平和外交研究所

2016 - 平和外交研究所 - Page 20

2016.08.27

米「核の先制不使用」構想

THE PAGEに8月27日、寄稿した一文。 

 「最近、米国のオバマ大統領が核兵器の先制不使用宣言を行うことを検討しているということが判明し、日本政府は米国政府に対し、そのような宣言を行うことについての懸念を伝えたという趣旨の報道が行われました。
 「核の先制不使用」とは、核兵器を相手国より先に使用しないとする政策です。相手国と言うのは、通常、紛争の相手国という意味です。

 オバマ大統領はさる5月末、米国の大統領として初めて被爆地、広島を訪問しました。その際の演説では、罪のない人々が犠牲になったことに触れつつ、「広島と長崎は道徳的に目覚めることの始まり」と述べ、「核のない世界」を追求していく考えを示しました。
核の先制不使用宣言は広島訪問を踏まえて検討されるようになったと思います。オバマ大統領は来る国連総会でその考えを表明することを考えていたようです。

 先制不使用宣言の構想に関し、米国のワシントン・ポスト紙は8月15日、「安倍晋三首相は、もしオバマ大統領が先制不使用宣言をすると北朝鮮などへの核抑止力が損なわれ、紛争の危険が増大するという考えを米国太平洋艦隊のハリス司令官に伝えた」という趣旨を報道しました。
 しかし、その後安倍首相は、ハリス司令官との間で「核先制不使用についてのやり取りはまったくなかった。どうしてこんな報道になるのかわからない」と記者団に述べ、ワシントン・ポスト紙の記事を真っ向から否定しました。
 なお、安倍首相が7月26日、ハリス司令官に会ったことは公表されており、その会談内容の発表には先制不使用宣言に関する言及は含まれていませんでした。
真相はどうだったのか、検証していけばさらに詳しい事情が見えてくるかもしれませんが、残念ながらこの種の会談においては必ずしも全貌が見えないままになることがあります。

 核兵器の先制不使用宣言は過去に若干の例があります。中国は1964年に初めて核実験を行った時からこの宣言を行い、その後一貫してこの方針を維持しています。ロシアも一時期先制不使用宣言をしていましたが、現在はそのような政策ではありません。いずれも防御的姿勢を強調するための宣伝でした。
 米国は、核についていつ、どのような状態で使用するかなど明確にしなことを基本方針としており、先制不使用の考えはとっていません。
 
しかし、先制不使用宣言にどれほどの意義があるか、多くの専門家、研究家の間では疑問視されています。たとえば、宣言をするのとしないのではどのくらい違うでしょうか。先制不使用は相手が核攻撃を開始しない限りこちらからは核攻撃しないということで、言葉の上では明確かもしれませんが、宣言でいう「開始」といっても簡単でありません。「開始」は「発射」と考えてよいでしょうが、核搭載ミサイルの発射か、発射命令か、発射準備かで発射時点は違ってきます。超高速度のミサイルにとってこの差は大きな違いです。また、実際に核戦争になったとしてもどの国も決して「先に核攻撃した」とは認めないでしょう。
米国が先制不使用宣言をすれば抑止力が低下するというのは物事を過度に単純化しており、思い込みに過ぎません。宣言をしてもしなくても重要なことは米国が核を使うかもしれないということであり、このことが変わらない限り、抑止力に変化はありません。先制不使用宣言をすると抑止力が低下するのであれば、中国の核抑止力は他の核保有国に比べて低くなりますが、そんなことはないでしょう。

日本は核兵器に世界で最も敏感な国です。核の先制不使用宣言をするべきでないということにこだわると、日本は核兵器の使用に最も積極的だと誤解されて伝えられる恐れがあり、核軍縮に積極的に取り組んでいる日本の立場は損なわれるでしょう。本来それは不正確な報道かもしれませんが、そのような危険は現実に起こっています。その観点からも先制不使用宣言を抑止力の低下に安易に結び付けるのは問題です。」

2016.08.23

The nature of the Chinese claim of islands

The legal effect of the award of the International Arbitration Court on the Chinese aggressive conducts in the South China Sea is limited to the dispute between the Philippines and China, but if legal action is raised for other islands, the court may well apply the same principle that the claim has to be proven against evidence. In fact the court would not dare discuss such hypothetical cases, but countries can.
As for the Senkaku islands China argues that there are mentions in the Chinese old documents, but they are mostly travel records by the emissaries sent from the Ming Court to Okinawa(Ryukyu),and they do not indicate that the Ming Court ruled the islands.
To the contrary, there are many official documents of the Ming Dynasty which specifically said the border of that Empire was basically the coast line of the continent.
Examples:
『観海集』「過東沙山、是閩山盡處」
『皇明実録』「臺山、礵山、東湧、烏丘、彭湖、彭山 、皆是我閩門庭之内、豈容汝一跡此外溟渤、華夷所共」
萬暦『福州府志』巻三「疆域」「東抵海一百九十里」
『大明一統志』巻七十四福建・福州府「東至海岸一百九十里」

These documents are relevant with Taiwan as well. Taiwan is also far away from the Ming border which ended at the coast line. Taiwan was situated in the area 溟渤,華夷所共.
These descriptions fit well with the history of Taiwan. Taiwan was surely under the rule of Ching dynasty, but only since 1683 and only partially. The greater part of the Eastern half of Taiwan was never ruled by any dynasty of China. That area was demarcated as 番’s land and the Chinese were prohibited to enter. No doubt China should be aware of this history.
Despite all these documentary records China claims that Taiwan, Diaoyu (Senkaku) islands, Penghu islands etc. are territories of the PRC as is written in the Territorial law of 1992. And in addition to that, China maintains ‘One China’policy that Taiwan and China constitute China.
One reason for the 1992 law may be that China wants to become an oceanic super power and to secure the area between the continent and the so called ‘first chain of islands’ which runs from the Okinawa, Taiwan, the Philippines and Borneo. China claims that it has jurisdiction over the oceanic area of three million square kilometers. It also claims that the continental shelf of China extends well beyond the half line between the continental coast and coast lines of Okinawa, the Philippines and Borneo.
There is another reason, I think. These islands mentioned in the 1992 law were all held by the militarist Japan, and isn’t China trying to take them ‘back’?
The Japanese militarism has always been the biggest problem for China. On the one hand, China is nervously opposed to its revival, which should be supported by many countries, and on the other hand, wants to take all the territories which were ‘stolen(Cairo/Potsdam Declaration)’by the militarist Japan, which should not be supported by countries.
Even if China has these two reasons, it must follow the international law. With respect to the ocean, countries have to abide by the United Nations Convention on the Law of the Sea (UNCLOS).
As to the settlement of war with Japan, the situation is a bit more complicated. Japan accepted at the time of surrender to the allied powers the Cairo Declaration through the Potsdam Declaration, Therefore Japan had no objection to returning Taiwan to the Republic of China, and fulfilled its commitment in the San Francisco Peace Treaty by renouncing the right to Taiwan(article2b).
Therefore the Taiwanese people may think that Taiwan was returned to the ROC, but the Japanese are not quite sure, which does not mean that the Japanese think that Taiwan was returned to the PRC. They are not sure of that either. Japan only renounced Taiwan, because at the time of the Cairo Declaration there was only one regime in China, that is the ROC, but at the time of the Peace Treaty there were two regimes, that is the ROC and the PRC.
For the PRC there is another aspect. Taiwan is the place where the internal war between the KMT and the CCP is still going on. The two sides are not actually fighting now, but they have agreed neither to end the war nor to cease fire.
Therefore for China, Taiwan is an island to take back not only from the militarist Japan, but also from the ROC.
This is, I think, the nature of the Chinese claim hidden behind their ‘one China’ policy.
China could try to solve these problems in accordance with the international law. But China does not want to do so, because it can easily foresee the bad result if it is taken to the international court.
Therefore China decided, I think, to pursue a new course of action to ignore such international rules and to solve by consultations excluding the countries of other area and the international authorities, while repeating that these islands belong to China ever since the ancient times.
But it is simply impossible to solve the problems left behind from the militarist Japan excluding the major members of the allies of the Second World War. China should realize that there cannot be any real solution which goes against the international law. I hope China understands that countries cannot be moved by Chinese lucrative offers in trade, tourism, infrastructure building, etc.
2016.08.22

ミャンマー・中国関係‐アウン・サン・スー・チー国家顧問の訪中

 ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問が8月17日から21日まで中国を訪問した。この訪問は両国にとって重要な意義があると思う。
 ミャンマーでは今月末に、ビルマ族、各少数民族、武装グループがすべて参加する大同団結会議(新パンロン会議)が開催される予定だ。8月31日開催とも言われている。
 日本などでは少数民族といっても深刻な感じはないが、ミャンマーでは大問題だ。ミャンマーの政治はこれまで軍政とアウン・サン・スー・チーが率いるNLD(国民民主連盟)などが求める民主政治の2本柱で語られることが多かったが、実は、1948年に英国の植民地支配を脱して独立して以来これに少数民族が加わる三つ巴状態であった。ただ、少数民族問題はあまり進展しなかったために、軍と民主勢力のせめぎあいだけに焦点が当たってきた。
 実際には、少数民族問題はミャンマーの政治に強い影響を及ぼしていた。軍が政治を牛耳ってきたのは全人口の3割近い少数民族と政府が対立状態にあるからだ。彼らにとって政府はビルマ族であり、不信感は根強い。
 一方、政府はなんとか武装闘争をやめさせようと努力してきたが、現実には「国軍」に頼らざるを得なかった。
 しかし、民主化勢力にとって「国軍」は民主化を妨げる敵であった。その本質が露呈されたのが1990年の総選挙であり、NLDが大勝したが、時の軍事政権は選挙結果を完全に無視して政権の移譲を拒否した。それ以来、「国軍」は民主化に対する反対勢力となっており、民主的に選ばれた政権への移行が実現した今でも、議会では4分の1の議席を憲法上確保しており、国政に対して決定的な影響力を保持している。
 つまり、民主化勢力にとって、「国軍」は必要な友であると同時に敵でもある。また、「国軍」としては少数民族の武装闘争を鎮圧しなければならないが、過度の民主化には抵抗せざるを得ない。さらに少数民族としては、正当な要求を聞き入れてもらえずやむを得ず戦うが、敵は「国軍」だけでなくビルマ族主体の政府であり、NLDである。

 さる3月に発足した、アウン・サン・スー・チー氏が率いる新政権は少数民族との和解に力を注いできた。それが実現しない限りは軍の影響力を排除できず、憲法を民主的な内容に改正することもできず、真の民主政治を実現できないからだ。
 しかし、建国以来70年近い間解決しなかった少数民族問題であり、和解は簡単なことでない。新パンロン会議は当初7月の開催を目指していたが8月にずれ込んだ。ごく最近まで少数民族側には新政権に対しても不信感をあからさまに表明する指導者もおり、さらに一部地域では武装闘争が継続していた。はたして全少数民族が会議へ参加するか危ぶまれていたのだ。

 このようななか、会議まであと2週間というタイミングでアウン・サン・スー・チー国家顧問が訪中した。しかも4日間も中国に滞在する。新政権の最高指導者として国務に忙殺されているはずであり、常識的にはありえない訪問だが、2つのことが読み取れる。1つは、会議の開催準備が整い、スー・チー国家顧問が1週間近く国を離れられるようになったことであり、もう1つは少数民族が同会議に協力するよう中国が協力したことである。
 今回の会議成功のカギを握っているのはカチン州であり、カチン独立機構(KIO)とその軍隊(KIA)は数年前からミャンマー政府と武装闘争状態に陥っていた。この紛争で仲介役を務めてきたのが中国である。ミャンマーと中国との間には約1千キロの国境があり、ミャンマーの少数民族は中国との国境近くに居住しているため、かねてより中国との往来も、また、もめ事も多いが、カチンの問題について中国は不信感の強い政府とカチン族を雲南省の瑞麗(ruili)に招いて両者の協議を手助けするなどしてきた。
 中国とカチン州の関係は深く、カチンからの難民数千名が中国領内に逃れてきており、中国としてはカチンの和平が実現し、難民が帰国することを望んでいる。
 一方、ミャンマー側は、カチンの武装勢力に中国側から武器が提供されていること、ミャンマーの資源が中国に輸出され、環境破壊も起きていることなどへの懸念がある。なかでも36億ドルのプロジェクトであるミッソン・ダムは中国の資本によって建設されるがほとんどすべての発電は中国へ送られることになっていたところ、環境破壊のために反対が強くなり、建設は中止されている。
 しかし、スー・チー最高顧問は中国との関係を進め、かつ、カチン州の問題を解決して新パンロン会議を成功させるめどが立ったものと思われる。訪中に先立って、会議に対する中国の関与を求める考えを側近に漏らしたとも報道されている。

 一方、中国はかつてミャンマーの軍政を支持し、スー・チー氏から批判されていたが、新政権との関係を回復、増進させる方針に転換したようだ。王毅外相は新政権成立後各国要人に先立ってミャンマーを訪問し、関係改善への熱い気持ちを示し、そして今回、スー・チー最高顧問を最大限の歓待で迎えた。同顧問は9月に米国を訪問することになっており、また、日本からもスー・チー最高顧問の訪日を要請しているが、それに先立って実現したのだ。訪問の順序という点ではいろいろな考えがありうるが、ミャンマーとしては新政権の今後を左右する新パンロン会議を成功させるために必要だったのだろう。

 もちろん中国は慈善事業でミャンマーに協力しているのではなく、注文があるのは当然だ。ミッソン・ダムの凍結解除を求めるのではないかという観測が出ているが、これもカチン州にあり、住民の反対はなお強い。ミャンマーの新政権と中国との間では、環境への影響がより少ない小型のダムを複数建設することなど代替案を模索する動きもあるそうだ。
 また、中国はかねてからミャンマーの港湾利用のためミャンマー政府の協力を必要としている。ミャンマーの西海岸にあるチュオピュ港の建設とパイプラインで雲南とを結ぶ計画も進めている。
 このようなプロジェクトの重要性もさることながら、中国としては軍政時代の反動で反中国的傾向が強くなったミャンマーを再び中国に引き寄せ、東南アジアでカンボジア、ラオスに次ぐ親中国国にするという戦略を重視していると思われる。

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