平和外交研究所

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2016.06.20

(短文)イランの核開発に関する合意履行上の新たな問題

 イランの核開発問題に関し、2015年7月、各国間で合意が達成されて以来、イランが合意を忠実に履行するか懐疑的な見方が強かったが、実際には履行はおおむね順調であり、今年の1月、各国の対イラン制裁は解除され、1979年のイラン革命以来続いていた米国との関係は改善され始めた。

 しかし、核合意の履行は簡単でない面があるらしい。とくに、米欧の銀行の姿勢に問題があるとThe Independent紙6月16日付、Robert Fiskの記事が伝えている。その要点は次の通りだ。
「各国政府はイランに対する制裁は解除したのだから企業がおおいに取引を再開することを願っているが、銀行側は積極的に動こうとしない。核合意とは関係ないことで米国から制裁を受けるのが怖いからだ 米国の政府機関はイランがテロとなどにかかわりマネーロンダリングをしている証拠を探そうと躍起になっており、摘発でもされたら罰金は莫大な額に上る。そのため銀行側は慎重にならざるをえず、米国の銀行員にはイラン人に名刺さえ渡さない人がいるそうだ。
 この問題は、米欧の銀行とイランとの取引だけでなく、第三国の銀行にも及んでいる。」

 Fisk記者はこのような銀行側の事情を報道するとともに、イランと米欧の取引が進展しなければ、核合意の実現を導いたローハニ大統領のイランにおける立場が困難になるだろうとも述べている。問題は核開発ではないが、イランの対米不信が高まる恐れがあるからだ。
2016.06.17

(短評)イスラム教徒の移住制限は可能か

 フロリダ州オーランドで、6月12日未明、銃乱射事件が発生し、50人が死亡、53人が負傷するという大惨事となった。
 米大統領選のトランプ候補はいち早く声明を発表し、「米国がイスラム過激派テロリストの攻撃を受けた」「犯人はアフガニスタンからの移民の息子だ」などと述べつつ、あらためて米国はイスラム系移民の受け入れを厳格化すべきだと強調した。

 しかし、イスラム教徒の移住を制限することはできるか。基本に立ち返ってみておこう。
 イスラム教徒は現在米国の人口の約1%を占めている。宗教別にみれば、キリスト教徒が抜群に多いが、第2位のユダヤ教徒と第3位のイスラム教徒は僅差である。米国への移民数では、イスラム教徒が年間10万人に上っており、2030年にはイスラム教徒は620万人に増加すると見込まれている。だからイスラム教徒が警戒されるのかもしれないが、一定の政治勢力であることも事実だ。イスラム教徒だけに制限を加えることは人権蹂躙などの問題があるが、政治的な問題も起きるだろう。
 もともと、イスラム教徒は共和党支持者が多かったが、9.11同時多発テロ以降、共和党内でイスラム教徒に対する風当たりが強くなったためイスラム教徒は民主党支持に回るようになり、オバマ大統領の成立に際しては大多数のイスラム教徒が支持するに至った。したがって、共和党としては、今はイスラムの負の側面が目立っているが、将来は失われたイスラム教徒の支持を回復したいという気持ちがあるはずだ。
 
 また、イスラム教徒についてだけ移民を制限することは困難だろう。米国はもともと移民の国であり、移民については明確な政策があり、国別の枠のほか、家族関係、職業上の技術、人道的理由などが考慮され移民の受け入れが決定される。その中に宗教上の理由を持ち込む余地は皆無なはずである。つまり、ほかの宗教は構わずにイスラム教徒だけ制限することはそもそも法的にできないはずだ。許されるのは移民政策の範囲内に限られる。
 
 イスラム教徒を差別的に扱うことはそもそも移民政策の根幹を揺るがしかねないどころか、人種問題を惹起して米国のタブーに触れる恐れがある。米国では、移民問題について、移民が少ない日本では想像を絶するほど複雑な歴史と経験があり、米国は人種問題の爆発を防ぐため懸命の努力を行っている。だから、非白人のオバマ大統領を選ぶことができたのだ。また、日本では出身地を尋ねることはごく普通のことだが、米国では注意が必要だ。人種について間接的に質問していると取られる恐れがあるからである。
 トランプ候補がイスラム教徒に対する移住制限を繰り返してもさほど問題にならないのは選挙戦という特殊な状況の中だからだと思われる。

2016.06.07

(短文)ミャンマーの新国民会議

 ミャンマーでは今年の3月30日にティン・チョウ新大統領が就任し、国民民主連盟(NLD)の指導者であるアウン・サン・スー・チー氏は憲法規定により大統領になれないので国家最高顧問となり、外務大臣などを兼任している。
 以来、議会で憲法改正の試みが行われたが、4分の1の議席を持っている軍人が反対したため試みは失敗した。
 新しい試みとして、ビルマ族、各少数民族、武装グループがすべて参加する新パンロン(Panglong)会議を開催して憲法改正の突破口を開こうとする構想がNLDを中心に進められている。
 パンロン会議とは、1947年2月、ビルマ独立の指導者アウン・サン(ビルマ族の代表)と少数民族がシャン州のパンロンで行った会議で、合意に参加したのはシャン、カチン、チンの3民族だけであった。
 問題は少数民族の自治権をどの程度認めるかであり、パンロン会議では自治権を与えることが合意された。また、後に制定された1947年憲法で、シャン、カヤーについては独立後10年目以降の連邦からの離脱権を認める条項が加えられた。
 しかし、その後、パンロン協定で保障された諸民族の自治権も失われ、シャン、カレンニーに認められた連邦離脱権も剥奪された。
 この間(47年7月)アウン・サンは暗殺されるなど情勢は不安定であり、1948年1月4日のビルマ独立は諸民族間の完全な合意がないまま強行された感がある。
 もちろん、すべての少数民族の合意を待っていては英国からの独立自体が危うくなる恐れがあっただろうし、その時点でのビルマ連邦独立が時期尚早であったとは断定できないが、その時未解決であった問題が今日まで尾を引いていることは否定できないようだ。

 昨年10月に休戦協定が合意され、その後、Union Peace Dialogue Joint Committeeが設置された。民族間の対話を進めることが目的だが、7月に新パンロン会議を開催する準備の意味もある。
 また、休戦協定には一部少数民族は参加しなかったので、この委員会の下部委員会では非参加のグループとの対話を行うことになっており、6月中に初会合が予定されている。
 しかし、新パンロン会議が成功する保証はない。シャン族のリーダーは、休戦協定に不参加のグループを含めすべての民族が出席するようにならなければ会議の成功はおぼつかない、NLDは民族政党の合意なしに進めようとしていると批判的だ。
 すべての少数民族の合意を取り付けるのは簡単でない。ビルマの独立以来続いている難問だ。
 スー・チー顧問は議会に1人でも出している民族政党はすべて新パンロン会議に招待すると言っているが、議員が1人もいない少数民族はどうなるのかという疑問もある。
 一方、休戦合意に参加したグループの中には、国家顧問、軍の司令官と大統領との会談を求める声もある。

 いずれにしても、新パンロン会議の成功のためには、まだ合意に加わっていないグループ、とくに休戦協定に未参加のグループとの対話の成り行きが注目される。

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