平和外交研究所

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2018.02.12

平昌オリンピックに見る北朝鮮外交

 平昌オリンピックは南北朝鮮それに日米の外交舞台となった。きっかけとなったのは金正恩委員長が新年の辞で北朝鮮は参加する用意があると発言したことだったが、北朝鮮は昨年秋から外交姿勢の転換を図っていた。
 それを象徴的に表していたのが、金正恩委員長の、「ついに国家核戦力完成の歴史的大業、ロケット強国偉業が実現された」との宣言であった。核・ロケット戦力は完成したと過去形で述べていたのである。
 この発言は、11月末、新型の大陸間弾道ロケット「火星15」型の発射実験を「成功」させた際に行われた。当然注目すべきであったが、その後どの国もこの発言を重視しなかった。各国はこの実験が完全な成功でなかったと分析し、とくに米国は、北朝鮮が「今後短期間に米本土を攻撃可能なICBMを開発する恐れが大である」として核・ミサイル開発の完成は将来のことだという認識を示していたからである。
 金委員長の発言が正しいか、米国の認識が正しいかを論じる必要も気持ちもないが、北朝鮮と各国との間でまたもや認識のずれが生じたことだけは指摘しておきたい。

 金委員長は、当然だが、自己の発言に沿って核・ミサイル戦力完成後の外交方針を立てていた。平昌オリンピックは新方針を実行するために格好の舞台となり、新年の辞で参加の意向を示したのであった。
 北朝鮮の新方針は、その後韓国とオリンピック参加のための協議をする段階でもにじみ出ていた。韓国に対して強く出るときと我慢するときを使い分けていたことである。これには微妙なかじ取りが必要だ。推測に過ぎないが、金正恩委員長には強力な側近がおり、その一人が妹の金与正なのかもしれない。同氏は、以前から、金正恩委員長が演説を行うときなどに柱の陰で見え隠れしていたが、それは実妹としての自由な行動というより、側近中の側近として見守っていたとも考えられる。訪韓後、金永南最高人民会議常任委員長の金与正に対する気の使い方は尋常でなく、何度勧められても先に着席しようとしなかった。テレビで報道されたので見ていた人は多かったはずである。

 ともかく、オリンピックへの参加問題は北朝鮮の描いたシナリオ通りに展開した。もちろん、文在寅韓国大統領による全面的な協力があったから順調に準備が進められたのであったが、北朝鮮としてはそれも予想通りであったのだろう。韓国としては、制裁の関係でできることは限られていたはずだが、北朝鮮のオリンピック参加という名目のために例外的措置として北朝鮮側の要求を次々に認めた。

 金正恩委員長が打った手はオリンピックへの参加だけではなかった。文大統領との首脳会談の提案は、南北間の関係改善を一時的なものとせず継続するための仕掛けでもあった。金委員長はオリンピック後になすべきことをも文大統領に投げかけたのだ。
 このような北朝鮮の新方針は、米日両国はもちろん、中国も北朝鮮への圧力強化に積極的になろうとしている状況が背景となっているものと思われる。国連の制裁決議が効いているというのは自然な観察と分析だろうが、正しいかどうかは別問題である。北朝鮮は韓国に抱きつき、突破口を開こうとしたのであるが、これは以前にも採用した手法であった。圧力をかけ続ければ北朝鮮は非核化のための話し合いをしたいと言い出すということは実現しないのではないか。
 文大統領としてもさすがに首脳会談の提案はすぐにもろ手で賛成することはできなかった。提案実現には明らかに困難が待ち受けている。米国がそのような行為を認めるか疑問であり、また、そもそも現在の厳しい制裁下であえて平壌を訪問しても韓国としてオファーできることは非常に限られている。開城工業団地の再開も無理である。したがって、文大統領としては、金委員長からのせっかくの提案ではあるが、「今後、条件を整えて実現させよう」と答えるほかなかった。
 今後、金委員長は新方針にしたがってソフトムードで攻勢をかけ続けるだろう。そして、文大統領は逆に困難な立場に立つだろう。

 当面の最大問題は米韓合同軍事演習である。これは毎年2月末から3月初めにかけて行われるが、今年は北朝鮮のオリンピック参加のためにとくに延期されている。これが再開されるか、またそれはいつかである。
 文大統領はこれを再開したくない。再開せざるを得ないとしてもできるだけ遅らせたいのが本音だろう。米韓演習を再開すれば、北朝鮮が文大統領を非難するのは必至だ。また、核・ミサイルの実験を再開するだろう。北朝鮮は、これらの実験を停止すると発表したことはないが、米韓演習が行われない間は実験もしない形になっている。両者は実質的に関連しているのである。
 
 一方、米韓演習をめぐって奇妙な状況が現れた。安倍首相はオリンピック会場の近くで文大統領と会談し、その内容は、日韓双方が発表ぶりを合わせることなく、各自の判断で発表することとなった。重要な会談内容がこのように扱われること自体異例であるが、さらにおかしなことに、米韓演習について安倍首相と文大統領が会談したことが説明にまったく含まれていなかった。日本の主要メディアの報道にもこの問題は触れられなかった。
 しかし、韓国のメディア、それに中国のメディアも安倍首相が米韓演習に言及し、「延期する段階ではない。予定通り実施することが重要だ」との考えを示し、それに対し文大統領は「この問題はわれわれの主権問題であり、内政の問題」と反発したと伝えはじめた。そして、日本のメディアも1日遅れで報道を始めた。小さな記事で。
 推測するに、安倍首相と文大統領との会談では、合同演習問題は発表しないように打ち合わせたのだろう。それで済むと思ったとしか考えられないが、お粗末きわまる外交感覚である。日本政府は韓国政府がメディアにリークしたと思っているだろうが、リークされないと思うほうがおかしい。
 
 米国、というよりペンス米副大統領は北朝鮮に対する圧力をさらに強化するということしか言わなかったことも注目された。ペンス氏は文大統領主催の歓迎レセプション(と言っても着席するもので席が決まっている)に欠席した。北朝鮮の金永南氏と言葉を交わしたくなかったのだろう。ペンス氏は韓国入りする前から北朝鮮側とは会わないと明言しており、その通りに振舞ったのだ。
 トランプ大統領は文大統領と会談する際、もっと幅のある物言いをする。自分は金正恩委員長と話し合いしてもよいと言わんばかりの発言もする。それに比べ、ペンス副大統領が圧力しか念頭にないという姿勢を示したのはなぜか。トランプ政権のなかでの自分の立ち位置をそのように決めているからではないか。平たく言えば、ペンス氏はトランプ大統領の忠実なしもべに徹しているのだ。ペンス氏はトランプ氏から安倍首相とよく相談するようにとアドバイスされていた(くぎを刺されていた?)可能性もある。平昌でもペンス氏はしきりに安倍首相と対応をすり合わせようとしていたことが目撃されていた。
 このようなペンス大統領の姿勢は安倍首相にとって都合のよいものだっただろうが、今後も米国はそのような姿勢を続けるか。安倍首相をはじめ日本政府の関係者は「日米は同じ立場にある」とさかんに主張するが、はたしてそうなのか。現在のような人為的にゆがめられた北朝鮮に対する政策はほころびが生じるのではないか。
 
 

2018.02.07

これからますます激しくなる反腐敗運動

 「国家監察委員会」は、2017年秋に開催された中国共産党第19回党大会で習近平主席が設置の方針を打ち出したものであり、近く開催される全国人民代表大会(日本の国会に相当)で改正される憲法に書き込む準備が進められている。

 なぜ「国家監察委員会」を新設することにしたのか。これがわかりにくい。
 これまで、反腐敗運動を強力に実施してきたのは「規律検査委員会」であり、これは共産党の機関であり、「監察委員会」は国務院の機関であると区別されている。そこまでははっきりしているが、「規律検査委員会」に加えてなぜ「国家監察委員会」を設置することにしたのかが問題である。「規律検査委員会」は党員を対象に、「国家監察委員会」は公務員を対象にするという説明はほとんど意味をなさない。中国ではほとんどすべての公務員は党員だからである。
 
 もし、「規律検査委員会」がよく機能しなかったのであれば、わからないでもない。しかし、「規律検査委員会」は非常によく機能し、その責任者であった王岐山は習近平によって功績を高く評価された。この「規律検査委員会」は地方にも支部があり、共産党の支部よりも恐れられるくらい強力であった。「規律検査委員会」は党の機関であるが、実際には各地で、本来の党支部と「規律検査委員会」の支部が並立していたのである。
 両方とも党の機関であるならば一緒にしてしまえばよいというのは日本的な発想と言わざるを得ない。日本でもよく探せば似たような現象があるかもしれない。
 ともかく、それほど強力であり、人々におそれられた「規律検査委員会」であったのだが、それでも「国家監察委員会」を設置することにしたのはそれなりに必要だったからであろう。

 国務院にはもともと「監察部」があり、いまでも存続しているが、実際の取り締まりはこれまで政府や検察内に分散して設けられていた複数の部門が担当していたのを、今後は統合して「国家監察委員会」とするようだ。これは単に技術的な問題でない。「監察部」では腐敗を十分取り締まることはできないので「国家監察委員会」を作り、憲法にも記載して強力な機関とすることにしたのだ(第19期中央委員会第2回全体会議(2中全会)の決定)。

 「規律検査委員会」との比較、および、この経緯からいえることは、腐敗があまりにも根が深く、かつ広範にはびこっており、今後の摘発は膨大な量に上るということである。「規律検査委員会」の発表によれば、習近平政権の第1期目において、件数にして13・9万件、人数にして18・7万人の国家工作人員(国家公務員など)が有罪となっている。これだけではまだまだ問題の一部に手を付けたに過ぎないのである。
 習近平政権の2期目(2017~21年)においては第1期目にもまして強力に反腐敗運動が展開されるのだろう。

 では、「規律検査委員会」と「国家監察委員会」の関係は今後どうなるか。これがまたわかりにくい。「国家監察委員会」を憲法上の機関にしてまで格上げしたことにかんがみると、むしろこちらのほうが上に立つ印象さえあるが、中国においては党の支配は絶対であり、習近平氏自身、党の指導を強化しなければならないと何回も強調している。
 習氏は「規律検査委員会」と「国家監察委員会」については、「根本目的は反腐敗運動における党の指導を強化することであり、そのもとで、両委員会が一体として業務を行う」との趣旨を述べているが、抽象的な説明である。実際にどうなるかは、今後の状況を見て判断していくしかない。これは法律にしたがった取り締まりを誰が行うかというような技術的問題ではすまない、権力闘争にかかわることである。
 
 現在、北京市、山西省、浙江省ではすでに試験的に監察委員会が導入されており、さらに28の省・自治区・直轄市で設立される予定であるという。公権力を行使する全ての公務員を監視する網が従来以上に広く、かつ厚くなりそうだが、中国での腐敗が半端でないことが今回の「国家監察委員会」の設置にともない改めて露呈される結果となった。

2018.02.04

トランプ政権の核戦略見直し

 米国政府は2月2日、今後5~10年の核政策の指針となる核戦略見直し(NPR)を発表した。トランプ政権は、「核なき世界」の実現を目標として掲げ、核の開発や使用に抑制的な姿勢を取ったオバマ前政権の方針から大きく転換し、新たな小型核や核巡航ミサイルを開発すること、核兵器を使わない攻撃への反撃にも核を使用する可能性があることを明らかにした。
   
 トランプ政権による核の見直しには大問題がある。
 
 なぜ小型の核を開発するかというと、それは使いやすいからである。通常の核兵器はひとたび使用されると全面核戦争になり、米国やロシア、中国などは間違いなくお互いに破壊しあい、また、強い放射能の影響で核戦争の当事国のみならず世界中が汚染され、死滅する。小型の核であれば、その影響は限られるので全面戦争に発展するのを回避できるという考えである。
 第二次大戦後、米ソ両国は限定的な破壊力の核兵器を開発し始めた。いわゆる「戦術核」であり、その意味は「戦場で使用可能な程度の爆発力の核兵器」である。米ロ両国はすでに一定数の「戦術核」を配備、あるいは即配備可能な状態で保有しており、2000年ころの時点では、米国は約500発、ロシアはその数倍を保有していると推定されていた。現在もさほど変わっていないだろう。
  
 しかし、この定義には致命的な欠陥がある。なぜならば、戦術核を一度使用することによって破壊を限定された範囲内にとどめることは可能かもしれないが、一度使用すると全面戦争に発展する危険が大きい。こちら側で使ったのが小型であっても、相手の国が通常の核兵器で反撃してこない保証はない。つまり、「使いやすい」というのは思い込みに過ぎず、「戦術核」として実際に使用可能だ、とみなすのはご都合主義の議論である。
 国際政治的に言えば、核兵器は破壊力が大きすぎて使えない、つまり、「敷居」が高すぎるので、それを低くするため小型化することであろうが、核がいったん使用されれば、戦争を小型にとどめることはできないと考えるべきである。
 爆発力が限定された兵器をどうしても必要だというなら、通常兵器によるべきである。核であれば、どんなに小さくても全面戦争になる危険が大きいが、通常兵器であればその危険は低い。
 
 今回の見直しで、「核兵器を使わない攻撃への反撃にも核を使用する可能性」を明記したが、相手が核を使っていないのに、こちらから核を使うことの問題点は前述したとおりである。ただ、この一文が意味しているのは、相手が核兵器を「持っていない場合」のことであろうが、核を持っていない相手方を核兵器国が核攻撃できるか、道義的にも問題があるのではないか。
 この問題は、長年議論されてきたことで結論は出ていないが、今後の方針としてそのようなことを公言するのは、「核の敷居」をさらに低める効果があるだろう。

 核の抑止力に頼らざるを得ない現状でもっとも大事なことは、敵対する相手が核を使うなら、こちら側は必ず核を使うという方針を堅持することである。いわば、「オール オア ナッシング」的に核を使うという方針を堅持し、その方針を天下に示すことである。
 今回の見直しが、「極限的な状況で核の使用を検討する」と、オバマ前政権と同じ表現をもちいたことは注目すべきであるが、他方では「核の敷居」を低くしようとしている。「核の敷居」を低くすれば、使いやすくなるように見えるかもしれないが、相手も「攻撃は限定的に抑制しているので、相手方、すなわち、こちら側も限定攻撃として受け止めてくれる」と考える余地が出てくる。それはこちら側の抑止力が低下することに他ならない。
 
 今回の見直しは、米国が核兵器を削減する一方、ロシアや中国は逆の方向に向かっていること、北朝鮮の核開発などを並べ立てているが、これらの国がどれほど核能力を向上させようと、大事なことは、米国が決定すればこれらの国を破壊できることであり、米国のこの能力には疑いの余地はない。核能力は核兵器の量と質で決定される。その意味でも米国の優位性に疑問をさしはさむ余地はないが、かりにロシアや中国が米国以上の核兵器を保有しようと、そのために米国の核の破壊力が減殺することはない。米国の核は今後も究極的な破壊力を保持し続けるだろう。
 今回の見直しのように、核の抑止力を徹底的に見極めることなく「核の敷居」を下げることは災いのもととなる。
 

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