平和外交研究所

9月, 2014 - 平和外交研究所 - Page 6

2014.09.06

ウクライナ問題とNATO

ウクライナ問題をしばしば取り上げるのは、ロシアの国際的地位、米欧や中国との関係などをよくフォローしたいからである。

5日、ベラルーシのミンスクでウクライナ東部問題に関する協議が行われ、ウクライナと親ロシア派の代表が停戦に合意した。合意文書は12項目とも14項目とも言われている。停戦は一応実現したらしいが、その他にどのような内容があるのか現時点ではわからない。和平協議が開催されるそうだが、それはおそらく今回の停戦合意の中に含まれているとして、いつ、どこで開催されるのか。
停戦合意に先立ってプーチン大統領がモンゴルを訪問した際に書いた停戦案では、東部ウクライナからウクライナ軍は撤退することになっているが、ではその後東部地域はどうなるか、親ロシア派は建物の占拠を解くのか。今回の停戦合意でもそれが最大の問題である。
また、ウクライナ領内へ入ったロシア軍はどうなるかも実際には問題であるが、このことを親ロシア派は認めないだろうから、ロシア軍は黙って引き上げるだけなのかもしれない。

英南西部のニューポートで4~5日に開催されたNATO首脳会議はポロシェンコ大統領をオブザーバーとして受け入れ、強く支持する姿勢を見せた。ウクライナ軍の支援のために1500万ユーロの基金を設立することを決めた。この他に医療や財政支援も行われる。48時間以内に展開できる即応部隊の創設を柱とする「即応行動計画」も採択した。ウクライナで共同の軍事演習も行う予定である。また、欧米諸国はロシアに対する厳しい見方を変えず、追加制裁を検討中である。
NATOの対応には、東アジアでは見られないユニークさがある。欧米諸国対ロシアという
場面でのみ見られることかもしれない。第1に、突っ張りあいのようにお互いに露骨に強い姿勢を取る。第2に、お互いに不信感が強く、しかもそれを露わにする。第3に、ロシアは停戦協議を支持するなど融和的な姿勢を取っても、NATOは「ではまず協議の成り行きを見極め、その結果いかんで強い措置を講じる」というのではなく、「即応行動計画」やウクライナでの共同訓練の実施予定などはロシアのそのような姿勢に関わらず決定している。これらのことにかんがみると、ロシアは二言目には、核大国であるなどと軍事力の強さを誇ってみせるが、どうもその立場は強くないように感じられる。
NATOも決して一枚岩でない。とくに軍事予算の負担は米国や、それにある程度は英国にとっても大きな負担であり、他のNATO諸国はもっと軍事予算を増額すべきであるということを長年言い続けている。今回の首脳会議に際してもオバマ大統領とキャメロン首相が連名で英タイムズ紙に投稿し、「GDP比で2%を国防費にあてるという目標を達成しているのは、米英などごく少数」と指摘して他のNATO諸国に予算増を呼びかけている。予算もさることながら、フランスのようにロシアに対して米英と伝統的に異なるスタンスの国もある。今回はロシアに対する武器供与を延期するなどしているが、いずれ再開されるだろう。
そのようなスタンスの違いは明らかに存在するが、しかし、ロシアが問題を起こせば起こすほどNATOは結束を強め、ロシアに対する圧力が強くなる。このような関係にあって、ロシアの立場を補強してくれる勢力は皆無に近い。国際場裏で同じ保守派として盟友の中国は少数民族問題に悩まされており、ウクライナ問題については単純にロシアを支持することはできない。欧米諸国には賛成しないというのがせいぜいである。

ただし、本ブログでしばしば紹介している米国拠点の『多維新聞』の見方はかなり違うことを紹介しておく。すなわち、9月4日付の同紙は、「NATO首脳会議が開催される直前、プーチン大統領はウクライナ問題について融和的な姿勢を見せ、緊張緩和に導き、ポロシェンコ大統領は停戦の合意を発表できた」「そのためNATOが振り上げたこぶしは下せなくなってしまった。出兵の理由がなくなった」「プーチン大統領はオバマ大統領より優位に立った」というものである。
しかし、プーチン大統領がNATO首脳会議を考慮して融和的な態度を見せたとしても、それはとりもなおさずロシアの立場が弱いことを示唆しているのではないか。

2014.09.04

ウクライナ問題に関する9月5日の協議

9月5日、ベラルーシでウクライナ東部での戦闘に関し停戦協議が再開される。これに至る過程で関係諸国間ではフォローするのが困難になるくらいさまざまな動きや発言があった。停戦協議再開の前に多少」整理しておいた。

5月25日のウクライナ大統領選挙にまでさかのぼると、これに反対していた親ロシア派は前月から行動を活発化し、政府庁舎の占拠を始めていた。しかし、ウクライナ全体では大統領選挙は比較的円滑に実施され、ポロシェンコ新大統領が無事誕生した。

6月6日、ポロシェンコ・プーチン両大統領はノルマンディー上陸記念式典の際出会い、握手も交わした。この時は短時間であったのでとくに突っ込んだ話し合いは行なわれなかったが、ポロシェンコ新大統領にとっては上々の滑り出しであった。

6月27日、ウクライナはグルジアとモルドバとともにEUと連合協定に署名した。将来のEU加盟へ向けての準備の一環であるが、長年の懸案であり、ウクライナにとっては重要な前進であった。

7月17日、マレイシア機MH17便の撃墜事件が起こり、ロシアとウクライナおよび欧米諸国の関係は非常に悪化した。ウクライナ東部ではウクライナ政府の攻勢が強くなり、親ロシア派の武器、食料などが欠乏しかけており、それに対するロシアからの陸路補給が新たな問題となった。
米欧はロシアの姿勢がウクライナ東部の情勢を悪化させているとして対ロシア追加制裁措置を取り、日本も8月5日、追加措置を決定した。

8月26日、ベラルーシでポロシェンコ・プーチン会談が実現し、停戦協議の再開について合意された。その前からロシアによって支えられていた親ロシア派の攻勢が再び強くなり、ウクライナ政府軍は劣勢に立っていたので、この合意はウクライナ政府にとって救いであっただろう。

しかし、その後も事態は改善されなかった。8月28日、ポロシェンコ大統領は、ロシアの戦車部隊がドネツク州南部の国境を突破したとして、緊急声明を発表した。続いて、30日、ポロシェンコ大統領はEU首脳会談がおこなわれていたブリュッセルで会見し、ウクライナ東部の状況は「取り返しのつかない地点に近づいている」と訴え、停戦協議の重要性を強調した。

一方、停戦協議再開のための交渉は並行的に進められていたらしく、ベラルーシ外務省は30日、停戦協議が1日、ベラルーシの首都ミンスクで行われることを明らかにした。

ポロシェンコ大統領がEUなどに窮状を訴える間、ロシアのプーチン大統領は8月31日、「本質的な問題についての協議をただちに始める必要がある。ウクライナ南東部における政治組織、国家機構の問題だ」と述べた。親ロシア派が拠点としているドネツク、ルガンスク両州に、事実上の独立国に近い地位を与えるべきだという考えとみられた。

(9月1日のベラルーシでの協議は実現しなかった。)

NATOは9月4~5日に英国西部ニューポートで首脳会議を開催する。1日、北大西洋条約機構(NATO)のラスムセン事務総長は記者会見で、ウクライナ危機を受け、即応体制の強化に向けて数千人規模の「先陣部隊」を新設する考えを明らかにした。この部隊は最短2日で域内に展開可能である。また、有事の際に機敏に対応するための「即応行動計画」がまとめられる予定となった。先陣部隊は同計画の柱である。

9月3日、オバマ米大統領はNATO首脳会議に先立つ3日、エストニアを訪問し、同国とリトアニア、ラトビアのバルト3国防衛へのNATOの支援を確約した。同時にオバマ大統領はウクライナでの対立激化についてロシア政府を非難し、ロシアの侵略姿勢に対する結束を呼びかけ、た。NATO事務総長とオバマ大統領の行動と発言はロシアにとって強い圧力となったものと推測される。

同日、ポロシェンコ・プーチン両大統領は電話で協議し、ウクライナ側の発表によると、「平和の確立に向けた段取りについて、相互理解が得られた」。
一方、プーチン氏は訪問先のモンゴルで、電話協議について「紛争の正常化に向けた道筋について、私たちの見解は非常に近いと感じた」と述べた。
プーチン氏はさらに、電話協議後モンゴルに向かう機中で書き上げたという、7項目からなる停戦計画案を発表した。(1)ウクライナ軍と親ロ派の即時停戦(2)ウクライナ軍の撤退(3)国際的な停戦監視(4)紛争地での一般市民に対する軍用機の使用禁止(5)捕虜の無条件交換(6)避難民の移動と人道支援物資運搬のための「人道回廊」の確保(7)破壊されたインフラの復旧である。親ロ派に対しても停戦を呼びかけた点が注目されたが、ウクライナ軍に対して東部から撤退するよう求める一方、親ロシア派による政府建物の占拠には触れておらず、ウクライナ側が受け入れない可能性もある。
プーチン大統領は以前、ウクライナ東部に事実上の国家ないし独立性の高い自治区を認める必要があると言っていた。そのような考えはすでになくなっているかという問題もある。

2014.09.03

中国の権力派閥

『多維新聞』9月1日付は、中国の権力派閥について次のように論じている。

今日の中国では、習近平を始めとする「太子党」と李克強をかしらとする共産主義青年団の系統(共青団派)が中央と地方の権力を握っている。経験豊富な官僚が再び重視され、過去二十年間政界で重きをなしていた石油系統の者、地方閥の官吏は、反腐敗運動のなかで、あるいは年齢が理由で続々と失脚している。地方閥の者が政治勢力を形成する傾向は中国の政治が現代化に向かって進む中で姿を消しつつある。毛沢東が「団結派」であったならば、習近平は「派閥破壊派」であり、中国は「無党無派」時代に入りつつある。

1989年から2012年の共産党第18回全国代表大会までは、中国の政界は「太子党」「共青団派」および「上海閥」の3大派閥によって動かされてきた。同大会はそのような観点の分析が最高潮に達した時であり、9人から7人に減少した政治局常務委員についてもそのような分析が行なわれた。習近平はもとより、張徳江(人民代表大会委員長)は建国の功労者であった高級軍人張志毅の子、兪正声の父母はともに建国の功労者、王岐山は姚依林元副総理の女婿であり、党大会の頃、「太子党」は中央を牛耳り、「共青団派」は地方を支配した、などと言われた。

しかし、「太子党」を政治結社のように考えるのは妥当でない。統一された政治綱領も主張もない。いずれも出身がよいということだけであるが、これらの人は政治権力の安定を支えている。彼らを結び付けるのは、共産党の赤い国の色が変色しない保証であり、彼らこそが中国を建設し、親の世代からの功績を引き継ぐことができる。

「共青団派」は党内の幹部が若年化していることを表している。第18回党大会以降を見れば、李克強は首相に、元党組織部長の李源朝は国家副主席に、湖南省委員会書記の周強成は最高検察院院長に、広東省委員会の書記であった汪洋は国務院副総理になるなど「共青団派」が枢要な地位についているのは事実であり、そのため胡錦濤以下の「共青団派」が巻き返したなどと言われた。中央の幹部が若返っているのは時代のせいであるが、李克強が彼らを率いて習近平に忠誠を誓えば、習近平もそれに応えるであろうし、そうなると「太子党」と「共青団派」が協力してどのように中国を動かすかということが中国政治の注目点となろう。

一方、「上海閥」「山東閥」「山西閥」という言い方は現在も存在している。しかし、現在山西には反腐敗の大々的取り締まりが始まっている。上海、山東、河北の出身者はまだ多いが、習近平政権の下でこれら「地方閥」が生き残る空間は次第に縮小している。

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