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中国

2013.04.25

尖閣諸島に関する重要文献

領土問題については事実関係の解明が肝要と考えています。
石井望長崎純心大学准教授の論考のなかで指摘されていることに注目しました。
○明清時代の文献にはその領土の東端が海岸線か、あるいはそれより数十キロだけ沖に出ていたことを示す文献が多数存在する。『大明一統志』(1461年勅命により刊行)は福建省と浙江省の東端を「海岸線まで」と記していた。
○中国が好んで引用する明代の『籌海図篇』は海における防衛範囲を図解したものであり、そのなかでは領土、沿岸の島の駐屯地・巡邏地(防衛範囲)およびたんなる島すなわち海賊の勢力範囲(防衛外)を区別する必要があり、尖閣諸島は最後のカテゴリーに入っているので領土外と認識されていたことは明白である。
○『皇明実録』(明朝の公式日誌)は明国の人質を送還するため長崎から福建に派遣された使節(明石道友)と福建の役人(韓仲雍)の会話を記録しており、福建の役人は「東湧島(現在の馬祖列島東端 大陸から約40キロ)」までを海防範囲と示しつつ、それより東側の海域は「華夷の共にする所」、すなわち公海であると説明した。福建史の重要史料『湘西紀行』は、この日本側使節が、上司よりかたく命じられているとして「大明の境界に入らず」、すなわち明国の領内には入らないと述べたことを記している。



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