中国
2013.11.29
カイロ会議は1943年、ローズベルト米大統領、チャーチル英首相および中国からは蒋介石総統が出席し、第二次大戦終結後、日本から台湾や朝鮮半島などを取り上げることを話しあった会議であり、ポツダム宣言を経て、サンフランシスコ平和条約で法的に決着する領土問題解決の第1歩であった。
多維新聞の記事はカイロ会議をおおむね客観的に説明しており、そのなかには次のような言及がある。
「不可解なのは、蒋介石が同会議において2回にわたりローズベルト米大統領の、日本により武力で奪われた琉球諸島を回復してあげるという好意を断ったことである。この結果、日本は大助かりとなり、米国は大きな利益を獲得し、中国は尖閣諸島に関する紛争において不利な立場に置かれた(処于下風的局面)」
「蒋介石はローズベルトと4回会談した。11月23日夜、(中略)ローズベルトは、「日本は不正な手段で琉球諸島を奪ったのであり、これを日本からはく奪すべきである。琉球は地理的に貴国(注 台湾のこと)に近接しており、歴史的にも貴国と緊密な関係がある。貴国が琉球諸島を望むなら貴国の管理に委ねても与えてもよい(可以交給貴国管理)」と述べた。これは突然の話であり、蒋介石は全く予想しておらず、何と答えてよいか分からなかった。長い間黙っていたが、最後に「これらの諸島は中米両国が占領し、その後国際的信託により中米両国が管理するのがよいと思う」と述べたので、ローズベルトはそれ以上何もいわなかった」。
多維新聞は、25日にも、ローズベルトが同じ話をしたことを紹介しており、「ローズベルトは蒋介石が沈黙してしまった(注 この時も23日と同様沈黙したらしい)ので、よく聞こえなかったのかと思い、「貴国は琉球を欲しいか(要不要)。もし欲しいのであれば、戦争終了後貴国にあげる(就将琉球群岛交给贵国)」と言ったが、蒋介石は何回もためらいながら、最後に「琉球問題は複雑であり、私はやはり中米の共同管理がよいと思う」と述べ、ローズベルトは蒋介石がほんとうに琉球諸島を欲していないことが分かった」と解説している。
さらに多維新聞は、蒋介石が琉球諸島を要らないと言ったのは、東北地方(注 満州)、台湾および澎湖諸島を取り戻すことを最重要目標としていたからであること、また、中国が琉球を獲得すると将来日本との間で問題が残ることを恐れたためであること、しかし、後になって蒋介石は、カイロで琉球を獲得しなかったことを後悔するようになったことなども紹介している。
このような多維新聞および環球時報の記事が6カイロ会議を正確に伝えているか保証の限りでないが、琉球諸島を中国の代表が要らないという立場を取ったこと、およびそのために尖閣諸島に関する中国の立場が弱くなったと中国(の一部?)が自認していることが示されている。
琉球諸島をいらないと言った蒋介石
11月28日付の『多維新聞』(海外に本拠地がある中国語新聞。中国に詳しいが台湾でも引用される)が、今から8年以上も前の2005年7月22日に『環球時報』(人民日報の傘下にあるがより激しい論調で知られている)が掲載した「第二次大戦中のカイロ会議で蒋介石が琉球諸島を2回断ったことが尖閣諸島に関する紛争の種であった」と題する記事を紹介する記事を掲載した。なぜ多維新聞はそのようなことをしたのか。。カイロ会議は1943年、ローズベルト米大統領、チャーチル英首相および中国からは蒋介石総統が出席し、第二次大戦終結後、日本から台湾や朝鮮半島などを取り上げることを話しあった会議であり、ポツダム宣言を経て、サンフランシスコ平和条約で法的に決着する領土問題解決の第1歩であった。
多維新聞の記事はカイロ会議をおおむね客観的に説明しており、そのなかには次のような言及がある。
「不可解なのは、蒋介石が同会議において2回にわたりローズベルト米大統領の、日本により武力で奪われた琉球諸島を回復してあげるという好意を断ったことである。この結果、日本は大助かりとなり、米国は大きな利益を獲得し、中国は尖閣諸島に関する紛争において不利な立場に置かれた(処于下風的局面)」
「蒋介石はローズベルトと4回会談した。11月23日夜、(中略)ローズベルトは、「日本は不正な手段で琉球諸島を奪ったのであり、これを日本からはく奪すべきである。琉球は地理的に貴国(注 台湾のこと)に近接しており、歴史的にも貴国と緊密な関係がある。貴国が琉球諸島を望むなら貴国の管理に委ねても与えてもよい(可以交給貴国管理)」と述べた。これは突然の話であり、蒋介石は全く予想しておらず、何と答えてよいか分からなかった。長い間黙っていたが、最後に「これらの諸島は中米両国が占領し、その後国際的信託により中米両国が管理するのがよいと思う」と述べたので、ローズベルトはそれ以上何もいわなかった」。
多維新聞は、25日にも、ローズベルトが同じ話をしたことを紹介しており、「ローズベルトは蒋介石が沈黙してしまった(注 この時も23日と同様沈黙したらしい)ので、よく聞こえなかったのかと思い、「貴国は琉球を欲しいか(要不要)。もし欲しいのであれば、戦争終了後貴国にあげる(就将琉球群岛交给贵国)」と言ったが、蒋介石は何回もためらいながら、最後に「琉球問題は複雑であり、私はやはり中米の共同管理がよいと思う」と述べ、ローズベルトは蒋介石がほんとうに琉球諸島を欲していないことが分かった」と解説している。
さらに多維新聞は、蒋介石が琉球諸島を要らないと言ったのは、東北地方(注 満州)、台湾および澎湖諸島を取り戻すことを最重要目標としていたからであること、また、中国が琉球を獲得すると将来日本との間で問題が残ることを恐れたためであること、しかし、後になって蒋介石は、カイロで琉球を獲得しなかったことを後悔するようになったことなども紹介している。
このような多維新聞および環球時報の記事が6カイロ会議を正確に伝えているか保証の限りでないが、琉球諸島を中国の代表が要らないという立場を取ったこと、およびそのために尖閣諸島に関する中国の立場が弱くなったと中国(の一部?)が自認していることが示されている。
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