平和外交研究所

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2015.03.24

リー・クアンユー・シンガポール元首相の死去

リー・クアンユー・シンガポール元首相は学生時代から3月23日に他界するまで、つねに傑出した人物であったことは世界中に知られている。私は2000年、瓦防衛庁長官(当時)がリー上級相に会見した際、お供の一人として同氏の偉大さを垣間見る機会があった。同氏は首相職を退いてからすでに10年経過していたが、アジアの政治状況を一分の緩みもなくフォローしていた。リー氏が日本に対して強い関心を抱いていたこともよく知られていたが、いわゆる「日本びいき」という情緒的なことでなく、アジア情勢の透徹した分析から論理的に導き出した結果として日本に強い期待を抱いていた。リー氏がかくしゃくとして、しかしそれをやさしい言葉で包んで語った光景は忘れられない。
リー元首相のご冥福をお祈りする。

2015.02.07

原発の安全性とトリウム炉

友人から、トリウム炉がもっともすぐれているという趣旨の、古川和男氏の『原発安全革命』を送ってもらいました。以下はそれに対する私のメールです。

「先日は『原発安全革命』を送っていただきありがとうございました。こちらからの連絡が遅れて申し訳ありません。

私は技術のことは素人ですが、原発の安全性というか、安全なエネルギーを確保することには関心があり、古川さんがトリウム炉を提唱されていることも聞いていました。また、私が昨年末まで勤めていたキヤノングローバル戦略研究所の高温ガス炉研究会にも一度だけですが、顔を出したこともあります。このような関係から、軽水炉原発が日本としてよい選択であったか、米国、とくに産業界にしてやられたのではないか、今後も軽水炉でよいのか、など一応疑問を持っています。経産省がこれまでエネルギー確保のために努めてきたことは正当に評価すべきですが、原子力発電に関する同省行政の在り方については東日本大震災以降強い疑問を持ち、関係企業との癒着、ないしはなれ合いがあるのではないかという気持ちを払しょくできません。しかし、私の得意な分野でないためか、原発の安全性について自分で問題を調べたり、行動を起こしたりはしていません。

前置きが長くなりましたが、古川さんの本には興味深いことがいっぱい書いてあります。全部は理解できていませんが、拝読していて、政府が決定したエネルギー政策、核燃料サイクルの問題点をどのように取り上げ、さらに将来的には変えていくか、国民の安全にかかわるこの重要で複雑な世界にどのようにメスを入れていくかといういつもの疑問がわいてきました。古川さんはおそらく小型溶融塩発電炉FUJIを進めるのがよい、それが突破口になるとお考えなのだと思います。私も素人ながら、FUJIを研究し、推進することに興味がありますが、軽水炉や高温ガス炉との比較考量もしたうえで、もっともよい方法を導き出さなければなりません。

FUJIに関する今後の検討は誰が進めていくのでしょうか。科学的知識のある専門家が必要なのは当然ですが、専門家だけでは物事を動かせません。専門家だけでは原子力政策という難問を解決することは無理で、結局軽水炉派にいいようにやられてしまうでしょう。政府と官僚機構の仕組みに通じている人でこの問題に熱意を持って取り組める人の協力が絶対的に必要です。さらには広く国民の理解と協力も得ていかなければなりません。そのような大局的状況の中で、専門家の間でFUJIがどのように評価されているのかがまず問題になるでしょう。

さらに、私は、プルトニウムという危険物質を減少させることは日本の国益に照らしても重要と思っています。あれほど何回も事故を起こした高速増殖炉についていずれはうまくいくなどという話は聞きたくありません。

もう一つの問題は廃棄物の処理場が出てこないことです。これも極めつけの難問であることは世界中が知っています。しかし、現実には問題は未解決ですが、原発は再開されようとしており、そうなると行き場のない廃棄物が増加するのは不可避です。このことはすでに政治のレベルでも指摘されていますが、同調する人は思ったほど増えていない印象があります。

以上、私の関心事を簡単に列挙しました。今後、どう考えればよいか、また、どうしたらよいか、教えていただけると助かります。」

2014.12.24

SUICAにプレミア感?

東京駅開業百周年を記念して特別のSUICA(磁気カード)が発売されるというので大勢の人が殺到し、危険な状況も出てきたため発売は途中で中止された。しかし突然の予定変更である。JRに怒りをぶつけた人も多く、現場は険悪な雰囲気になったそうである。今回発売されることとなった特別カードの数が限定されていたことが混乱の原因であり、疑問や批判が相次いだ。JRはその後方針を変更し、販売数を増加することにしたと報じられている。
JRが販売数を限定したのは「プレミア感」を出そうとしたためであろうと言う人がいる。これはどういう意味か。「プレミア」という言葉を冠した商品は他にもある。それは普通の商品でなく、とくに品質が高いものを言うようだ。SUICAは、今回記念に発売されるカードも普段使うカードも性能はまったく変わらないが、記念カードの特別デザインが価値を高めているのであろう。また、「プレミア感」はその販売数が限定されているためだとも指摘されている。希少価値ということで付加価値が生まれているのである。インターネットでは記念SUICAは驚くほど高値で転売されているそうである。

しかし、「プレミア感」という言葉を使うことには抵抗感を覚える。なぜ日本語を使わないのかといぶかっているのではない。我々の生活の中に外国語があふれていることは、決して理想的なことと思わないが、あまりの数のため外来語の使用をやめようと旗を振る気にはなれない。そんなことをしたら平成のドンキホーテになってしまうだろう。問題は外国語の使い方であり、外国語を無批判的に導入し、どんどん使っていくなかで、本来の意味とは違った意味で使用されることが既成事実化することである。
「プレミア」はそもそもpremierのことだろうが、これは「第一の」あるいは「首位の」という意味である。プレミア・リーグなどはそうであろう。これには、premiumのように付け加わるという意味はない。品質が追加的に、あるいは特別によいと言いたいのであれば、「プレミアム」と言うべきである。しかし、それは言いにくいので「プレミア」で代替させたということであろう。つまり、記念SUICAの場合も「プレミアム」というべきなのであるが、便宜的に「プレミア」と言っているのであろう。このような用法は記念SUICAが初めてではなく、以前からあったらしい。たとえば『広辞苑』なども、「プレミア」が「プレミアム」の意味で使われることがあるとしているので、日本社会ではかなり広く見られる現象となっているようである。

3千ページもある大きな辞書でさえ受け入れていることであり、また外来語の導入は日本人の柔軟性の表れでもあるが、それでも私は、「プレミア」の使用には抵抗がある。外来語の安易な使用が思わぬ結果を招来することをつくづく思わされる出来事があったので紹介する。北朝鮮が現在行っている特別調査に関することであるが、伊原外務省アジア大洋州局長は平壌訪問から帰国後、北朝鮮は拉致問題について「前回の調査結果にこだわらず」全面的に調査しなおしていると説明した。これ聞いた永田町界隈にいる外国語マニアが「ゼロベースで調査しているという説明であった」と言い換えた。「ゼロベース」は、情けないことに、国会でも使われた。これを聞いた拉致被害者家族会の代表である飯塚さんは、「今更ゼロベースで調査するとは何事」と反発したそうである。
要するに、「前回の結果にこだわらず」を「ゼロベースで」と言い換えるのは、「プレミアム」を「プレミア」と言い換えるのと同様、一般にはさほど目くじらを立てるほどのことでないかもしれないが、状況いかんで罪づくりになるのである。以上の理由から、かつ頭が固いためか、私は「プレミア感」などという言葉を使用する気になれない。

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