オピニオン
2024.08.05
防衛省・自衛隊は、日本の防衛と災害救助などに献身的な努力を行い、国民から感謝されている一方、このような不祥事を組織ぐるみで隠ぺいしていたのである。
問題点は少なくないが、本稿では、武器を保有し、危険な任務に従事する自衛隊が健全に機能するのに絶対的に必要なシビリアン・コントロールが、再度機能しなかったこと、また現在の制度では問題の是正は望みえないことを改めて指摘したい。
シビリアン・コントロールにかかわる問題は戦後何回か発生した。7年前の2017年には、南スーダンへの自衛隊PKO部隊の派遣に関し、防衛大臣に虚偽の報告が行われた(詳しくは平和外交研究所HP2017年8月10日「内閣改造②シビリアン・コントロール」)。
日本国憲法の下では、そもそも「シビリアン・コントロール」を論じる余地はあるのか、という疑問もある。憲法9条によれば、日本に「軍」はないので、シビリアン・コントロールの必要はないとも考えられるからである。しかし、日本は自衛のために武装した自衛隊を持っているので、やはり、シビリアン・コントロールは必要である。
憲法では、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定(66条2項)によって、シビリアン・コントロールが確保されていると解されている。しかし、実際にはシビリアン・コントロールは機能しておらず、この憲法規定は一種のアリバイ、つまりシビリアン・コントロールの体制はちゃんとできているという口実に使われているにすぎない。
戦前、軍は、政府の反対を押し切って主張を通すために内閣を倒すことも辞さないとの態度であり、それは旧憲法下では可能であった。戦後の憲法ではそれは不可能になっているが、以下に述べる理由から、シビリアン・コントロールはいざという時に機能しなくなっており、その意味では戦前と変わらない状況にある。
第1に、防衛大臣に就任する人はつねに能力があるとは限らない。自衛隊を適切に監督できる人もいれば、できない人もいる。さらに、防衛大臣は、例えば、政治資金規正法違反の理由で刑事罰を受けるかもしれない。また、自衛隊を政治目的に濫用するかもしれない。
自衛隊から見ても、心底から仕えたい防衛大臣もいれば、信頼できない人もいる。これらは通常、表で語られないことであるが、現実には問題になりうることが南スーダンへの部隊派遣の際に露呈した。
要するに、文民が自衛隊のトップであっても、それだけでは安心できないのである。防衛大臣など自衛隊を指揮する者が文民でなければならないのは、シビリアン・コントロールの必要条件であるが、十分条件ではないのである。
第2に、一般的に、自衛隊の主張には説得力があり、防衛大臣がそれを承認しないとするのは事実上困難である。たとえば、自衛隊が、作戦Aでは成功しなかったので作戦Bが必要と主張するケースを考えてみよう。政府は諸外国との関係など総合的な考慮から作戦Bを実行すべきでないと判断しても、防衛大臣ははたして作戦Bを不許可とできるか。理論的にはもちろんできるはずだが、実際には、自衛隊は現場をよく知っており、よく考えて防衛大臣に上げてくるだろうからその主張には説得力がある。
また、かつての帝国軍隊の場合は、作戦を途中で変更すると、それまでの犠牲を「無駄にするのか」という議論が使われたが、今の自衛隊においても同じことが起こりうる。
そもそも、政府の判断には多かれ少なかれ妥協が含まれており、したがって説得力は強くない。自衛隊の考えのほうが理屈にかなっているように見えることはよくあることである。
しかし、それでも自衛隊の主張を退け、政府の判断に従わせなければならないことがある。これがシビリアン・コントロールであるが、単に上に立つ政府が自衛隊を押さえつけるということでなく、長い目で見ると妥協をした政府のほうが正しかったことが分かってくるのである。これは裁判の証明のようなことでないが、歴史の教訓である。
日本の憲法規定は米国に習ったものであるが、実は、日米のシビリアン・コントロールは同じでない。米国ではシビリアン・コントロールはよく効いているように見えるが、実際にはシビリアン・コントロールは簡単でなく、あらゆる手段で確保に努めなければならないと認識されている。
これに比べると、日本のシビリアン・コントロールは、憲法の規定はあるが、自衛隊の海外での武力行使は皆無であり、したがってまた、シビリアン・コントロールが本当に必要になる事態には立ち至ったことがなかった。つまり経験が乏しいので、シビリアン・コントロールの議論は机上の空論に陥るのである。旧憲法下では問題とすべき事例が多数あったが、旧軍のことは現在の自衛隊とはほぼ完全に切り離されており、参照すべき前例とは認識されていない。かつての苦い経験として、「旧軍では○○であった」と主張しても防衛省・自衛隊には響かない。
今後どうすればよいかだが、憲法を改正して自衛隊を正規の防衛軍にするなら、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則を明記すべきだ。つまり、文民によるコントロールは人の面からの規制であり、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則はルールの問題であり、両方が必要である。
そして、この二つの原則の下でシビリアン・コントロールが必要な諸事項、とくに、政治にかかわってくる問題について自衛隊がどこまで研究したり、主張したりできるかを法律で規定すべきである。かつて、自衛隊員が有事の場合の対応に関する法制上の欠陥について研究したことが問題視されたことがあったが、一概に否定されるべきことではなかった。それは一定程度まで、つまり、シビリアン・コントロールに反しない限度内では認められてしかるべきことであった。
さらに、制度面の措置とともに、戦前の軍による暴走とそれをコントロールできなかった政治の欠陥などを含め歴史を徹底的に見つめなおし、その結果を政府と自衛隊の在り方に反映させ、自衛隊が政府に反旗を翻すようなことはあり得ないようにする努力が必要である。一般の国民は、そんなことまで行う必要があるのかと疑問視するかもしれないが、シビリアン・コントロールは危険な任務についている自衛隊において、かりに問題が起こってもずるずると坂道を転げ落ちていかないよう食い止めるための防災措置である。
防衛省・自衛隊における不祥事とシビリアン・コントロール
最近、防衛省・自衛隊において、潜水手当の不正受給や、国の安全保障に関わる「特定秘密」違反などで200人以上が処分された。また、手当を不正受給した元隊員が逮捕されたが、8か月間木原防衛大臣に報告されていなかったことが判明した。増田防衛事務次官はこれら不祥事の関係で短期間に2度処分された。この他、民間企業が海上自衛隊員らに裏金で接待していた疑惑、海自隊員が自衛隊施設の食堂で金を払わずに食事をとる「不正喫食」問題、防衛省幹部のパワーハラスメントなどもあった。防衛省・自衛隊は、日本の防衛と災害救助などに献身的な努力を行い、国民から感謝されている一方、このような不祥事を組織ぐるみで隠ぺいしていたのである。
問題点は少なくないが、本稿では、武器を保有し、危険な任務に従事する自衛隊が健全に機能するのに絶対的に必要なシビリアン・コントロールが、再度機能しなかったこと、また現在の制度では問題の是正は望みえないことを改めて指摘したい。
シビリアン・コントロールにかかわる問題は戦後何回か発生した。7年前の2017年には、南スーダンへの自衛隊PKO部隊の派遣に関し、防衛大臣に虚偽の報告が行われた(詳しくは平和外交研究所HP2017年8月10日「内閣改造②シビリアン・コントロール」)。
日本国憲法の下では、そもそも「シビリアン・コントロール」を論じる余地はあるのか、という疑問もある。憲法9条によれば、日本に「軍」はないので、シビリアン・コントロールの必要はないとも考えられるからである。しかし、日本は自衛のために武装した自衛隊を持っているので、やはり、シビリアン・コントロールは必要である。
憲法では、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定(66条2項)によって、シビリアン・コントロールが確保されていると解されている。しかし、実際にはシビリアン・コントロールは機能しておらず、この憲法規定は一種のアリバイ、つまりシビリアン・コントロールの体制はちゃんとできているという口実に使われているにすぎない。
戦前、軍は、政府の反対を押し切って主張を通すために内閣を倒すことも辞さないとの態度であり、それは旧憲法下では可能であった。戦後の憲法ではそれは不可能になっているが、以下に述べる理由から、シビリアン・コントロールはいざという時に機能しなくなっており、その意味では戦前と変わらない状況にある。
第1に、防衛大臣に就任する人はつねに能力があるとは限らない。自衛隊を適切に監督できる人もいれば、できない人もいる。さらに、防衛大臣は、例えば、政治資金規正法違反の理由で刑事罰を受けるかもしれない。また、自衛隊を政治目的に濫用するかもしれない。
自衛隊から見ても、心底から仕えたい防衛大臣もいれば、信頼できない人もいる。これらは通常、表で語られないことであるが、現実には問題になりうることが南スーダンへの部隊派遣の際に露呈した。
要するに、文民が自衛隊のトップであっても、それだけでは安心できないのである。防衛大臣など自衛隊を指揮する者が文民でなければならないのは、シビリアン・コントロールの必要条件であるが、十分条件ではないのである。
第2に、一般的に、自衛隊の主張には説得力があり、防衛大臣がそれを承認しないとするのは事実上困難である。たとえば、自衛隊が、作戦Aでは成功しなかったので作戦Bが必要と主張するケースを考えてみよう。政府は諸外国との関係など総合的な考慮から作戦Bを実行すべきでないと判断しても、防衛大臣ははたして作戦Bを不許可とできるか。理論的にはもちろんできるはずだが、実際には、自衛隊は現場をよく知っており、よく考えて防衛大臣に上げてくるだろうからその主張には説得力がある。
また、かつての帝国軍隊の場合は、作戦を途中で変更すると、それまでの犠牲を「無駄にするのか」という議論が使われたが、今の自衛隊においても同じことが起こりうる。
そもそも、政府の判断には多かれ少なかれ妥協が含まれており、したがって説得力は強くない。自衛隊の考えのほうが理屈にかなっているように見えることはよくあることである。
しかし、それでも自衛隊の主張を退け、政府の判断に従わせなければならないことがある。これがシビリアン・コントロールであるが、単に上に立つ政府が自衛隊を押さえつけるということでなく、長い目で見ると妥協をした政府のほうが正しかったことが分かってくるのである。これは裁判の証明のようなことでないが、歴史の教訓である。
日本の憲法規定は米国に習ったものであるが、実は、日米のシビリアン・コントロールは同じでない。米国ではシビリアン・コントロールはよく効いているように見えるが、実際にはシビリアン・コントロールは簡単でなく、あらゆる手段で確保に努めなければならないと認識されている。
これに比べると、日本のシビリアン・コントロールは、憲法の規定はあるが、自衛隊の海外での武力行使は皆無であり、したがってまた、シビリアン・コントロールが本当に必要になる事態には立ち至ったことがなかった。つまり経験が乏しいので、シビリアン・コントロールの議論は机上の空論に陥るのである。旧憲法下では問題とすべき事例が多数あったが、旧軍のことは現在の自衛隊とはほぼ完全に切り離されており、参照すべき前例とは認識されていない。かつての苦い経験として、「旧軍では○○であった」と主張しても防衛省・自衛隊には響かない。
今後どうすればよいかだが、憲法を改正して自衛隊を正規の防衛軍にするなら、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則を明記すべきだ。つまり、文民によるコントロールは人の面からの規制であり、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則はルールの問題であり、両方が必要である。
そして、この二つの原則の下でシビリアン・コントロールが必要な諸事項、とくに、政治にかかわってくる問題について自衛隊がどこまで研究したり、主張したりできるかを法律で規定すべきである。かつて、自衛隊員が有事の場合の対応に関する法制上の欠陥について研究したことが問題視されたことがあったが、一概に否定されるべきことではなかった。それは一定程度まで、つまり、シビリアン・コントロールに反しない限度内では認められてしかるべきことであった。
さらに、制度面の措置とともに、戦前の軍による暴走とそれをコントロールできなかった政治の欠陥などを含め歴史を徹底的に見つめなおし、その結果を政府と自衛隊の在り方に反映させ、自衛隊が政府に反旗を翻すようなことはあり得ないようにする努力が必要である。一般の国民は、そんなことまで行う必要があるのかと疑問視するかもしれないが、シビリアン・コントロールは危険な任務についている自衛隊において、かりに問題が起こってもずるずると坂道を転げ落ちていかないよう食い止めるための防災措置である。
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