平和外交研究所

2016年6月

2016.06.23

沖縄で「組織的戦闘が終了」した日-戦争責任など

 1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで、また、戦争を指導した人たちの責任を論じて、1995年、読売新聞に以下の一文を寄稿した。

 「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
 個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
 歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
 では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
 個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
 これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
 他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
 さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
 したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
 もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
 顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
 戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
 一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
 もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
 個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
 個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」

2016.06.21

(短文)農民の権利保護か、中国の安定重視か‐烏坎村事件の再発

 烏坎(ウーカン)村事件とは、2011年秋、広東省の一農村、烏坎村で発生した村民による抗議事件だ。問題となったのはこの村の共有地467ヘクタールが村民の知らないまま売却され、村民にはわずかな補償しか与えられなかったことで、ここまでは中国の農村でよく起こる農民無視の開発問題だが、烏坎村では約3千人の村民(村の人口の約4分の1だから、主要な働き手の大多数が参加した)が抗議して当局と激しく衝突し、鎮圧を図った警察隊を村に入れないよう阻止するため村民はバリケードを築いて対抗するなど大規模な騒動に発展した。この問題は海外でも注目され、危機感を抱いた党中央は広東省党委員会に、管理者側の責任を認め、村民の要求に理解を示す形で収拾させた。

 それから約5年たつが、烏坎村では再び抗議の声が上がった。村民の指導者である林祖戀は、問題の土地がまだ返還されないので、村民大会を開くことと、上級官庁に対して「上訪(上級官庁に訴え出ること)」を計画し、その許可申請を行った。
 林祖戀は村民に対し、指示に従うこと、物を壊してはいけないことなどを言い聞かせるとともに、大量の旗とスローガンを準備し、かつ、「護法隊」を組織するなどした。
 しかし、林祖戀は6月18日、当局によって強制的に連行されてしまった。
 一方、村民大会は武装警察が取り巻く中で予定通り開催された。3千人を超える参加者は「我々の土地を返せ!我々の書記を返せ!」などと叫びながら村内を半時間デモ行進した後大会に出席した。大会では林祖戀の妻、楊珍の呼びかけに応じて、21日から「上訪」を開始することが決定された。

 現在のところ5年前のような衝突事件には至っていないため注目度は低いが、この5年間、農民の不満は解消されず、党中央は時間稼ぎをしたに過ぎないのかもしれない。
 5年前の事件発生のときは胡錦濤が国家主席であった。今回は習近平主席がどのような対応をするかという点でも注目される。習近平は国家の安定を重視する一方、農民の権利擁護も強調している。同主席は一部に「左翼」だ、つまり、本来の共産主義思想に忠実だと言われるくらい農民重視だ。
 

2016.06.20

(短文)イランの核開発に関する合意履行上の新たな問題

 イランの核開発問題に関し、2015年7月、各国間で合意が達成されて以来、イランが合意を忠実に履行するか懐疑的な見方が強かったが、実際には履行はおおむね順調であり、今年の1月、各国の対イラン制裁は解除され、1979年のイラン革命以来続いていた米国との関係は改善され始めた。

 しかし、核合意の履行は簡単でない面があるらしい。とくに、米欧の銀行の姿勢に問題があるとThe Independent紙6月16日付、Robert Fiskの記事が伝えている。その要点は次の通りだ。
「各国政府はイランに対する制裁は解除したのだから企業がおおいに取引を再開することを願っているが、銀行側は積極的に動こうとしない。核合意とは関係ないことで米国から制裁を受けるのが怖いからだ 米国の政府機関はイランがテロとなどにかかわりマネーロンダリングをしている証拠を探そうと躍起になっており、摘発でもされたら罰金は莫大な額に上る。そのため銀行側は慎重にならざるをえず、米国の銀行員にはイラン人に名刺さえ渡さない人がいるそうだ。
 この問題は、米欧の銀行とイランとの取引だけでなく、第三国の銀行にも及んでいる。」

 Fisk記者はこのような銀行側の事情を報道するとともに、イランと米欧の取引が進展しなければ、核合意の実現を導いたローハニ大統領のイランにおける立場が困難になるだろうとも述べている。問題は核開発ではないが、イランの対米不信が高まる恐れがあるからだ。

検索

このページのトップへ

Copyright©平和外交研究所 All Rights Reserved.