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2015.09.25

中国とイスラエルの関係

 中国とイスラエルが1992年に外交関係を樹立するまで、中国はイスラエルと戦っていたパレスチナ解放機構(PLO)とアラブ諸国を支持していた。
中国は非アラブ諸国の中で最初にPLOを承認し、北京の代表事務所に外交使節としての待遇を認めていた。また、PLOに対して資金と武器も提供していた。
 改革開放政策が本格的に進められる1980年代になって、中国は現実的な姿勢を取るようになったが、欧米の資本と技術が流入するのはまだ先のことであり、当時は日本の役割が大きかった。宝山製鉄所は代表的な協力の例である。
 そのような状況の中で、中国はイスラエルの軍事装備や技術などに関心を持ち、静かに関係を深めていた。

 冷戦の終結により中東においても新しい展開が生まれた。1991年、米ソ両国がマドリードにおいてスペインと共同で中東和平に関する会議を開催したのを嚆矢として、ノルウェーのホルスト外相の仲介などによって交渉が進められ、1993年9月、ワシントンにおいて「パレスチナ暫定自治政府に関する原則宣言(Declaration of Principles on Interim Self-Government Arrangements)」が署名・発表された。イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長がクリントン大統領を挟んで歴史的な握手を交わした写真を覚えておられる読者も多いだろう。
 翌1994年にはイスラエルとヨルダンの和平協定が実現し、ヨルダンはエジプトに次いでイスラエルを承認するアラブの国となった。
 パレスチナとイスラエルの関係が緩和したことにより中国・イスラエル関係の進展を妨げていた主要な障害はなくなり、1992年、中国はイスラエルと外交関係を結んだが、それから間もなく、両国にとって試練となる事態が発生した。

 中国によるイスラエルからの早期警戒機、ファルコンの購入問題であり、この件をめぐって中国は複雑な国際関係に巻き込まれ、苦い経験をすることとなった。
 1996年3月、台湾の総統選挙で台湾人の李登輝が選出されることがほぼ確実になった。李登輝はかねてから、台湾は事実上独立の領域であると主張し、各国に対してその実態に見合った扱いをすべきであると訴えていた人物である。李登輝が総統になれば台湾における独立機運が一気に高まると危機感を覚えた中国は、演習と称して台湾近海にミサイルを撃ち込み、台湾の世論に中国との関係の重要性を再認識させようとした。李登輝へ票が流れるのを食い止めたかったのである。
 これに対し米国は空母を台湾近海に派遣して中国の動きをけん制するとともに、ミサイル攻撃への対処に必要な早期警戒機E-2Tを4機供与するなどして台湾の軍事対応能力の向上を図った。この機種は当時の最新鋭機と比べると旧型であったが、中国にとっては座視できない問題となった。
 一方、中国はロシアまたはイスラエルから早期警戒機を入手可能であったが、両者の製品を比較して、イスラエルのファルコンのほうが全体的にロシアのA-50より優れていると判断し、1996年6月、中国はイスラエルからファルコンを購入する契約を結んだ。
 当初、米国は表だって反対しなかった。イスラエル政府が米政府に事前に通報していたこともさることながら、米国は台湾に対する早期警戒機の提供について中国から強く抗議されており、イスラエルによる中国へのファルコン提供は中国をなだめるのに役立つと思ったからであった。
 しかし、米国は、イスラエルによるファルコンの供与は米国にとって脅威になることを恐れ、イスラエルに対して提供を思いとどまるよう圧力をかけはじめた。イスラエルはかなり抵抗したらしいが、結局米国の圧力を跳ね返すことはできず、2000年7月、早期警戒機提供契約の履行を暫時停止することとした。
 すると中国の朱鎔基首相は、おりしも訪中していたロシアのプーチン大統領に対し、ロシア製A-50の購入希望を申し出、プーチン大統領は即座に承諾した。イスラエルの発表から1週間もたっていない時点での出来事であった。中国内には、ロシアのA-50は性能上イスラエルのファルコンに及ばないという意見があることは前述したとおりである。また、独自に開発すべきであるという主張もあったが、中国軍としては一刻も早く早期警戒機を獲得したい考えであり、ロシア機の購入に踏み切ったのである。
 11月、カシヤノフ・ロシア首相が訪中し、朱鎔基首相との間で、ロシアはまずA-50を2機中国に貸与すること、そして、後に5機を売却することに合意した。
 一方、イスラエルは担当の局長を北京に派遣し、契約に違反したことについて中国政府に正式に謝罪した。その際、イスラエルとしては他の国からの圧力を受けてそうせざるをえなかったと弁明し、さらに、いずれファルコンの取引を完了させたい考えであると粘ったと言われている。
 イスラエルの謝罪と弁明に対し、中国は、第三国による干渉に抗議し、かつ、国家間の合意は守られるべきであるとする声明を発表した。
この一連の経緯を通じて、中国とイスラエルの関係進展は一時期スローダウンしたが、中国がイスラエルに対する方針を大きく変更することはなく、その後も両国は軍事面での協力を継続した。
 中国は最近イスラエルに対するハイテク投資を急増させており、その分野では近い将来米国を抜いて一番になるという見方もある。その実態は軍事関連の投資であろう。

 中国は1989年の天安門事件から立ち直って以降、軍事力を急速に増強させ、それに伴い米国と何回か角を突き合わせた。訪中した米国防次官補に対し、中国の副総参謀長が核兵器に関し、「米国は中国を再び脅かすことはできない。最終的には、米国にとっては台北よりロサンジェルスのほうが大事だろう」と、将来核兵器を使用する可能性をにおわせる発言をして米国をひどく刺激したこともあった。両者が衝突するきっかけとなったのが台湾の総統選挙であり、またイスラエルによる中国への早期警戒機供与であった。しかし、中国の軍事力はまだ米国に遠く及ばず、いずれの場合にも中国は米国の影響力の大きさをあらためて見せつけられた。

 今や中国にとって、中東は武器のみならず資源確保の面でも重要な地域になっており、政治的には、イスラム過激派勢力から敵視されているという特殊状況も生じているが、全体的に中国と中東地域との関係は急速に進展している。
 中国は中東和平にも積極的に取り組む姿勢を見せており、2014年に入ってからパレスチナとイスラエルに呉思科特使を3回派遣し、また、王毅外相は同年8月初め、エジプトを訪問した。
 同地で王毅外相が発表した中東和平5項目提案では、イスラエルとパレスチナによる即時停戦、イスラエルによるガザ地区の封鎖解除、拘留パレスチナ人の解放、イスラエルの安全への懸念重視、パレスチナ人の独立と建国への正当な要求と合法的権利の支持など、中国がイスラエルとパレスチナ双方の立場に配慮する姿勢がよく示されていた。
 このような中国の積極的な外交姿勢は、これまで中東和平を進める主役であった米国の立場にも影響を及ぼすのではないかと注目されている。

(『季刊アラブ』No 154 2015年秋号 に掲載された)

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