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2016.07.22

南シナ海の判決を中国が受け入れないもう一つの理由―台湾・尖閣諸島への影響

 中国は、南シナ海に関する仲裁裁判結果は台湾や尖閣諸島に関する中国の主張にも影響が出ると考えている可能性がある。
 中国は、南シナ海のみならず台湾、尖閣諸島についても「昔から中国の領土であった」と主張している。いわゆる歴史的権利の主張だ。しかし、今回の仲裁裁判で南シナ海について中国の主張に根拠はないと判断されたことにかんがみれば、もし台湾や尖閣諸島について裁判が起こされるとやはり「根拠がない」と判断される可能性がある。
 中国が根拠を示せれば話は違ってきて、中国の主張が認められるかもしれないが、中国は尖閣諸島については根拠を示せないでいる。
 南シナ海について中国は中国人の旅行記に記載があることをいわゆる「南シナ海白書」で指摘したが、裁判は旅行記の記載で領有を主張することはできないとの判断を下した。領有の主張に必要な「実効支配」がないことが主たる理由である。
 尖閣諸島についても基本的には同じことで、中国がその主張の根拠として挙げている、中国(明時代)の使節が沖縄に来た際の旅行記だけでは領有の根拠とならない。
領有の主張には「実効支配」が必要なことは国際法の普通の解釈だが、もし、その解釈に異論があるならば、裁判で主張すればよい。それをしないで、裁判批判をするのは公平でない。

 台湾については、事情は一部違っているが、歴史的権利に主張があるとは言えないだろう。将来、仮に何らかの形で台湾の法的地位について裁判が行われると、裁判所は、南シナ海や尖閣諸島と全く同じでなく、一定程度の実効支配があったことは認めるだろうが、それは長い歴史の一部であり、また地理的にも一部の支配であった。
 このことは基本に立ち返ってみていく必要がある。第二次世界大戦で日本が敗れるまで、台湾、尖閣諸島および南シナ海の島嶼はすべて日本の領土であった。今回の仲裁裁判で問題となったスプラトリー諸島(中国名「南沙諸島」)も日本領時代は「新南群島」と呼ばれ日本の領土だったのだ。
 日本のこれら島嶼の領有については、帝国主義的な侵略によるもので無効だったという考えもある。歴史的にはそういう面はあったとしても法的にはどの国からも異論を唱えられていなかったので、日本の領土だったということに問題ないだろう。
 サンフランシスコ平和条約も日本が領有していたことを前提として、戦争の結果日本は「台湾」、「新南群島」、「西沙群島」を「放棄する」と規定した。
 その結果これらの島嶼は無主地となった。通常、戦争状態を終結させる平和条約において領土問題が処理される場合は、新しい帰属先が示される。しかし、第二次大戦の場合は、日本との戦争は終了したが、中国の内戦が継続し、また新しく冷戦が起こったため、日本が「放棄」した島嶼の帰属は示されなかったのだ。
 そこで、中華民国政府も中華人民共和国政府も、またフィリピンやベトナムの政府も日本が「放棄」した南シナ海の島嶼に対して領有権、あるいは「管轄権」を主張し始めた。中華民国政府と中華人民共和国政府の主張はそれぞれ「十一段線」、「九段線」として知られている。
 台湾については、第二次大戦中に行われたカイロ宣言で、米英中の3国は、台湾を「中華民国」に返還することが謳われた。この宣言はこの3国が行ったものであり日本は拘束されないが、後にポツダム宣言の中でカイロ宣言も受諾したので日本も拘束される。
 したがって日本は台湾を「中華民国」に返還することになったのだが、世界大戦が終了しても中国では国民党軍と共産党軍の戦いが続き、また世界的な冷戦の影響を受けて、台湾を返還する「中華民国」とは国民党政府か、共産党政府か分からなくなってしまった。形式的には「中華民国」政府は台湾へのがれ現在もそのままであるが、カイロ宣言の当時、「中華人民共和国」はまだ存在していなかった。その後の政治状況を勘案するとカイロ宣言が言った「中華民国」とは台湾へのがれた国民党の「中華民国」のことか、それとも中国大陸を支配するに至った「中華人民共和国」のことか判断が困難になったのだ。この辺の法的解釈は複雑で、ここに述べたのは大筋に過ぎないが、台湾の地位をはっきりさせるには考慮に入れておく必要がある。
 おそらく現在の中国政府は、ここに述べたような法的議論をしたくないのだろう。それより、中国としては、台湾は「中国の一部」だという主張を中心に考えているのだろう。
 以上は、法的な解釈であるが、いったんそれを離れて、台湾に対する中国の歴史的権利を見ていくと、台湾が中国によって支配されるようになったのは、1683年以降である。当時の中国は清朝であり、その年より以前は鄭成功が統治していた。この人物は明時代の人物だが明の朝廷の命を受けて台湾をしたのではなく、個人としての行動であり、また、その期間は22年という短期間であった。さらにそれ以前、台湾はオランダの支配下にあったが、これも一部支配だった。
 清朝の統治に戻ると、支配していたのは台湾の西半分であり、東半分は最北端の一地方だけを統治していた。そして清朝政府は統治外の地域、すなわち東半分の大部分を「番」と呼ぶ住民の居住地とみなして漢人がその地域へ入ることを厳禁するなど、統治下と統治外の地域を厳格に区別していた。
 このような歴史的経緯は台湾の教科書が明記していることである(当研究所HP5月31日「台湾の歴史と新政権-教科書問題」)が、中国はそれに反論して昔から中国領であったことを証明できるか。おそらくそれは困難だろう。そうすると、中国の台湾に対する歴史的権利も、一時期、かつ一部(約半分といってもよいが)に限られていたわけである。かりに国際裁判が起こるとこのような判断が下される可能性があるのだ。

 今回の仲裁裁判は南シナ海に関するものだが、すぐその隣には中国にとって危険な問題が存在しているのだ。

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