分かれており、そうであればPKOの前提はくずれるという心配だ。
 停戦・和平に関する判断は、残念ながら国連だけにゆだねるわけにはいかない場合がある。南スーダンがその例で、武器禁輸の是非について意見が分かれていることを単純に一物資の輸出に関する意見の違いとみなすべきでない。南スーダンの状況判断に国際的な意見の対立があると見るべきだと思う。
そのような状況の中では、自衛隊が武器を行使することは日本国憲法9条の「国際紛争を解決する手段として武力を行使することの禁止」に触れる恐れが大きい。そうであればPKO部隊は撤収するのが望ましい。
 
 私は、「駆けつけ警護」を認めることには賛成だが、国際紛争がある中で日本がPKO部隊を派遣することには反対だ。
 国会では南スーダンの状況判断に関し活発な議論があった。それは自衛隊員の安全のため必要だったが、もっと根本的な問題として、停戦・和平の有無について国際的に判断が分かれる場合に、日本はPKOへの参加を継続すべきか、憲法との関係も含めおおいに議論する必要があると思う。

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