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2016.08.05

毛沢東記念堂の移転

 毛沢東の遺体が安置されている毛沢東記念堂を天安門広場から毛沢東の生地である湖南省湘潭県韶山村に移転することについて、8月2日付の『多維新聞』(米国に本拠がある中国語新聞)が香港紙の情報をもとに報道している。

○決定案は王岐山が提出し、中共組織部長の趙楽際と副首相の劉延東が副署した。
○去る6月下旬の中共政治局会議で決定された。習近平も賛成した。
○25名の政治局員中23名が賛成し、2名は棄権した。
○毛沢東記念堂を天安門広場から移す提案は以前にもあった。今年の全人代(国会に相当)の際にも提案があった。
○河南省にあった強大な毛沢東像が撤去された際(2015年末?2016年初?)、非毛沢東化の始まりだという議論が起こったが、4年前の中共第17期(胡錦濤時代)七中全会の際にも、「毛沢東」とは言及されなかったが非毛沢東化の議論が起こっていた。

 この多維新聞の報道は、毛沢東記念堂の移転は「個人崇拝」を廃止することが目的だと感想を加えているが、「非毛沢東化」であれ、「非個人崇拝化」であれ、毛沢東の位置づけが変わるのは不可避だろう。毛沢東は歴史上大きな貢献をしたが、もはや共産主義中国の最高の指導者ではなくなり、政治の中心には不要であり、生地とはいえ、一地方に祭っておけばよいということになるのではないか。
そのようなことをあえてしたのは現在の一党独裁制下の官僚的支配体制にとって毛沢東思想は邪魔であり、また、同思想の順守を重視する人たちからの批判を事前に封殺するためだと思われる。具体的には、毛沢東が重視した大衆路線、農民、イデオロギーなどはますます退けられ、経済発展、共産党の指導などが重視されることになるのだろう。
 習近平主席は中国の大国化や経済発展を重視する一方、折に触れ「左派」的だといわれてきた。王岐山を派遣して腐敗の摘発につとめていることなどにもその傾向が表れており、毛沢東とその思想を掲げておくことは習近平にとって今後も有用ではないかと思われるが、今回の記念堂移転はそれとは逆の意味がある。うがちすぎた見方かもしれないが、現在の中国では毛沢東的な主張の復活を恐れざるを得ない緊張した政治状況が生じているのかもしれない。
 多維新聞が「習近平も賛成した」というのは、単に事実を述べたのか、それとも「左派」的なところがある習近平は反対する可能性があったと思われていたためか、気になるところだ。
 ともかく即断は禁物であり、中国の政治状況についてはより長い時間をかけ、またそのほかの事情との整合性などを見ていく必要がある。
 なお、王岐山が毛沢東記念堂の撤去を提案したのはなぜか。同人は腐敗摘発の実務責任者であり、今回の提案をするどんな理由があるのか、今のところ不明だ。

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