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2015.10.12

(短評)「南京大虐殺」関係資料の世界記憶遺産への登録

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10月10日、旧日本軍による「南京大虐殺」に関する資料を世界記憶遺産に登録したと発表した。
 この事件についてはかねてから日中間でも、また日本国内でも論争があり、その事件をどう表示するか、つまりネーミングについても意見が分かれていた。鍵カッコつきの「南京大虐殺」は外務省で採用している表示方法だ(同省「歴史問題Q&A」 平成27年9月18日)。
 登録の申請は中国政府が2014年に行ない、日本政府は登録に反対していた。両政府間の最大の相違点は「南京大虐殺」の犠牲者数にあり、中国政府は30万人以上としていたのに対し、日本政府は、「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」としていた(前記Q&A)。
 研究家の間には、数万人と推測する者もある。日本政府は、中国政府の主張を認めることのみならず、研究家の推測を正しいと認めることもできないと言っているのだ。

 今回のユネスコによる登録決定に対し、日本は、政府も含めて強く批判的に反応した。
 日本政府は、「この案件は、日中間で見解の相違があるにもかかわらず、中国の一方的な主張に基づき申請されたものであり、完全性や真正性に問題があることは明らかだ。これが記憶遺産として登録されたことは、中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾だ。ユネスコの事業が政治利用されることがないよう、制度改革を求めていく」ことを外務報道官の談話として発表した。
 一方、一部政治家は、決定を非難しつつ(そこまでは政府とほぼ同じ)、ユネスコに対する拠出金の支払いを再考すべきだとも発言している。趣旨としては、支払いの停止も含めているようだが、それは決して口にしてはいけないことである。ユネスコが日本政府の主張を取り上げなかったことは、日本にとっては残念であり、また、承服できないことである。しかし、決定についての不服をどのように主張すべきか。ユネスコの設立協定約を含む国際法および国際慣習にのっとって主張しなければならない。「南京大虐殺」についての日本の主張が通らなかったからと言って拠出金を出さないというのは認められることでない。しかも、カネに力に物を言わせて主張を通そうとしていると非難を浴びる危険が大きい。
 ルールを無視して、カネや力で意見を通そうとしてはならないことはまともな日本人であればだれでも心得ており、そのような誤解を受けないために細心の注意を払う。国際的な場ではいっそう気を付けなければならないのに、拠出金を払わないと言わんばかりの発言をするのは何たることか。日本国内ではある程度ナショナリズムに訴えることができても、国際社会では国益を損なう。日本のカネや力を頼るような発言は必ず反発を受けるからだ。各国の新聞は、供出金の支払いを停止すべきだという意見が日本で出ていることを盛んに報道している。

 日本政府の談話はおおむね妥当だが、最後の「制度改革を求めていく」には引っ掛かりを覚える。「「南京大虐殺」を登録すること」と「制度に問題があること」がすぐにつながらないからだ。もし、制度に問題があるのならば、今回同時に決定された「東寺百合文書」と「舞鶴への生還」の登録にもケチがつかないか。
 ユネスコの制度に本当に問題があるのか。「制度改革」を求めるならば、個別のケースを超えた一般的な問題がなければならない。政府にはいろいろな思いがあるのかもしれないが、国民には分からない。
この「制度改革」の問題はさておいて、今回の「南京大虐殺」については、日本としてはカネの話など一言もしないで、あくまで決定の誤りを指摘し、是正を求める正攻法によるべきだと考える。

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