平和外交研究所

9月, 2015 - 平和外交研究所 - Page 2

2015.09.25

外交交渉の裏舞台はコミュニケーションにあり

これは9月25日、大学セミナー・センターで行った講義のためのメモです。講義を受けた人の便宜のためにアップしました。

外務省の研修
海外研修 言葉だけでない 他国の実情を理解しなければならない
キャリア組とノンキャリア組 
ドラマでも出てくる。警察物語。「たたき上げ」とエリート
外務省の場合、上級職、専門職、初級職 専門職が重要なのはコミュニケーションのため

外務省ではコミュニケーションはとくに重要
外務省と他の省庁との違いはなにか?
外務省には担当する分野がない。すべてに素人。これが特色。
他の省庁には所管する分野がある。
かつて外務省の副大臣、政務官などを務めた人は、よく落選すると言われていた。
特色がないこととコミュニケーションが抜群に重要なこと 奇妙な特色か

多様なコミュニケーション
パーティが多い?一時代前の認識? なぜ料理人が必要か。
食事しながら協議することは多い。日ソ交渉の例 日本では料亭でねまわしか。
酒を飲めないことはハンディでない。

出来レースは少ない。公開の場での議論を好む。
日本は安定志向が強い。そのため、会議でフリーに議論するよりシナリオが決められる。
専門家の会議、委員会と違う

マルチとバイ 代表部とは 国連 ジュネーブには代表部が2つ EU、ウィーン国際機関 OECD ユネスコ ASEAN
大使館との違い 相手が国か国際機関か。
1:1 1:多数
マルチは経験と語学力が必要
マルチのやりにくさ フォローがしにくい 待ってくれない 人には聞けない Geでは突然仏語に切り替わる。
バイ 欧州ではもめごと、イシューが少ない 協力が多い 
開発途上国では援助が多い 
特恵関税 特恵受益国及び地域 144(137か国、7地域)、うち特別特恵受益国(LDC)47か国
政治面で先進国と合わないことがある 人権 児童労働

任国のことを伝え、弁護し、任国に日本を伝える 
売り込み トランジスター 
本国を向くか任国を向くか 本国重視は容易だが尊敬されない。任国の説得も必要。

昔は研修先の人との結婚は禁止 任国を向き過ぎるから

米国の場合は任国、本国は必要なら調整もしてくれる 対米追随?
尖閣諸島の場合 米国は第三者でない 
在中国大使 「中国」「中華人民共和国」 日中友好のため熱弁をふるうのにブレーキ 歴史問題 尖閣諸島 南シナ海
在韓国大使 近いが相違点が多い 憲法についての考え ガバナンス
OBとマンスフィールド大使 議会で力があったことが退任後も役立った。日本に対する関心を持ち続けた。行動力があった。

コミュニケーション 微妙さ
相手が違うだけに困難 同じ漢字でも意味がズレている。
英語にも、和製英語 バイキング ノーサイド

世代を超えたコミュニケーションの問題 若者用語だけでない 靖国神社参拝の可否を問う世論調査

深くコミュニケーションするには知識と知的欲求が必要。興味があることには知的関心が向く、知識も増える
日本の得意なこと 「魚」と言っても何の魚か
成長漁 ワカシ→イナダ→ワラサ(ハマチ)→ブリ オボコ → スバシリ → イナ → ボラ → トド
欧米人 「肉」だけでは不可 子牛か成長牛か 雌か雄か 去勢しているか否か

拉致問題をめぐる日朝関係
9月23日付某新聞 見出し「北朝鮮、拉致調査覆さず」
「北朝鮮による日本人拉致被害者らの再調査をめぐる昨年からの日朝非公式協議で、日本政府が認定し、帰国が実現していない横田めぐみさん(拉致当時13歳)ら12人の拉致被害者について、北朝鮮が「8人は死亡。4人は入国していない」とした当初の調査結果を現段階で覆していないことがわかった。複数の日本政府関係者が明らかにした。」

ストックホルム合意 拉致問題、「特定失踪者問題」、遺骨の返還、残留日本人について特別調査委員会を立ち上げ再調査。

古屋圭司・拉致問題担当相は2014年9月1日、外国特派員協会で会見し、最初の報告が「夏の終わりから秋の始めに出てくるという共通認識を持っている」
「2014年末までには」
「1年」
「拉致問題は解決済み」
そして2015年9月23日の報道

イメージギャップの危険
北朝鮮を悪者呼ばわりするのは簡単 非人道的行為 テロ 韓国への攻撃 汚い罵り
しかし真実には迫れない スケープゴートが要る?

新聞記事の後半
「だが、北朝鮮が「改めて入境からの経緯を確認する」とした12人の認定被害者について、「8人死亡、4人入国せず」との過去の調査結果は覆っていないという。
 調査終了の目安だった「1年」を迎えた今年7月、北朝鮮が「いましばらく時間がかかる」と通告してきた後も、日朝双方は9月初旬にかけて計4回大連で接触したが進展は見られなかった。
首相側近は「認定被害者についてはゼロ回答との認識を持っている。『そんな報告は受け取れない。しっかりと調べ直せ』というのが日本の立場だ」と話す。また、官邸幹部は「北朝鮮は拉致以外の結果を先に出そうとしている。金が先に欲しいのだろうが、それではダメだと言っている」との認識を示している。」
北朝鮮は悪というイメージに合わせての発言?

生存しているというのは、そもそも調査はずさん、だから調査内容とは言えない、だから死亡したとは言えない
日本としては根拠をもって主張しなければならない
米国の思い込み 実はwishful thinkingだが米国としてはもっともな面がある
北朝鮮は何を求めているか。この分析が必要。
安全保障と生存確保が最重要 
朝鮮戦争 米国 核
冷戦下 中ソの後ろ盾 半分失った
金正恩の2大方針 核と経済発展
    過去の革命路線は消滅した?
中国関係との関係は冷え込んでいる

日韓関係
IPDHP 2015.08.10 「70年談話有識者懇談会の報告書‐韓国関係部分の記述には問題がある」
『朝日新聞』9月19日(AJWフォーラムから)韓国の文化交流 日本文学、変わらぬ人気 尹相仁(ユン サンイン)
「ソウルは、世界でも日本文学の愛好家が最も多い都市の一つだろう。大型書店では翻訳本はもちろん、日本語の原書、それも新書や文庫本まで並んでいる。かつて三浦綾子の「氷点」に感動した世代の子供や孫たちが、いま村上春樹や東野圭吾、宮部みゆきらの小説を楽しんでいる。
 日本による植民地支配が35年間に及んだ韓国では、解放後、日本文学が警戒の対象になった。李承晩(イスンマン)・初代大統領の排日政策により、日本文学は公には姿を消した。しかし、1960年に李大統領が退陣すると、そうした政策は和らぐ。すでに20代は日本語が読めず、韓国語に翻訳されるようになった。日本文学が外国文学になったわけだ。石坂洋次郎の作品が人気だった。
 私は55年に生まれ、70年代に大学生活を送った。夏目漱石、芥川龍之介、川端康成、大江健三郎らを韓国人の作家の翻訳で読んだ。確か最初に読んだのは、高校生の頃、太宰治の「斜陽」だったのではないだろうか。
 韓国では軍事政権のもとで検閲があり、作家たちの自由な活動は制限されていた。日本の小説は私小説、歴史小説、企業小説など実にジャンルが多様でダイナミックだったので、韓国の読者を魅了した。吉川英治の「宮本武蔵」、山岡荘八の「徳川家康」などがベストセラーになった。こうした人気に対し、一部の知識人は「植民地文化が我々の意識を侵食している」と批判した。しかし、書店から日本文学が消えることはなかった。
 今年6月、北京で韓国、中国、日本の作家らが集まり、「東アジア文学フォーラム」が5年ぶりに開かれ、私も参加した。日本からは島田雅彦さんらが出席した。日中関係の悪化で会議は延期になっていた。会議では、政府間の関係が悪化しているからこそ、作家たちは個人的信頼を築き、会い続けようということを確認した。
 韓国では日本との関係悪化にもかかわらず、日本文学の人気は相変わらずだ。政治は物事を短期的に見ようとするが、文化交流は発酵と熟成の過程を経て息の長い方向性を見いだす。水面は激しく波立っていても、海の中は静かだ。だが、ときに民衆はもろく、政治の嵐に吹かれる。研究や文化に携わる者は荒波にもまれてはいけない。
 韓国では、日本研究者は警戒と疑いの目で見られることがある。日本では韓国人の研究者は民族主義的だとみられる。両者に挟まれてつねに緊張状態を強いられる。しかし、だからこそやりがいがあるのだ。(構成・桜井泉)

この文章に違和感を感じない 日本がよいと言っているのではない 日本文学を評価している 客観的であろうとする姿勢が貫かれている 逆境にありながらよいものを楽しむ

2013.11.11 キヤノングローバル戦略研究所 「企業の力で「日本」の広報を」
日本経済新聞 「経済教室」2013年11月8日掲載
美根慶樹・古城佳子
(ポイント) ○企業活動により韓国のイメージは向上
       ○ソフト・パワーは国際関係を左右する重要な要素
       ○ソフト・パワーの源泉としての企業活動の活用が重要

「朝鮮通信使」
14世紀から19世紀まで 室町時代に3回、秀吉時代に2回、江戸時代に12回
朝鮮国王と足利将軍、秀吉、徳川将軍
外交交渉であった 
捕虜の返還 
足利義満は「日本国王」か 秀吉とは何者か 徳川将軍の地位 天皇がいるらしい
正式の国書か否か 印璽と年号 対馬藩での書き換え
雨森芳洲は当代随一の外交官 もっとも鎖国下では外交官などいるはずもなかったが
日朝は平等でなかった 軍事・政治的に日本は強かった
しかし、文化的には朝鮮が優位にあった? 通信使一行を迎え、日本の知識人は接触と交流を希望した
朝鮮人は精神的にゆとりがあったらしい 朝鮮側に残る文献

日朝関係はなぜ語られないか
明治以降日本は欧米を向いた 技術文明で圧倒された 追いつこうとした
征韓論の一般的説明 
「明治維新後日本は対馬藩を介して朝鮮に対して新政府発足の通告と国交を望む交渉を行うが、日本の外交文書が江戸時代の形式と異なることを理由に朝鮮側に拒否された。・・・朝鮮は頑として応なかった。また政権を握った大院君は「日本夷狄に化す、禽獣と何ぞ別たん、我が国人にして日本人に交わるものは死刑に処せん。」という布告を出した。
排日の風が強まったのに対し、日本国内においては征韓論が沸騰した。板垣退助は閣議において居留民保護を理由に派兵を主張し、西郷隆盛は派兵に反対し、自身が大使として赴くと主張した。後藤象二郎、江藤新平らもこれに賛成した。いったんは、明治6年8月に明治政府は西郷隆盛を使節として派遣することを決定するが、9月に帰国した岩倉使節団の岩倉具視・木戸孝允・大久保利通らは時期尚早としてこれに反対。最終的には太政大臣代理となった岩倉の意見が明治天皇に容れられ、遣韓中止が決定された。その結果、西郷や板垣らの征韓派は一斉に下野した。征韓論政変または明治六年政変とも呼ばれた。」
この説明だけでは、なぜ日本がそれほどいきり立ったのかよくわからない。徳川幕府などは何回も拒否された。これは関西人が西に関心を持たないようなものだ
朝鮮内部の政争 大院君と閔妃の鎖国継続か、開国か 
江戸時代までの日朝関係史とのつながり
日本は清、ロシアなどとの勢力争い 日朝関係に影響した?
2015.09.25

中国とイスラエルの関係

 中国とイスラエルが1992年に外交関係を樹立するまで、中国はイスラエルと戦っていたパレスチナ解放機構(PLO)とアラブ諸国を支持していた。
中国は非アラブ諸国の中で最初にPLOを承認し、北京の代表事務所に外交使節としての待遇を認めていた。また、PLOに対して資金と武器も提供していた。
 改革開放政策が本格的に進められる1980年代になって、中国は現実的な姿勢を取るようになったが、欧米の資本と技術が流入するのはまだ先のことであり、当時は日本の役割が大きかった。宝山製鉄所は代表的な協力の例である。
 そのような状況の中で、中国はイスラエルの軍事装備や技術などに関心を持ち、静かに関係を深めていた。

 冷戦の終結により中東においても新しい展開が生まれた。1991年、米ソ両国がマドリードにおいてスペインと共同で中東和平に関する会議を開催したのを嚆矢として、ノルウェーのホルスト外相の仲介などによって交渉が進められ、1993年9月、ワシントンにおいて「パレスチナ暫定自治政府に関する原則宣言(Declaration of Principles on Interim Self-Government Arrangements)」が署名・発表された。イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長がクリントン大統領を挟んで歴史的な握手を交わした写真を覚えておられる読者も多いだろう。
 翌1994年にはイスラエルとヨルダンの和平協定が実現し、ヨルダンはエジプトに次いでイスラエルを承認するアラブの国となった。
 パレスチナとイスラエルの関係が緩和したことにより中国・イスラエル関係の進展を妨げていた主要な障害はなくなり、1992年、中国はイスラエルと外交関係を結んだが、それから間もなく、両国にとって試練となる事態が発生した。

 中国によるイスラエルからの早期警戒機、ファルコンの購入問題であり、この件をめぐって中国は複雑な国際関係に巻き込まれ、苦い経験をすることとなった。
 1996年3月、台湾の総統選挙で台湾人の李登輝が選出されることがほぼ確実になった。李登輝はかねてから、台湾は事実上独立の領域であると主張し、各国に対してその実態に見合った扱いをすべきであると訴えていた人物である。李登輝が総統になれば台湾における独立機運が一気に高まると危機感を覚えた中国は、演習と称して台湾近海にミサイルを撃ち込み、台湾の世論に中国との関係の重要性を再認識させようとした。李登輝へ票が流れるのを食い止めたかったのである。
 これに対し米国は空母を台湾近海に派遣して中国の動きをけん制するとともに、ミサイル攻撃への対処に必要な早期警戒機E-2Tを4機供与するなどして台湾の軍事対応能力の向上を図った。この機種は当時の最新鋭機と比べると旧型であったが、中国にとっては座視できない問題となった。
 一方、中国はロシアまたはイスラエルから早期警戒機を入手可能であったが、両者の製品を比較して、イスラエルのファルコンのほうが全体的にロシアのA-50より優れていると判断し、1996年6月、中国はイスラエルからファルコンを購入する契約を結んだ。
 当初、米国は表だって反対しなかった。イスラエル政府が米政府に事前に通報していたこともさることながら、米国は台湾に対する早期警戒機の提供について中国から強く抗議されており、イスラエルによる中国へのファルコン提供は中国をなだめるのに役立つと思ったからであった。
 しかし、米国は、イスラエルによるファルコンの供与は米国にとって脅威になることを恐れ、イスラエルに対して提供を思いとどまるよう圧力をかけはじめた。イスラエルはかなり抵抗したらしいが、結局米国の圧力を跳ね返すことはできず、2000年7月、早期警戒機提供契約の履行を暫時停止することとした。
 すると中国の朱鎔基首相は、おりしも訪中していたロシアのプーチン大統領に対し、ロシア製A-50の購入希望を申し出、プーチン大統領は即座に承諾した。イスラエルの発表から1週間もたっていない時点での出来事であった。中国内には、ロシアのA-50は性能上イスラエルのファルコンに及ばないという意見があることは前述したとおりである。また、独自に開発すべきであるという主張もあったが、中国軍としては一刻も早く早期警戒機を獲得したい考えであり、ロシア機の購入に踏み切ったのである。
 11月、カシヤノフ・ロシア首相が訪中し、朱鎔基首相との間で、ロシアはまずA-50を2機中国に貸与すること、そして、後に5機を売却することに合意した。
 一方、イスラエルは担当の局長を北京に派遣し、契約に違反したことについて中国政府に正式に謝罪した。その際、イスラエルとしては他の国からの圧力を受けてそうせざるをえなかったと弁明し、さらに、いずれファルコンの取引を完了させたい考えであると粘ったと言われている。
 イスラエルの謝罪と弁明に対し、中国は、第三国による干渉に抗議し、かつ、国家間の合意は守られるべきであるとする声明を発表した。
この一連の経緯を通じて、中国とイスラエルの関係進展は一時期スローダウンしたが、中国がイスラエルに対する方針を大きく変更することはなく、その後も両国は軍事面での協力を継続した。
 中国は最近イスラエルに対するハイテク投資を急増させており、その分野では近い将来米国を抜いて一番になるという見方もある。その実態は軍事関連の投資であろう。

 中国は1989年の天安門事件から立ち直って以降、軍事力を急速に増強させ、それに伴い米国と何回か角を突き合わせた。訪中した米国防次官補に対し、中国の副総参謀長が核兵器に関し、「米国は中国を再び脅かすことはできない。最終的には、米国にとっては台北よりロサンジェルスのほうが大事だろう」と、将来核兵器を使用する可能性をにおわせる発言をして米国をひどく刺激したこともあった。両者が衝突するきっかけとなったのが台湾の総統選挙であり、またイスラエルによる中国への早期警戒機供与であった。しかし、中国の軍事力はまだ米国に遠く及ばず、いずれの場合にも中国は米国の影響力の大きさをあらためて見せつけられた。

 今や中国にとって、中東は武器のみならず資源確保の面でも重要な地域になっており、政治的には、イスラム過激派勢力から敵視されているという特殊状況も生じているが、全体的に中国と中東地域との関係は急速に進展している。
 中国は中東和平にも積極的に取り組む姿勢を見せており、2014年に入ってからパレスチナとイスラエルに呉思科特使を3回派遣し、また、王毅外相は同年8月初め、エジプトを訪問した。
 同地で王毅外相が発表した中東和平5項目提案では、イスラエルとパレスチナによる即時停戦、イスラエルによるガザ地区の封鎖解除、拘留パレスチナ人の解放、イスラエルの安全への懸念重視、パレスチナ人の独立と建国への正当な要求と合法的権利の支持など、中国がイスラエルとパレスチナ双方の立場に配慮する姿勢がよく示されていた。
 このような中国の積極的な外交姿勢は、これまで中東和平を進める主役であった米国の立場にも影響を及ぼすのではないかと注目されている。

(『季刊アラブ』No 154 2015年秋号 に掲載された)
2015.09.24

安保関連法改正後の防衛体制と違憲問題

 安保関連法の改正案は9月19日未明、参議院で可決され、成立しました。これによってどのような変化が生じてくるのか。改正直後で今後のことを占うには材料が不足していますが、これまでに明らかになっていることから言えることを整理してみました。
 大きく言って、自衛隊など我が国の防衛体制がどうなるかということと、憲法違反問題はどうなるかという2つの視点があります。
 まず、自衛隊の任務は大幅に拡大することになりますが、自衛隊自体はそれに応じて強化されるでしょうか。
 一般に、新しい法律が成立すると、履行するのに必要な予算措置が講じられます。資金の手当てがなければ何もできないからです。今回の改正についても、防衛省としては、当然、自衛隊の任務が拡大するのに応じて予算の増額を要求するでしょうが、それを実現することは簡単ではありません。
 最大の問題は、改正法案の審議過程でしばしば現れた、法律の内容と政府側の答弁の食い違いです。具体的には、改正法では、自衛隊の活動範囲は日本の領域と「周辺地域」に限られず、世界に広がりました。それに応じて措置を講じると巨額の予算増と大幅な人員増が必要になります。
一方、政府は、自衛隊が海外へ派遣されるのは極めて限定されたケースだ、他国の領域に派遣されることは絶対ないなどと答弁しており、その方針によれば予算と人員の大幅な増加は必要でないということになるでしょう。今後、予算と人員の決定はどちらを基準に行なわれるのでしょうか。
 また、予算に内在する複雑な事情も考慮する必要があります。新しい法律が成立したと言っても、その費用はできるだけ既存の予算の中でやりくりして手当てするのが常識です。自衛隊の場合も他の経費を節約することが求められるでしょう。
一方、自衛隊の任務が重くなるに伴い入隊する人が少なくなるような事態になれば、待遇面の改善が必要となり、機能を維持するだけで経費が多くなるという問題もあります。
 さらに、防衛予算については、5年間の総額について一定限度の枠が設定されています。具体的には、中期防衛力整備計画(2014年度~18年度)で防衛費の総額をおおむね23兆9700億円の枠内に抑えることになっています。
改正された法律にしたがって任務を遂行できるよう自衛隊を強化するには、以上のようにあまりにも不安定要因が多いので、具体的な結論を出すのに新たな論争が生じる可能性があります。仮定の話ですが、改正法にしたがって自衛隊を強化できなければ法律は絵に描いた餅になりかねません。

もう一つの視点が、憲法違反の疑いの濃い法律に対して国民がどう向き合うかです。政府・与党にはこのような問題は存在しないでしょうが、あらためて説明するまでもなく、安保関連法案について憲法学者や内閣法制局のOBを含め大多数の専門家が憲法違反であるとの判断を示しました。改正法案を支持したのは防衛体制を強化すべきだという観点からであり、正面から憲法違反でないと論じたのではなかったと思います。
また、国民の過半数が改正法案に反対していたのは憲法違反を危惧していたからでしょう。関連法の改正は成立しましたが、国民と専門家による反対、疑問は今後日本の政治において大きな問題であり続けるのではないでしょうか。
法律が憲法に違反しているか否かを審査・決定するのは最高裁判所ですので、その判断を求めることも考えられます。しかし、それですべてではありません。法律の合憲性について国民が意見を表明するのは当然です。
「国民の意見」はどのように表明されるか簡単でないのは事実ですが、国会で議決したことだけが国民の意思だというわけにはいきません。形式的に民主主義のルールに従っているから問題ないとみなすのが危険なことは、かつてナチスの例で世界が経験したことです。世論調査も、また人々がさまざまな形で表明する意見も尊重されるべきです。国会前のデモでは非常に多くの人が、自発的に、法案に反対の声を挙げました。

改正法のどこに憲法違反の疑いがあるか、主な点を示しておきます。
その一つは武力攻撃・存立危機事態法第3条4項の「存立危機事態においては、存立危機武力攻撃(集団的自衛権の行使の対象となる攻撃で、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃であって、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるもの」です)を排除しつつ、その速やかな終結を図らなければならない。ただし、存立危機武力攻撃を排除するに当たっては、武力の行使は、事態に応じ合理的に必要と判断される限度においてなされなければならない。」と、第4条1項の「国は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つため、武力攻撃事態等及び存立危機事態において、我が国を防衛し、国土並びに国民の生命、身体及び財産を保護する固有の使命を有することから、前条の基本理念にのっとり、組織及び機能の全てを挙げて、武力攻撃事態等及び存立危機事態に対処するとともに、国全体として万全の措置が講じられるようにする責務を有する。」という規定です。
今回多くの法改正が行われましたが、ほとんどすべては自衛隊の任務を拡大するものであり、「○○できる」という形で記載されています。しかしこの2つの規定は、存立危機事態が認定されれば、国家は「存立危機武力攻撃を排除しつつ、その速やかな終結を図る」ことを義務づけ、しかも「組織及び機能の全てを挙げて、武力攻撃事態等及び存立危機事態に対処するとともに、国全体として万全の措置が講じられるようにする責務を有する」ときわめて重い義務を課しているのです。自衛隊は、存立危機攻撃を受けた外国へ行かなければこの義務は果たせないでしょう。つまり、国際紛争に巻き込まれることを禁じた憲法に違反する可能性が高くなるのです。
一方、安倍首相は、自衛隊が他国の領土へ派遣されることは絶対にない、と答弁していますが、これは、国の義務として法律に記載されていることと明らかに矛盾していると思います。
 
もう一つの憲法違反は、新しい国際支援法(テロ特措法およびイラク特措法を恒久法化したもの)が、「非戦闘地域」で、かつ、「後方支援(本法では「協力支援活動」と呼んでいる)」であれば外国での紛争に巻き込まれないという前提の下に自衛隊が各国に協力することを可能にしていることです。この前提についても、「非戦闘地域」と「戦闘地域」の区別は困難だ、「後方支援」であっても敵対行為とみなされるのが国際常識だ、という有力な反論や疑問が提出されているのは当然だと思います。
 安保関連法案の改正は国会での結論がすでに出たことであり、政府・与党としては今後も争点になるとは考えないのかもしれませんが、一件落着とはとても思われません。国民としては以上の問題点を含め、今後の安全保障関連の法整備のありかたについて熟慮を重ねる必要があるのではないでしょうか。

(9月21日THEPAGEに掲載)

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