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2013.08.16

オバマ大統領は被爆地を訪問するか

キヤノングローバル戦略研究所のホームページに掲載された一文。

「ルース駐日米大使は離任前の8月8日、記者会見で、「オバマ大統領自身が在任中に広島、長崎を訪問できれば名誉なことである。その言葉の誠意に疑いはない」と語った。ルース大使は米国の大使として初めて、2010年に広島を、また2012年に長崎を訪問して以来、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念する式典に原則毎年参加している。
同大使はこの記者会見のなかで、米国の大使として被爆地を訪問することをオバマ大統領が支持していることも明らかにした。オバマ大統領は2009年の就任直後から「米国は核兵器を使用した唯一の核兵器国として行動する道義的責任がある」と述べるなど核兵器の廃絶に積極的だ。去る6月にはベルリンで、米ロ両国が保有する核弾頭をそれぞれ1000~1100程度にまで削減する新提案を行なったばかりである。
米国大統領の被爆地訪問が実現すれば画期的な出来事となろう。その可能性が高いことを示唆したルース大使の発言が強い関心を呼び起こしたのは当然である。
それは簡単なことでない。日本も米国もいまだに「戦後」から完全には脱却できないでいる。米国内には原爆投下を否定的に見ることに対する強い反発があるどころか、それは第二次大戦を早期に終わらせるのに必要であったと肯定する気持ちもある。日本人から見れば、どのような理由があるにせよ、多数の市民を犠牲にする攻撃は許されないが、米国の世論はかなり異なっている。
また、米国には日本の核武装を恐れる気持ちがある。これは日本人にはわかりにくいことであるが、日本に対する懸念はいろいろな機会に顔をのぞかせてきた。在沖縄米海兵隊司令官が「在日米軍は日本の軍事大国化を抑える「瓶のふた」だ」と発言して物議をかもしたのはかなり以前(1990年)のことであるが、その後も日本の軍事大国化、あるいは核武装を恐れる発言は何回も繰り返されており、米国内にはそのような気持が牢固として存在している。これも米国が「戦後」を脱却していないことの表れであると思う。
このような状況の中で米国の大統領として被爆地を訪れることは米国内で政治問題化する危険がある。被爆地で謝罪を強いられるのではないかという猜疑心もあるようだ。しかし、オバマ大統領はそれにもかかわらず、被爆地訪問を積極的に検討している。
我々日本人としてもそのようなオバマ大統領を支持していきたい。広島と長崎も、米大統領の訪問を受け入れる用意があると理解している。単に過去を清算するためでなく、米国の大統領に核兵器の非人道性を直視し、核の廃絶に前向きに取り組んでもらいたいからであろう。被爆地として米国の大統領に謝罪を求める考えはないと現地の高校生が発言するのをシンポジウムで聞いたこともある。
ルース大使は、被爆地を訪問するたびに「強く心を動かされる」「米国人だけでなく世界中の人々はすべて、広島と長崎を訪れるべきだと思う」と語っている。この発言のなかにはいろいろな意味が込められているように思う。
かつて私は、米国務省の元高官であった人と一緒に広島の原爆資料館(「平和記念資料館」)を見学したことがあり、見学を終了したところでその人が恐怖のまなざしでこちらを見ていることに気が付いた。彼は恐ろしいものを見て強いショックを受け、同じものを見た私が感情的になって何を言い出すかかたずをのんで見守っていたのであるが、その目は単なる恐怖だけでなく、絶望的な無力感をも表しているように感じた。おそろしいことをしてしまった、何の申し開きもできないと悔やみ、うなだれる人の目である。
米国の大統領が諸々の困難を克服して広島、長崎を訪問し、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念することにははかりしれない意義がある。「原爆の投下国としての米国とその被害を受けた国としての日本(ルース大使の言葉)」という両国間の距離を縮めることにも、また、米国が「戦後」から脱却することにも資するであろうが、もっとも重要なことは、米国の大統領として、核兵器の抑止力としての意味は認めつつも、核兵器が人類に何をもたらし、どのような意味を持っているのかを、原爆がさく裂した地に立って考えてもらうことである。それは核の廃絶や拡散防止を議論する国際会議に出席するより何倍もの効果があるであろう。」



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