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朝鮮半島

2020.02.10

五島列島と韓国

 先日、五島列島へ旅行して、名所旧跡の説明が日本語、英語、中国語、それに韓国語で書いてあるのを見て感心した。日本語以外の言語でも説明する努力は全国的に行われているので珍しいことではないが、今でも日本語だけ、あるいは日本語と英語だけのところは少なくない。しかし、五島列島では、どこでも、生真面目に4つの言語で説明が書かれていた。

 もちろん、中国人や韓国人が多数訪れるからであるが、市町村の役場のほうでも4つの言語で説明するよう指導しているのだろう。そうでなければ、例外なく4言語で説明するようにはならないと思う。いずれにしても立派な「おもてなし」である。

 説明を読んでの感想は中国人と韓国人とでは大きく違っているはずである。名所旧跡の説明には、たとえば弘法大師が唐に渡り学んだことなど中国との関係がしばしば出てくるので、中国人は五島と中国との関係の歴史を知り、興味深いと思うだろう。中華の偉大さを想起する人もいるだろう。

 一方、五島の名所旧跡は韓国と関係がないので、説明に韓国関係の言及はなく、韓国人は第三国のことについての説明を読むことになる。それも興味深く思う韓国人もいるだろうが、自国についての説明を読む中国人とはまるで違った感想を持つだろう。なかには、歴史的怨念を思い出す韓国人がいるかもしれない。

 昔から韓国人は、東アジアで影響力があったのは中国やロシア、また、近代以降は欧米諸国や日本であり、韓国は常に影響を受ける国であったことに強い不満を抱いてきた。そのような背景を持つ韓国人は、五島の名所旧跡で説明を読むと、「また、中国と日本だけか」と思うかもしれないのである。このような韓国人の感覚は日本人には無縁なだけに、注意しておいて損はない。

 かと言って、韓国語の説明を止めた方がよいと言いたいのではない。むしろ逆であり、韓国とのご縁はできるだけ表に出し、アピールしたほうがよいと思う。

 五島と言えば教会群のイメージがあまりに強すぎて、遣唐使や中国との交易の歴史でさえかすんでしまうほどであり、韓国となるとさらにひどくて無関係だと思われているかもしれないが、実は、五島は韓国と無関係でない。

 若松島(上五島)の日島(ひのしま)というところには、中国および朝鮮との交易拠点があった(現存しているのは墳墓群のみ)という。

 15世紀、朝鮮通信使の一行に加わっていた申叔舟(しん しゅくしゅう、シン・スクチュ)は『海東諸国紀』の中で、日島の人が朝鮮と交易していたことを書き残しているくらいなので当時は重要な場所だったのだろう。位置関係を見ると、五島と朝鮮半島の間で交易が行われていたのはごく自然なことである。

 五島では今でも友人のことを「チング」と呼ぶが、これは韓国語だ。これに「ヨ」をつけて「チングヨ」ともいう。「友人です」という意味であるが、「ヨ」をもって「です」の意味を表すのは韓国語で普通の表現である。

 現在、日本と韓国との関係は悪化しているが、将来は何らかのきっかけで五島と韓国との交流が再び盛んになるかもしれない。かりに五島で韓国との関係についての研究が進み、その結果旅行者にも説明できることが出てくれば面白いことになる。韓国と言えば、何と言っても対馬だろうが、五島も韓国に近い。それに、五島ではいわゆる嫌韓意識は全く感じなかった。韓国に対して平常心で臨めるのは、徹底した韓国語での表記と並んで五島のアセット(財産)である。五島には可能性があると思う。

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