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2019.08.21

昭和天皇の反省とシビリアンコントロール

 NHKは8月16日から3日間、田島道治初代宮内庁長官が昭和24年から5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した「拝謁記」を報道した。昭和天皇が、サンフランシスコ平和条約発効後の昭和27年5月3日、日本の独立回復を祝う式典を控えて何を述べたいかを田島に語り、それに対する田島の意見を求め、さらに田島が吉田首相と必要な調整を行った結果を報告したことなどを、手帳やノート合わせて18冊に詳細に記したものである。昭和史についての第一級の資料だという。
 
 旧陸軍あるいは一部軍人が政府の考えに忠実に従わなくなり始めたのは、中国で1924年に起こった第二次奉直戦争からであったといわれている。

 昭和天皇はその2年後に即位し、以後大事件の連続に見舞われた。昭和三年(以下、昭和の年号表記による)には張作霖爆殺事件、六年には関東軍による柳条湖爆破事件(満州事変)が起こり、翌七年にはリットン調査団、満州国独立、日本による満州国の承認(日満議定書)と事態が進み、各国との対立が抜き差しならなくなった日本は八年に国際連盟を脱退した。九年には主要国の主力艦保有を制限していたワシントン条約を廃棄、十年にはロンドン軍縮会議からも脱退して、艦艇の保有制限を取り払ってしまったので欧米との対立は決定的となった。まさにあれよあれよという間に日本は各国と対立していったのである。

 国外での強硬路線と並行して、国内では軍部、あるいは一部軍人、あるいは右翼による凶行が相次いだ。五年に浜口雄幸首相の狙撃事件、六年にクーデタ未遂事件(三月事件と十月事件)、七年には井上準之助(浜口内閣の蔵相)や三井の総帥、団琢磨の暗殺(血盟団事件)、犬養毅首相の暗殺(五・一五事件)が起こった。

 そして十一年二月二十六日に二・二六事件が発生し、さらに十二年七月七日の盧溝橋事件(日中戦争の開始)、十六年十二月八日の米英蘭に対する宣戦布告と拡大していったのである。

 要するに、昭和天皇の即位から20年間、ほぼ毎年国家的大事件が起こったのであり、天皇の立場は想像もつかないほど困難だっただろう。今回公表された「拝謁記」によれば、昭和天皇は敗戦に至った道のりを何度も振り返ったそうだが、その心情は我々普通の国民としてもよく理解できる。

 昭和天皇の発言内容については、大きく言って、二つの重要な点があった。その一つは昭和天皇が「反省」という言葉を使いたいと強くこだわり、「私はどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と語ったことである。「反省といふのは私にも沢山あるといへばある」「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだといふ意味も今度のいふ事の内にうまく書いて欲しい」などと述べている。

 しかし、田島長官から意見を求められた吉田首相は「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」、「今日(こんにち)は最早(もはや)戦争とか敗戦とかいふ事はいつて頂きたくない気がする」などといって「反省」に反対した。

 昭和天皇は田島長官に繰り返し不満を述べたが、最後は憲法で定められた「象徴」らしく首相の意見に従った。昭和天皇は戦争への深い悔恨を国民に伝えたいと強く望んだが吉田首相の反対で盛り込まれなかったのである。

 もう一つの重要点は、昭和天皇が自分の意思に反することが次々に起こったことに無念の気持ちを抱いていたことが、天皇自身の言葉で語られたことである。

 戦前、天皇の意思が実現しなかったことは何回かあり、天皇が疑念や不満を表明していたことは歴史の研究で明らかになっていた。たとえば、天皇が張作霖爆殺事件に関して田中義一首相を叱責したこと、二・二六事件の際には「反乱軍を速やかに鎮圧するように」と指示したこと、太平洋戦争の開戦に当たっては戦争を避ける方策の探求を繰り返し求めたが、戦争に突入することになってしまい、強い無念の言葉を残したことなどである。

 「拝謁記」においては、昭和天皇が個々のケースに限らず、軍に対する全体的な評価として、「下剋上」という、極度に強い言葉を用いていたことが判明した。天皇は、自らの指揮下にあるはずの軍が天皇に従わなかったとみていたのである。天皇は「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ」、「軍部の勢は誰でも止め得られなかつた」、「東条内閣の時は既に病が進んで最早どうすることも出来ぬといふ事になつてた」、「私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上(げこくじょう)とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返(くりかえ)したくないものだ」などとも語っていた。

 この発言はいわゆるシビリアンコントロールがいかに困難かを示している。旧憲法下で天皇は日本国の元首、統治権の総攬者であり、天皇大権と呼ばれる広範な権限を有し、軍の関係でも「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と規定されていた(第11条)。天皇は軍の最高指揮官だったのである。しかも、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とされていた(第3条)。天皇はこれだけの権利と権威をもちながら、軍の専横を止められなかったのである。

 旧憲法は文民統制(シビリアンコントロール)の概念に欠けていたという説明もあるが、シビリアンコントロールの制度があっても、それだけでは政府と異なる意見を主張して引き下がらない軍を抑えることはできない。現憲法は、第66条2項で「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定することによりこの制度を定めていると解説されるが、この規定だけではシビリアンコントロールは機能しない。先般の南スーダンへ派遣された自衛隊の例を見ても、防衛大臣は自衛隊を統制できなかった。

 シビリアンコントロールの本質は究極の強制手段を持つ軍を政府の方針に従わせることである。これを、すべての大権をもつ天皇でもできなかった。つまり旧憲法体制でもできなかったのである。新憲法で定めている「首相や防衛大臣による統制」ははるかに微弱である。

 念のため付言しておくが、軍のすべてを否定しているのではない。旧軍はよく日本を守り、また、国威を発揚してくれた。立派な軍人ももちろん多数いた。しかし、愚かなこと、危険なこと、日本を危機にさらす結果になったこともした。それが軍の現実である。

 憲法改正論において自衛隊の憲法への明記(軍として?)が論じられるが、今の自衛隊が普通の軍になる、あるいはそれに近づくのであれば、シビリアンコントロールについて徹底した検討が不可欠であり、真に機能するシビリアンコントロールのためにはどうすればよいか、何が必要かを究明する必要がある。それがいかに困難かを昭和天皇の言葉は雄弁に物語っているのではないか。

2019.08.15

慰安婦問題

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2019.08.05

韓国に対する輸出管理厳格化と米国の姿勢

 韓国に対する輸出管理厳格化措置を米国はどのように見ているか、また、日韓両国の間に立って仲介を試みる考えはあるか。関連の報道や説明は注意深く聞く必要がある。

 7月31日の共同通信はロイター通信を引用しつつ、「米政府高官は30日、日本による対韓輸出規制強化など一連の日韓対立を巡り、現状を維持し新たな措置は取らない状態で交渉する協定への署名を求める仲介案を提示したと明らかにした」と伝え、また、「ポンペオ国務長官は8月1日にタイ・バンコクで予定する日米韓外相会談で、河野太郎外相と韓国の康京和外相と仲介案について協議する見通しだ」と報道した。

 しかし、31日午前、菅義偉官房長官は記者会見で、米政府高官が日韓に仲介案を提示したとの一部報道について「そのような事実はない」と述べた。

 共同通信は「仲介案」があったとし、菅官房長官はそれはなかったとしたので、両者の説明は、この点では矛盾している印象があるが、実は、みかけほど異なっていない面もある。
 米国は今回の規制強化措置について米国の考えを日韓両国に示していたことである。日本と韓国は米国にとって重要な同盟国であり、東アジアの安全保障戦略にとって両国の協力が不可欠でり、米国としては日韓両国が仲たがいをしてもらっては困る、一刻も早く関係を改善してもらいたいと考えており、米国がそうしたのは当然であった。

 このことについて菅氏の説明はよほど注意して聞かないとわからない。記者会見では「米国との間では、わが国の一貫した立場や考えを累次伝達し、常日頃から緊密に連携している」、「今後もわが国の立場に対し、正しい理解が得られるように努める」とだけ語ったからであるが、その中に、米国は「仲介する用意がある」という態度を示したことは言及されていなかったが、含まれていたと思う。

 一方、韓国の文在寅大統領は、米国が「仲介の用意がある」という姿勢を見せたと明言した。文氏は2日午後、臨時の閣僚会議を開き、安倍政権が輸出手続きを簡略化できる「ホワイト国」のリストから韓国を外す政令改正を決めたことについて、「とても無謀な決定であり、深い遺憾を表明する」と語ったうえ、「米国が状況をこれ以上悪化させないよう交渉する時間を持つよう求めた提案に、日本は応えることはなかったと非難した」のである。
 「米国が状況をこれ以上悪化させないよう交渉する時間を持つよう求めた」との言及が米国の姿勢を示していた。しかも、文氏は「日本はその提案に応えることはなかった」とまで語ったことは見逃せない。

 韓国の大統領が発言したことがいつも正しいわけではない。しかし、この発言は事実を反映していたと思う。もし、文氏が日本政府の対応について誤った言及をしたのであれば、日米両国から抗議され、是正を求められるからである。

 要するに、米国は日韓両国に対して、関係改善のためともに努めるよう求めたのであり、そのことについてわが官房長官は、文氏が具体的ま表現で説明したのとちがって、ごく一般的な形で触れただけであったのだ。

 ちなみに、2日、バンコクで行われた河野太郎外相、ポンペオ米国務長官、韓国の康京和(カンギョンファ)外相間の会談についても、日本政府は米国が仲介する用意があるという趣旨の発言はなかったと説明した。河野外相は記者から、「ポンペオ長官のご発言について,両国で話し合いをして問題解決に向けて努力してほしいということなのですが,これはポンペオ長官が間に入って何か仲介をするというものでは・・」と問われたのに対し、「違います。別に仲介とかなんとかということではなくて,両国の問題は両国で話し合って解決してください,ということでした。」と述べている。

 要するに、日本政府の口からは、輸出規制強化措置に関して、米国政府が日韓関係を心配しているようなことは一切出ないのであるが、それでも日本政府の姿勢には危惧を覚えてならない。

 理由の一つは、かりに米国と日本の考えや立場が違っていても、日本政府はそのような違いを国民に説明してくれるか安心できないからである。

 もう一つの理由は、日本政府が2日に第二弾の規制強化措置を取った後、米国から強い懸念を示す声が聞こえてきたからである。米国務省当局者の共同通信に対する、「日韓対立について双方が関係改善に責任がある。ここ数カ月間に2国間の信頼を傷つけた政治的決断には反省が必要だ。日韓関係が悪化すれば、双方が結果に苦しむことになる。米国はこの問題に関与し続け、両国の対話を支援する用意がある」との発言である(3日の共同通信)。

 この発言は、米国の日韓両国の態度についての見解を率直に語っているだけでなく、日本政府に対する非難めいた言及も含んでいたと思う。もちろん、共同通信のこの報道が完全に正しいか、検証は必要である。
 
 ともかく、今回の規制措置強化を機に著しく悪化した日韓関係を両政府はどのように改善する考えなのか。韓国政府は措置の撤回を求めているのに対し、日本政府はどう応えるのかが問われるが、残念ながらどちらからも対応策は見えてこない。

 かりに、日韓関係が今のような状態を続ければ、米国が不満を募らせるのは不可避であろう。

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