平和外交研究所

9月, 2013 - 平和外交研究所 - Page 6

2013.09.10

人民解放軍との衝突もいとわない「城管」

9月4日午後、青島で「城管」と人民解放軍兵士が衝突した。「城管」の言葉の意味は「町の管理者」であるが、実態はその言葉の印象とはほど遠く、暴力沙汰を起こすこともしばしばで、露天商の女性が、取り締まりを受けたとはいえ、殴り倒され血みどろになって路上に放置されている姿がネットで流れたりしている。断わっておくが、「城管」は公務員であり、中国では誰よりも恐れられている。
青島で問題になったのは人民解放軍の監視塔で、当局より撤去を命じられたが聞き入れなかったらしく(ここまでは推測)、「城管」はブルドーザーでその強制撤去に取りかかったところ、それを阻止しようとする人民解放軍兵士数名と殴り合いになり、兵士は衆寡敵せず蹴散らされ、監視塔は撤去されてしまったという話である。一部始終が写真付きでネットに流れている(文匯網 これは香港ベース)。
人民解放軍は、中国内部の秩序維持を担う武装警察と密接な関係にあり、中国の現体制は人民解放軍や武装警察なくして維持できない。「城管」はそれと衝突するのもいとわないのである。

2013.09.09

四つの基本原則と習近平体制

「共識網(あえて訳せばコンセンサス・サイト)」が9月4日に、2008年に書かれた文章を掲載した。張顕揚という理論家がインタビューで語ったことを文章化したものであるが、張顕揚はこれが完成する3年前(2005年)に死亡していた。つまり、このインタビューはかなり以前に、おそらく今から10年くらい前に行なわれていたものと推測される。
その談話がどうして今頃になって出てくるのか。どのような意図、背景があるのか。たんなる歴史回顧でないことは確かである。
張顕揚は1979年1月18日、北京で開催された理論工作会議のことを語っている。160余名が参加し建国以来30年の理論宣伝工作の経験と将来について議論することが目的であった。前年末の中央委員会総会(第11期3中全会)で改革開放政策が決定され、文化大革命の混乱は過去のこととして近代的国家建設の遅れを取り戻そうという時であり、理論工作についても自由な立場から議論できる雰囲気であったらしい。
この会議は2回の休会を挟んで約2ヵ月間続き、後半の会議に出席した鄧小平は「四つの基本原則」を堅持することが必要だと総括した。これは、社会主義の道、プロレタリア独裁、中国共産党の指導およびマルクスレーニン主義・毛沢東思想であり、言わばコチコチの革命路線である。新しい政治情勢に心を弾ませていた参加者は冷水を浴びせられ、会議前半の自由な雰囲気は吹き飛び、以後この会議のことは肯定的に論じられなくなったそうである。
「纏足のようなよちよち歩きではだめだ」と大胆な改革の檄を飛ばした鄧小平のもう一つの側面をしめす一事であるが、この文章は次の言葉で締めくくられている。
「1979年の理論工作会議が解禁になることを望んではいけない。四つの基本原則に新しい説明を期待してもいけない。いつも上ばかり向いている必要はない。」
冒頭に述べたことに戻るが、今日の状況にも関連しているからこそ、「共識網」はわざわざこのような古い話を待ちだしたのであり、習近平体制下の中国で革命路線と経済建設路線をめぐってかなり深刻な意見の違いがあることがっここにも表れているように思われる。
「共識網」はどちらが重要と思っているのか。少なくとも二つの路線のバランスに気を配っていることは明らかであるが、締めくくりにはさらにつぎの後段がある。
「歴史の伝承には官と民の二つの道がある。民間の火はしばしば官によって抹殺されるが、いつか正しく受け入れられる日が来る。これとは反対に、官が強制した欽定の歴史は、いつかかならず唾棄され、歴史の殿堂から駆逐される。胡喬木(元中共政治局員 毛沢東の秘書を務めたり、憲法の起草にかかわった。一般には保守派、すなわち革命的路線を重視するとみられていた)は、「四つの基本原則はもたない。早晩憲法から引きずりおろされるだろう」と語っていた。中共当局にとっては、門を出たとたんにカラスの不吉な声を聞いたのも同然であっただろう」。これを見ると、「共識網」は四つの基本原則をあまり好いていないのかなと思われる。

2013.09.07

G20でのシリア問題

9月6日閉幕したサンクトペテルブルグのG20においてシリア問題は活発に議論されたが、シリアへの軍事攻撃に賛成する意見は増えず、むしろ米国の立場はより困難になったと思われる。
第一に、化学兵器の使用問題についてG20としての結論は出せなかった。このこと自体は大したことでないかもしれないが、議長を務めたプーチン大統領の采配もありG20全体としては軍事介入を支持しないことがプレーアップされた。一方、軍事攻撃を明確に支持した国は、トルコ、カナダ、サウジアラビアおよびフランスだけであった。
第二に、日本、米国、英国、フランスなど11ヵ国はそれでも米国を支持する共同声明を発表した。同声明は、8月21日ダマスカス郊外で起こった化学兵器による攻撃について「シリア政府の責任を示す証拠がある」としたが、さらに「そのような攻撃はシリア政府の化学兵器使用のパターンである」とも付言した(The evidence clearly points to the Syrian government being responsible for the attack, which is part of a pattern of chemical weapons use by the regime.)。
この声明は 、シリア政府軍が化学兵器を使用したとの考えに立っているが、シリア政府がそれを命令したと断定しているのではない。「責任がある」とは、「シリア政府が命令しなくても責任がある」と言っているようにも解される。
「使用のパターン」に言及した追加文言の意味は明確でなく、シリア政府が化学兵器攻撃をしたことを示す直接の証拠が弱いので主張を補強するために用いられたのかもしれない。つまり、「シリア政府がしそうなことだ」と付言したということである。それは推測にすぎないが、このような文言を追加せざるをえなかったことにも、シリア政府が命令したと断定できないもどかしさが表れているように思われる。
第三に、11ヵ国声明は、国連の安保理が2年半の間機能停止の状態に陥り、化学兵器問題に対処できていないことに不満を述べ、これ以上待つことはできないとして、「化学兵器禁止を強化するために米国などが行っている努力を支持する」と、ここは明快に述べているように見えるが、「米国などが行っている努力」とは何かが問題である。米国としても抽象的に評価されるだけでは満足できないであろう。
第四に、「国連の調査団が結果を速やかに提示し、安保理が適切に行動することを求める」としていることは当然である。しかし、国連の調査結果が明らかになるまで米国が軍事攻撃しないという保証はない。2003年のイラク攻撃の場合には国連の調査が行われている最中に米国は行動を開始した。10年前と現在は状況が変わっている。米国の政権も同じでないが、国連の調査結果が出てくるにはなお時間がかかりそうだし、また、出てきても化学兵器を使ったのはシリア政府軍か、それとも反政府軍か明確な結論は期待できない。
第五に、議会の反対により軍事攻撃参加の可能性を封じられた英国のみならず、フランスや、また米国でも軍事攻撃への世論は賛否がほぼ拮抗しており、議会の状況も微妙なようだ。米国議会では委員会レベルでは賛成の結論が出たが、本会議でどうなるか予断は許さないと言われている。G20はこのような各国の世論や議会の状況を反映しているのはないか。
第六に、米国の情報の信頼性がきわめて低下していることが気にかかる。米国は国連とは別に独自に情報収集を行なっており、傍受したシリア政府軍と政府との間の通信からシリア政府軍が化学兵器を使用したことが明らかになったと説明した。政府が証拠があると言っても、各国の国民、したがってまた議会もなかなか信用しないのではないか。発表された情報の信頼性がこれほどまでに低下したのはイラク戦争の際の苦い経験があるからであり、その後遺症は今なお深刻である。

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