11月, 2017 - 平和外交研究所 - Page 3
2017.11.07
しかしながら、そのようなときだからこそ、米国の、というよりトランプ大統領の対日戦略は何かをあらためて見ておきたい。
北朝鮮問題が今回の首脳会談の主要議題の一つであり、北朝鮮に対して「最大限の圧力」を加える必要があるとの認識で両首脳は一致した。これは事前の予想通りの結果であった。安倍首相は「日米が100%ともにあることを力強く確認した」と表明し、また、トランプ大統領も安倍首相の発言にうなずくなど、両者は北朝鮮問題で完全に一致していることを強くアピールして見せた。
しかし、北朝鮮に関する両者の見解はほんとうに一致しているのか。安倍首相は北朝鮮に対して、かねてから「圧力を強化する必要がある」との一点張りであるが、トランプ氏はちょっと違うのではないか。
トランプ氏は、就任後間もない2月にフロリダで行われた安倍首相との会談で、北朝鮮問題については100%安倍首相を支持すると述べた。そしてその後もその発言を繰り返してきたらしい。安倍首相の、日米両国は100%ともにあるとの発言はその反映のように思われる。
しかし、トランプ氏の北朝鮮に対する認識にはかなりの幅がある。トランプ氏は、たしかに金正恩委員長を強く批判し、「リトル・ロケットマン」と嘲笑し、さらに米軍の圧倒的な軍事力を背景に恫喝的な発言までしているが、他方では、金正恩氏と対話する考えを漏らしたことがある。米朝両国が対話に進むか否かが問題になっている今は、さすがに言わなくなっているが、はたして本当に考えを変えたか、対話は望まなくなっているか疑問である。
また、トランプ氏は金正恩氏を一定程度理解する考えを示したこともある。たとえば、去る4月末にCBSとのインタビューでの発言である。
もしそうであれば、トランプ氏はなぜ安倍首相に100%支持するとまで表明するのか。
それは、安倍首相がトランプ氏に、北朝鮮の脅威を説き、圧力強化に集中することが必要だと説得した結果かもしれない。
しかし、それだけでなく、トランプ氏は安倍首相の強硬策が米国にとって都合がよいとみているのではないか。北朝鮮の脅威が高まり、日本が安全保障上米国への依存度をさらに深めると、米国が日本と貿易・通商面で交渉するのに有利になり、高価な武器を日本に売りつけるのにも役立つからだ。今回の首脳会談ではそのような考えが露骨に示された。トランプ大統領が武器売却に言及した際にみせた生き生きとした顔は印象的であったという。
もう一つ注目されるのは、トランプ政権には日本や中国との交渉に臨む際には一定の方針があるが、アジア・太平洋についての戦略はないことである。「アジアへのリバランス」を謳ったオバマ政権とは違っているのである。
現在、ホワイトハウスにも国務省にも、アジア・太平洋における戦略についてトランプ大統領に説得できる補佐がいないことも影響しているのだろう。
しかし、より本質的なことは、トランプ氏が多角的、地域的戦略を好まないことである。トランプ氏には、日本、中国、韓国などとどのように交渉するのがよいかについてはかなり明確な方針があるようだが、多角的、地域的戦略は見えてこない。見えてくるのは、「米国第一」と「偉大な米国の復活」への強い志向であり、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)や地球温暖化に関するパリ協定などを退けようとする姿勢である。
多角的、地域的バランスを重視しないトランプ政権の下で、米国の日本との同盟の絆が一層強まることは自然な流れであり、必然的なこととさえ思われる。しかし、そこに危険はないか。
理論の問題でない。トランプ政権の下で現実にどのような状況が生まれるか、明確な見通しを以って対応していく必要がある。
トランプ政権は、「すべての選択肢はテーブルの上にある」と言い、安倍首相は、前述したとおり、それを支持して、「日米が100%ともにあることを力強く確認した」と表明した。
しかるに、すべての選択肢のなかに北朝鮮に対する軍事行動が含まれているのは明らかであり、その意味合いを承知の上で安倍首相が米国を支持するのは危険なことであり、国民として容認できない。日本はあくまで米国が軍事行動に出ることに反対すべきである。それは地域的に必要なことでもある。米軍による軍事行動への支持は、「圧力を強化する」との表明よりも何倍も罪が重い。
安倍氏とトランプ氏は馬があうようだが、深層心理においては非常に違っている。安倍氏は先の大戦での我が国の行動は他国に対する侵略ではなかったという考えであろう。
一方、トランプ氏は「リメンバー・パールハーバー」を口にする米国人の一人である。今回の訪日に先立ってハワイを訪れた際にも、また、時間は前後するが、オバマ氏が米国大統領として初めて広島を訪問した際にもこの言葉を口にして批判した。
トランプ氏は、1941年の日本軍による真珠湾攻撃を忘れていないのだが、ただ単に忘れていないのでなく、現在の政治状況の中でもそのことを問題視しているのではないか。
また、トランプ氏はかつて日系人の強制収用は反省する必要がないという趣旨の発言をしたことがある。そこには、イスラムに対するのと同様、人種主義的な偏見があるのではないか。
現在と将来の日米関係を語るたびに「リメンバー・パールハーバー」と日系人の強制収容のことを持ち出すべきとは思わないが、トランプ氏の根底にあるこだわりや偏見を忘れるわけにはいかない。
米側でも安倍首相の戦争観を忘れていないだろう。日米間の同盟関係はゆるぎないものとなっているとしても、そのような側面があることには留意が必要である。
平時においては、両者のそのような違いは問題にならず、相性の良さばかりが目立つだろうが、北朝鮮をめぐって軍事衝突が起こるとそうはいかなくなる。米国が日本に対し自衛隊の派遣を求めてくれば日本としてどのように対応するか。2015年に改訂された安保法制に従えば、自衛隊は朝鮮半島へ出動することが、厳しい要件が満たされる場合であるが、可能になっている。しかし、国会の質疑においては、安倍首相は自衛隊が海外に派遣されることはないと断言した。トランプ氏が自衛隊の出動を求めてきた場合に日本としてどのように対応するのか。このようなことも考えて北朝鮮問題に対応する必要があるのではないか。
トランプ大統領の訪日
トランプ大統領の訪日(11月5~7日)は大成功であった。安倍首相とトランプ大統領の特別に緊密な関係には日本国民のみならず、世界が注目しただろう。米国の大統領がトランプ氏ほど日本に対する好意を表したことはかつてなかったと思われる。東アジアのみならず、世界の平和と安定にとって重要な役割を果たしている日米関係が一層固められたことは誠に喜ばしい。しかしながら、そのようなときだからこそ、米国の、というよりトランプ大統領の対日戦略は何かをあらためて見ておきたい。
北朝鮮問題が今回の首脳会談の主要議題の一つであり、北朝鮮に対して「最大限の圧力」を加える必要があるとの認識で両首脳は一致した。これは事前の予想通りの結果であった。安倍首相は「日米が100%ともにあることを力強く確認した」と表明し、また、トランプ大統領も安倍首相の発言にうなずくなど、両者は北朝鮮問題で完全に一致していることを強くアピールして見せた。
しかし、北朝鮮に関する両者の見解はほんとうに一致しているのか。安倍首相は北朝鮮に対して、かねてから「圧力を強化する必要がある」との一点張りであるが、トランプ氏はちょっと違うのではないか。
トランプ氏は、就任後間もない2月にフロリダで行われた安倍首相との会談で、北朝鮮問題については100%安倍首相を支持すると述べた。そしてその後もその発言を繰り返してきたらしい。安倍首相の、日米両国は100%ともにあるとの発言はその反映のように思われる。
しかし、トランプ氏の北朝鮮に対する認識にはかなりの幅がある。トランプ氏は、たしかに金正恩委員長を強く批判し、「リトル・ロケットマン」と嘲笑し、さらに米軍の圧倒的な軍事力を背景に恫喝的な発言までしているが、他方では、金正恩氏と対話する考えを漏らしたことがある。米朝両国が対話に進むか否かが問題になっている今は、さすがに言わなくなっているが、はたして本当に考えを変えたか、対話は望まなくなっているか疑問である。
また、トランプ氏は金正恩氏を一定程度理解する考えを示したこともある。たとえば、去る4月末にCBSとのインタビューでの発言である。
もしそうであれば、トランプ氏はなぜ安倍首相に100%支持するとまで表明するのか。
それは、安倍首相がトランプ氏に、北朝鮮の脅威を説き、圧力強化に集中することが必要だと説得した結果かもしれない。
しかし、それだけでなく、トランプ氏は安倍首相の強硬策が米国にとって都合がよいとみているのではないか。北朝鮮の脅威が高まり、日本が安全保障上米国への依存度をさらに深めると、米国が日本と貿易・通商面で交渉するのに有利になり、高価な武器を日本に売りつけるのにも役立つからだ。今回の首脳会談ではそのような考えが露骨に示された。トランプ大統領が武器売却に言及した際にみせた生き生きとした顔は印象的であったという。
もう一つ注目されるのは、トランプ政権には日本や中国との交渉に臨む際には一定の方針があるが、アジア・太平洋についての戦略はないことである。「アジアへのリバランス」を謳ったオバマ政権とは違っているのである。
現在、ホワイトハウスにも国務省にも、アジア・太平洋における戦略についてトランプ大統領に説得できる補佐がいないことも影響しているのだろう。
しかし、より本質的なことは、トランプ氏が多角的、地域的戦略を好まないことである。トランプ氏には、日本、中国、韓国などとどのように交渉するのがよいかについてはかなり明確な方針があるようだが、多角的、地域的戦略は見えてこない。見えてくるのは、「米国第一」と「偉大な米国の復活」への強い志向であり、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)や地球温暖化に関するパリ協定などを退けようとする姿勢である。
多角的、地域的バランスを重視しないトランプ政権の下で、米国の日本との同盟の絆が一層強まることは自然な流れであり、必然的なこととさえ思われる。しかし、そこに危険はないか。
理論の問題でない。トランプ政権の下で現実にどのような状況が生まれるか、明確な見通しを以って対応していく必要がある。
トランプ政権は、「すべての選択肢はテーブルの上にある」と言い、安倍首相は、前述したとおり、それを支持して、「日米が100%ともにあることを力強く確認した」と表明した。
しかるに、すべての選択肢のなかに北朝鮮に対する軍事行動が含まれているのは明らかであり、その意味合いを承知の上で安倍首相が米国を支持するのは危険なことであり、国民として容認できない。日本はあくまで米国が軍事行動に出ることに反対すべきである。それは地域的に必要なことでもある。米軍による軍事行動への支持は、「圧力を強化する」との表明よりも何倍も罪が重い。
安倍氏とトランプ氏は馬があうようだが、深層心理においては非常に違っている。安倍氏は先の大戦での我が国の行動は他国に対する侵略ではなかったという考えであろう。
一方、トランプ氏は「リメンバー・パールハーバー」を口にする米国人の一人である。今回の訪日に先立ってハワイを訪れた際にも、また、時間は前後するが、オバマ氏が米国大統領として初めて広島を訪問した際にもこの言葉を口にして批判した。
トランプ氏は、1941年の日本軍による真珠湾攻撃を忘れていないのだが、ただ単に忘れていないのでなく、現在の政治状況の中でもそのことを問題視しているのではないか。
また、トランプ氏はかつて日系人の強制収用は反省する必要がないという趣旨の発言をしたことがある。そこには、イスラムに対するのと同様、人種主義的な偏見があるのではないか。
現在と将来の日米関係を語るたびに「リメンバー・パールハーバー」と日系人の強制収容のことを持ち出すべきとは思わないが、トランプ氏の根底にあるこだわりや偏見を忘れるわけにはいかない。
米側でも安倍首相の戦争観を忘れていないだろう。日米間の同盟関係はゆるぎないものとなっているとしても、そのような側面があることには留意が必要である。
平時においては、両者のそのような違いは問題にならず、相性の良さばかりが目立つだろうが、北朝鮮をめぐって軍事衝突が起こるとそうはいかなくなる。米国が日本に対し自衛隊の派遣を求めてくれば日本としてどのように対応するか。2015年に改訂された安保法制に従えば、自衛隊は朝鮮半島へ出動することが、厳しい要件が満たされる場合であるが、可能になっている。しかし、国会の質疑においては、安倍首相は自衛隊が海外に派遣されることはないと断言した。トランプ氏が自衛隊の出動を求めてきた場合に日本としてどのように対応するのか。このようなことも考えて北朝鮮問題に対応する必要があるのではないか。
2017.11.06
「朝鮮通信使」とは江戸時代、前後12回にわたって朝鮮朝廷から徳川幕府に派遣された使節のことである。日本と李氏朝鮮との交流は室町時代から行われていたが、戦国時代に途絶えてしまった。そして、秀吉の朝鮮出兵により両国間の関係は極度に悪化した。
江戸時代になって徳川幕府は朝鮮からの使節派遣を求め、1607年、秀忠将軍の時に第1回目の「朝鮮通信使」が実現した。それから1811年の第12回まで継続された。
「朝鮮通信使」という名称だが、外交使節にほかならず、朝鮮朝廷は大規模な使節団を派遣した。多い時には約500人にも上った。
随員の中には文化水準が非常に高い人が含まれていた。当時の日本人は通信使一行との交流に熱心であり、宿泊先に駆けつけ、自作の詩を朝鮮側の随員に見せたり、詩や文章を書いてもらったりしていた。現在、関連資料は日韓両国にまたがる40カ所に残されている。
「朝鮮通信使」は我々の想像力をかきたててくれる。いくつか挙げてみると、
〇日本は江戸時代、原則鎖国であり、オランダと中国(明と清)にだけは例外的に門戸を開いていたと説明されることが多いが、朝鮮との交流は、政府間の交流の意味でも、また、貿易の点でもこれら両国に引けを取らないものであった。しかし、我が国ではそのような位置づけは与えられていない。「朝鮮通信使」のことは最近ようやく話題になることが漸増してきたが、オランダや中国とはまだまだ比較にならない扱いである。「朝鮮通信使」は日本史の中で正しく位置付けられるべきであり、また、日本の外交史としても語られるべきではないか。
〇使節は朝鮮からだけ派遣され、日本からは送られなかった。日本側で朝鮮との交流の窓口になっていた対馬藩からは使者が朝鮮に派遣され、将軍からの書簡(「国書」と呼んでいた)を持参したこともあったが、幕府の使節とはみなされていなかった。かりに、幕府の使節だとしてもその規模は朝鮮からの使節とは比較にならない小規模であったし、朝鮮朝廷としても幕府の使節とみなしていなかったのではないか。
〇幕府は自ら使節を派遣せず、平たく言えば、朝鮮側を呼びつけた格好になった。
朝鮮側としては、日本の状況を知りたく、また、日本に連れ去られていた朝鮮人を連れ帰りたかったが、幕府に呼びつけられた形で訪日することについては抵抗があり、できるだけ平等の形にしたかった。そのためであろう、朝鮮朝廷は、日本側に正式の要請状を提出するよう求めた。「国書」と呼ばれていたものである。「国書」問題は対馬藩の努力により、何とか解決したが、その間に、幕府も朝鮮朝廷もたがいにメンツにこだわり、両方から圧力を受けた対馬藩は対応に苦慮した。同藩では「国書」の偽造まで行った。
朝鮮側は第3回目まで「朝鮮通信使」でなく、「回答兼刷還使」と呼称していた。「回答」は、日本側からの要望に応えて使節を派遣するのだということ、「刷還使」は朝鮮人を連れ帰ることが目的だと言っているのである。
朝鮮側にはそのような抵抗はあったが、結局は幕府の要望に応じた。両国間の力関係は対等でなく、特に武力面では日本側が優位にあったからだと思われるが、はたしてそのような理解でよいか。
〇幕府は、朝鮮からの使節を大名の参勤交代のように見ていたわけではなく、一国の正式の使節にふさわしい接遇をしなければならないと考え、関係する拡販に丁重に接待するよう命じていた。各藩にとってそのための負担は非常に重かったそうだ。
また、幕府が第1回通信使で約1300人の朝鮮人の帰国を認めたのは、一定程度朝鮮側を尊重する気持ちがあったからではないか。
〇朝鮮出兵の際、日本側が連れてきた朝鮮人は数千名から一万名を超える数であったらしい。そのうち、第3回の通信使(1624年)までに帰国できたのは6000~7500人に上ったと言われている。南蛮などに奴隷として売られた者、滞在の長期化で日本に家族ができた者もあったというが、実情はどうだったのか。さらなる調査研究が必要ではないか。
「朝鮮通信使」に関する資料が「世界の記憶」に登録されたことはよろこばしい。これを機会に、日朝交流史と日本外交史の研究がさらに進むことが期待される。
朝鮮通信使の「世界の記憶」登録
10月30日、ユネスコで「朝鮮通信使」に関する記録と「上野三碑」が「世界の記憶(以前は「世界記憶遺産」と呼ばれていた)」に選ばれた。「朝鮮通信使」とは江戸時代、前後12回にわたって朝鮮朝廷から徳川幕府に派遣された使節のことである。日本と李氏朝鮮との交流は室町時代から行われていたが、戦国時代に途絶えてしまった。そして、秀吉の朝鮮出兵により両国間の関係は極度に悪化した。
江戸時代になって徳川幕府は朝鮮からの使節派遣を求め、1607年、秀忠将軍の時に第1回目の「朝鮮通信使」が実現した。それから1811年の第12回まで継続された。
「朝鮮通信使」という名称だが、外交使節にほかならず、朝鮮朝廷は大規模な使節団を派遣した。多い時には約500人にも上った。
随員の中には文化水準が非常に高い人が含まれていた。当時の日本人は通信使一行との交流に熱心であり、宿泊先に駆けつけ、自作の詩を朝鮮側の随員に見せたり、詩や文章を書いてもらったりしていた。現在、関連資料は日韓両国にまたがる40カ所に残されている。
「朝鮮通信使」は我々の想像力をかきたててくれる。いくつか挙げてみると、
〇日本は江戸時代、原則鎖国であり、オランダと中国(明と清)にだけは例外的に門戸を開いていたと説明されることが多いが、朝鮮との交流は、政府間の交流の意味でも、また、貿易の点でもこれら両国に引けを取らないものであった。しかし、我が国ではそのような位置づけは与えられていない。「朝鮮通信使」のことは最近ようやく話題になることが漸増してきたが、オランダや中国とはまだまだ比較にならない扱いである。「朝鮮通信使」は日本史の中で正しく位置付けられるべきであり、また、日本の外交史としても語られるべきではないか。
〇使節は朝鮮からだけ派遣され、日本からは送られなかった。日本側で朝鮮との交流の窓口になっていた対馬藩からは使者が朝鮮に派遣され、将軍からの書簡(「国書」と呼んでいた)を持参したこともあったが、幕府の使節とはみなされていなかった。かりに、幕府の使節だとしてもその規模は朝鮮からの使節とは比較にならない小規模であったし、朝鮮朝廷としても幕府の使節とみなしていなかったのではないか。
〇幕府は自ら使節を派遣せず、平たく言えば、朝鮮側を呼びつけた格好になった。
朝鮮側としては、日本の状況を知りたく、また、日本に連れ去られていた朝鮮人を連れ帰りたかったが、幕府に呼びつけられた形で訪日することについては抵抗があり、できるだけ平等の形にしたかった。そのためであろう、朝鮮朝廷は、日本側に正式の要請状を提出するよう求めた。「国書」と呼ばれていたものである。「国書」問題は対馬藩の努力により、何とか解決したが、その間に、幕府も朝鮮朝廷もたがいにメンツにこだわり、両方から圧力を受けた対馬藩は対応に苦慮した。同藩では「国書」の偽造まで行った。
朝鮮側は第3回目まで「朝鮮通信使」でなく、「回答兼刷還使」と呼称していた。「回答」は、日本側からの要望に応えて使節を派遣するのだということ、「刷還使」は朝鮮人を連れ帰ることが目的だと言っているのである。
朝鮮側にはそのような抵抗はあったが、結局は幕府の要望に応じた。両国間の力関係は対等でなく、特に武力面では日本側が優位にあったからだと思われるが、はたしてそのような理解でよいか。
〇幕府は、朝鮮からの使節を大名の参勤交代のように見ていたわけではなく、一国の正式の使節にふさわしい接遇をしなければならないと考え、関係する拡販に丁重に接待するよう命じていた。各藩にとってそのための負担は非常に重かったそうだ。
また、幕府が第1回通信使で約1300人の朝鮮人の帰国を認めたのは、一定程度朝鮮側を尊重する気持ちがあったからではないか。
〇朝鮮出兵の際、日本側が連れてきた朝鮮人は数千名から一万名を超える数であったらしい。そのうち、第3回の通信使(1624年)までに帰国できたのは6000~7500人に上ったと言われている。南蛮などに奴隷として売られた者、滞在の長期化で日本に家族ができた者もあったというが、実情はどうだったのか。さらなる調査研究が必要ではないか。
「朝鮮通信使」に関する資料が「世界の記憶」に登録されたことはよろこばしい。これを機会に、日朝交流史と日本外交史の研究がさらに進むことが期待される。
2017.11.01
今年の決議案について推進派が特に問題視したのは、去る7月に国連で採択された核兵器禁止条約にまったく触れていないことであった。慎重派からすれば、核兵器禁止条約はそもそも反対の意見を顧みず強引に成立させた条約だから、それを決議案に記入する必要はないということなのであろう。
この立場の違いは解消されていない。慎重派である日本はこの条約に署名しておらず、そのため強い批判も受けているが、米国の核の傘に依存している限りやむを得ない選択だという判断もありうる。
しかし、賛成か反対かはともかく、この条約の成立は核の歴史において一つの重要な出来事であり、無視することは適切でない。日本としては積極的に臨むことは困難であっても、核の廃絶決議案においてこの条約に言及しつつ、現時点では慎重派の意見にも注意を払う必要があることを記入するなど、工夫の余地があったと思う。
推進派が問題視するもう一つの点は、これまで核をめぐる矛盾に満ちた、困難な状況下で、日本を含め各国が汗水流して考案してきた、核の非人道性や核廃絶の決意に関する文言が、今回の決議案によって薄められたことであった。中には、今回の決議案が、国際社会がこれまで努力してきたことに反しているという認識もあったようだ。NZのデル・ヒギー軍縮大使は「今年の決議案には過去の決議からの根源的な逸脱があり落胆している」とも述べたそうだ。スウェーデンやスイスの大使も来年以降の決議案の内容に強い警戒感を示していたという。
これらの国は、大国ではないが、推進派の中でも急進的でなく、日本の状況をよく理解し、何かと助け舟を出してくれており、日本として協力していくことが必要な国ばかりである。日本政府には、これらの国の存在と意見を無視することがないよう希望したい。日本政府は、これまで、核兵器国と非核保有国との間の橋渡し役になると述べてきており、評価されてきた。日本政府は、今後もそのような姿勢を維持すべきであるが、そのためには核軍縮のために各国が払ってきた努力を尊重する必要がある。
日本が1994年以来、核兵器の廃絶のために国連に提出してきたこの決議案は、被爆国でありながら、米国の核に依存しているという日本の矛盾した立場が根底にあった。そのため日本はどちらを向いているのか分からない、と疑惑の目で見られたことも少なくなかったが、苦しみながらもなんとか対応し、一方に偏するのを回避してきた。
しかし、核兵器禁止条約の成立後の状況は違う。今までの方法でも決議案を成立させることはできるだろうが、その過程において日本は核の使用論者だという印象をますます強く与える結果になるおそれがある。日本は最近、米国の核先制不使用宣言に反対した。また、今回の決議案をめぐっても日本は核の使用を必要と考えているのだという疑惑を惹起してしまった。
にもかかわらず、日本としては今後も核の使用に制約となることは一切言えないと考えるのであれば、推進派と折合う道はますます狭くなるだろう。逆に対立が強くなるおそれもある。そうなれば泥沼に陥る。
極端なようだが、この際、思い切って、この決議案の提出を終了させてはいかがかと考える。そして、あらたに日本の積極性を示す方策を検討すべきである。
その方策として、国連などで核の非人道性に対する各国の理解を深める努力を強化することが考えられる。数年前から始まった非人道性に関する会議は途中から推進派によって核兵器禁止条約に転換されてしまった。しかし、非人道性については表面的なことしか理解されていないという現実は変わらない。なすべきことは多々ある。また、日本としては特別の義務がある。非人道性を深める努力には核兵器国のなかにも理解しようとする国があるだろう。
日本が提出する核廃絶決議案
国連総会に日本が毎年提出している核廃絶決議案は今年も提出されたが、賛成する国は23カ国減少して144カ国となった。かつてない大幅な減少となったのは、先般成立した核兵器禁止条約をめぐって、核の抑止力に依存している国(慎重派)と、核の廃絶を何としても進めなければならないという考えの国(推進派)が対立することになったからである。今年の決議案について推進派が特に問題視したのは、去る7月に国連で採択された核兵器禁止条約にまったく触れていないことであった。慎重派からすれば、核兵器禁止条約はそもそも反対の意見を顧みず強引に成立させた条約だから、それを決議案に記入する必要はないということなのであろう。
この立場の違いは解消されていない。慎重派である日本はこの条約に署名しておらず、そのため強い批判も受けているが、米国の核の傘に依存している限りやむを得ない選択だという判断もありうる。
しかし、賛成か反対かはともかく、この条約の成立は核の歴史において一つの重要な出来事であり、無視することは適切でない。日本としては積極的に臨むことは困難であっても、核の廃絶決議案においてこの条約に言及しつつ、現時点では慎重派の意見にも注意を払う必要があることを記入するなど、工夫の余地があったと思う。
推進派が問題視するもう一つの点は、これまで核をめぐる矛盾に満ちた、困難な状況下で、日本を含め各国が汗水流して考案してきた、核の非人道性や核廃絶の決意に関する文言が、今回の決議案によって薄められたことであった。中には、今回の決議案が、国際社会がこれまで努力してきたことに反しているという認識もあったようだ。NZのデル・ヒギー軍縮大使は「今年の決議案には過去の決議からの根源的な逸脱があり落胆している」とも述べたそうだ。スウェーデンやスイスの大使も来年以降の決議案の内容に強い警戒感を示していたという。
これらの国は、大国ではないが、推進派の中でも急進的でなく、日本の状況をよく理解し、何かと助け舟を出してくれており、日本として協力していくことが必要な国ばかりである。日本政府には、これらの国の存在と意見を無視することがないよう希望したい。日本政府は、これまで、核兵器国と非核保有国との間の橋渡し役になると述べてきており、評価されてきた。日本政府は、今後もそのような姿勢を維持すべきであるが、そのためには核軍縮のために各国が払ってきた努力を尊重する必要がある。
日本が1994年以来、核兵器の廃絶のために国連に提出してきたこの決議案は、被爆国でありながら、米国の核に依存しているという日本の矛盾した立場が根底にあった。そのため日本はどちらを向いているのか分からない、と疑惑の目で見られたことも少なくなかったが、苦しみながらもなんとか対応し、一方に偏するのを回避してきた。
しかし、核兵器禁止条約の成立後の状況は違う。今までの方法でも決議案を成立させることはできるだろうが、その過程において日本は核の使用論者だという印象をますます強く与える結果になるおそれがある。日本は最近、米国の核先制不使用宣言に反対した。また、今回の決議案をめぐっても日本は核の使用を必要と考えているのだという疑惑を惹起してしまった。
にもかかわらず、日本としては今後も核の使用に制約となることは一切言えないと考えるのであれば、推進派と折合う道はますます狭くなるだろう。逆に対立が強くなるおそれもある。そうなれば泥沼に陥る。
極端なようだが、この際、思い切って、この決議案の提出を終了させてはいかがかと考える。そして、あらたに日本の積極性を示す方策を検討すべきである。
その方策として、国連などで核の非人道性に対する各国の理解を深める努力を強化することが考えられる。数年前から始まった非人道性に関する会議は途中から推進派によって核兵器禁止条約に転換されてしまった。しかし、非人道性については表面的なことしか理解されていないという現実は変わらない。なすべきことは多々ある。また、日本としては特別の義務がある。非人道性を深める努力には核兵器国のなかにも理解しようとする国があるだろう。
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