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2018.02.04

トランプ政権の核戦略見直し

 米国政府は2月2日、今後5~10年の核政策の指針となる核戦略見直し(NPR)を発表した。トランプ政権は、「核なき世界」の実現を目標として掲げ、核の開発や使用に抑制的な姿勢を取ったオバマ前政権の方針から大きく転換し、新たな小型核や核巡航ミサイルを開発すること、核兵器を使わない攻撃への反撃にも核を使用する可能性があることを明らかにした。
   
 トランプ政権による核の見直しには大問題がある。
 
 なぜ小型の核を開発するかというと、それは使いやすいからである。通常の核兵器はひとたび使用されると全面核戦争になり、米国やロシア、中国などは間違いなくお互いに破壊しあい、また、強い放射能の影響で核戦争の当事国のみならず世界中が汚染され、死滅する。小型の核であれば、その影響は限られるので全面戦争に発展するのを回避できるという考えである。
 第二次大戦後、米ソ両国は限定的な破壊力の核兵器を開発し始めた。いわゆる「戦術核」であり、その意味は「戦場で使用可能な程度の爆発力の核兵器」である。米ロ両国はすでに一定数の「戦術核」を配備、あるいは即配備可能な状態で保有しており、2000年ころの時点では、米国は約500発、ロシアはその数倍を保有していると推定されていた。現在もさほど変わっていないだろう。
  
 しかし、この定義には致命的な欠陥がある。なぜならば、戦術核を一度使用することによって破壊を限定された範囲内にとどめることは可能かもしれないが、一度使用すると全面戦争に発展する危険が大きい。こちら側で使ったのが小型であっても、相手の国が通常の核兵器で反撃してこない保証はない。つまり、「使いやすい」というのは思い込みに過ぎず、「戦術核」として実際に使用可能だ、とみなすのはご都合主義の議論である。
 国際政治的に言えば、核兵器は破壊力が大きすぎて使えない、つまり、「敷居」が高すぎるので、それを低くするため小型化することであろうが、核がいったん使用されれば、戦争を小型にとどめることはできないと考えるべきである。
 爆発力が限定された兵器をどうしても必要だというなら、通常兵器によるべきである。核であれば、どんなに小さくても全面戦争になる危険が大きいが、通常兵器であればその危険は低い。
 
 今回の見直しで、「核兵器を使わない攻撃への反撃にも核を使用する可能性」を明記したが、相手が核を使っていないのに、こちらから核を使うことの問題点は前述したとおりである。ただ、この一文が意味しているのは、相手が核兵器を「持っていない場合」のことであろうが、核を持っていない相手方を核兵器国が核攻撃できるか、道義的にも問題があるのではないか。
 この問題は、長年議論されてきたことで結論は出ていないが、今後の方針としてそのようなことを公言するのは、「核の敷居」をさらに低める効果があるだろう。

 核の抑止力に頼らざるを得ない現状でもっとも大事なことは、敵対する相手が核を使うなら、こちら側は必ず核を使うという方針を堅持することである。いわば、「オール オア ナッシング」的に核を使うという方針を堅持し、その方針を天下に示すことである。
 今回の見直しが、「極限的な状況で核の使用を検討する」と、オバマ前政権と同じ表現をもちいたことは注目すべきであるが、他方では「核の敷居」を低くしようとしている。「核の敷居」を低くすれば、使いやすくなるように見えるかもしれないが、相手も「攻撃は限定的に抑制しているので、相手方、すなわち、こちら側も限定攻撃として受け止めてくれる」と考える余地が出てくる。それはこちら側の抑止力が低下することに他ならない。
 
 今回の見直しは、米国が核兵器を削減する一方、ロシアや中国は逆の方向に向かっていること、北朝鮮の核開発などを並べ立てているが、これらの国がどれほど核能力を向上させようと、大事なことは、米国が決定すればこれらの国を破壊できることであり、米国のこの能力には疑いの余地はない。核能力は核兵器の量と質で決定される。その意味でも米国の優位性に疑問をさしはさむ余地はないが、かりにロシアや中国が米国以上の核兵器を保有しようと、そのために米国の核の破壊力が減殺することはない。米国の核は今後も究極的な破壊力を保持し続けるだろう。
 今回の見直しのように、核の抑止力を徹底的に見極めることなく「核の敷居」を下げることは災いのもととなる。
 

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