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2013.10.27

特定秘密保護法案

安倍政権が力を入れている秘密保護法案は閣議決定を経て国会へ提出された。
「特定秘密」に指定される基準が不明確である、一度指定されるとなかなか解除されない、国民の知る権利を阻害する、特定秘密にかかわる可能性のある公務員に対する適性評価(身元調査)の問題、など論点は少なくない。
とくに、つぎの諸点が気になる。
「特定秘密」として指定すべきか否か、問題が現実に発生する以前には明確でないことが多いので、自信が持てないときには指定をしてしまう。指定をしなかったことが後日問題になることはあろうが、し過ぎたために責任を追及されることはまずないので、そのような心理が働くことになる。このような例は霞が関に現実に存在し、各省庁ともその対策に頭を悩ませてきた。つまりそのような過剰指定はよくないと判断し、その対策を講じようとしてきたが、効果的な対策は打てないでいる。
もう一つは、米国から日本の秘密保護は不十分だと言われたのでこの法律を作ることになったのではないか。これは推測にすぎないが、どうもそう思える。しかし、米国自身がWikileaksやSnowdenにより情報漏えいで問題を起こしているのではないか。Wikileaksについては、表向き米国政府はコメントしないという立場であり、日本政府もそれに倣っているが、情報の管理については本音で語らなければならない。米国の情報管理に対する感覚には疑問を覚えることがある。イラク戦争の際の大量破壊兵器に関する情報の内容も、その伝達についても問題があったのではないか。米国がテロの標的になることが多いのは事実であり、それだけ対応に苦慮しているのはまことに同情すべきであるが、情報収拾についても問題がある。第二次大戦での敵国の暗号解読や、冷戦中のソ連のスパイに関する情報収集のように成功した例もあるが、どうもおかしいと思うこともある。最たる例が、メルケル首相の携帯電話盗聴である。同首相はオバマ大統領に「友人の電話を盗聴すべきでない」と抗議したそうである。国務省のスポークスマンは、現在および今後盗聴はないと言っているが、これまでしたかどうかについては口を閉ざしていたのではないか。
要するに、米国の情報収集と管理には米国のやり方があるが、同じ方法が日本に向いているとは思えない。内閣府は日本での情報漏えいのケースを具体的にあげているが、尖閣諸島海域での中国漁船の行動に関する映像をリークしたことにはメリットもあったのではないか。少なくとも、「特定秘密」に指定して国民が知る道を閉ざしてしまうのがよいケースであったか疑問である。


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