平和外交研究所

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2014.05.06

オバマ発言に関する美根の評論を多維新聞が報道

4月24日の日米首脳共同記者会見でのオバマ大統領の発言(本ブログでも4月28日に取り上げた)に関する私の拙文が共同通信社によって「識者評論」として報道されたところ、5月5日の多維新聞(米国に本部がある中国語の新聞)はその前半だけを報道した。その限りではほぼ正確な報道であった。

報道されなかった後半部分は次の通りである。
「それでは日本として今後どうすべきか。日本が尖閣諸島に対し領有権を持つことは法的・歴史的に明らかであり、「領土問題はない」との基本姿勢は貫くべきだ。しかし中国と対話せず、何もしないというのでは、第三国には理解されない。
 日本は平和的に中国との間にある争いを収める努力をしなければならず、そのためには国際司法裁判所(ICJ)での解決を模索するのがいい。
 日本はこれまで法的な可能性として「中国が提訴すれば受けてもよい」と述べてきた程度だ。日本がICJでの解決を求めており、そのために努力すると歯切れよく表明することが肝要だ。
 米国は一般的にICJでの紛争解決を重視しており、オバマ大統領も平和解決のために何でも協力すると言明している。
 尖閣の主権をめぐる大統領の発言だが、歴史的に米国は特殊な立場にある。尖閣がサンフランシスコ講話条約の「琉球諸島」に含まれるとの解釈を確立したのは、米国と他の締約国だ。しかも米国は主導的役割を果たした。米国にこのことを注意喚起し、適切な対応を取るよう求めるべきだ。」

2014.04.26

PKOと武器使用

キヤノングローバル戦略研究所のホームページに掲載された一文

「国連の平和維持活動(PKO)に参加する日本の部隊の武器使用はかなり制限されており、「隊員の生命などを防護する場合」は認められるが、「任務の遂行を実力で妨害する企てに対する抵抗の場合」は認められていない。前者のケースはA型、後者はB型と呼ばれることがある。この制限を分かりやすく言えば、日本の部隊は、自分たち隊員は助けるが、日本の部隊と同じPKOの中で活動している外国人、日本のNGOなどが生命の危険にさらされても、日本の部隊は、原則として、助けに行けない、日本の部隊ができるのは外国の部隊に対してこれらの人たちを助けてほしいと要請するだけである。
 このようなことは誰が考えても公平でない。しかも日本の部隊は、おそらく他国と比べて装備も訓練も非常に優れており能力的には問題がないだけに、そのような制約が合理的か、国際的には疑問を持たれるであろう。自衛隊の海外での活動について日本の主要新聞にはさまざまな主義主張があるが、B型が認められるよう、あるいは少しでもそれに近づけるよう何とかしたいという気持ちがにじみ出ている論調が増えているように見受けられる。ただし、結論は憲法の制約から認められないというところで止まっている。
 総理の下に設置されている「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」はB型を認めることができるか見直そうとしているそうであり、注目される。
 日本の部隊が活動する場合に武力の行使が制限されるのは、二つの理由による。その一つは、日本国憲法は徹底した平和主義の観点から自衛隊が海外で武力を行使することを原則禁止していると解釈されているからであり、もう一つの理由は、平和維持活動で武力行使が認められるのは、攻撃に対して自衛する場合に限られると解されているからである(たとえば山本草二『国際法』)。
第一の憲法の関係では、9条1項は「武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する」と規定しており、日本政府はこの「国際紛争」とは、「国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立している状態」を言うと定義している(官邸ホームページ「国際的な平和活動における武器使用」)。
この定義に立ち、日本は第三国間の紛争において武力を行使できないのはもちろん、特定国内で政府と反乱軍の間で生じている紛争でも武力を行使できないと解されている。しかし、PKOは政府と反乱軍が和平に合意した後のことであり、後者の定義にあたらないのではないか。もしあたらなければ憲法の制約はPKOに及ばないことになる。
 第二は、平和維持活動で武力行使が認められるのは、攻撃に対して自衛する場合に限られるという国際法の解釈は、武力行使を原則禁止にした国連憲章に起因している。すなわち、同憲章は、武力行使禁止の例外としていわゆる国連軍として行動をとる場合(第42条)と、国連加盟国が個別的または集団的に自衛権を行使する場合(第51条)をあげており、国連軍は成立しないので自衛権行使の場合だけを例外として武力行使を認めているように見える。しかし、例外はそれだけではないのではないか。同憲章2条4項は、「国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるもの」は武力行使が禁止されると規定しており、逆に言えば、国連の目的と両立する場合は武力行使が認められると解することが可能である。つまり、武力行使禁止の例外には第3のケースがあるということである。このことを認めれば、自衛権の行使でなくても武力行使ができることになる。
 このようにPKOには自衛権の考えを持ちこむ必要がないばかりか、そうすることには問題がある。すなわち、自衛権を行使するのはいずれかの国が攻撃してきた場合であり、その場合攻撃する側と受ける側との間では「国際紛争」がある可能性が高い。攻撃以前の時点では敵味方ではなく平和な関係であったとしても、攻撃を仕掛けてきた場合はそこから「国際紛争」が始まることが多い。つまり「国際紛争」は自衛権の行使と同時、あるいはそれ以前から起こっており、自衛権が行使される場合、通常は「国際紛争」があるのである。
一方PKOは、それまで争っていた当事者間に和平が成立した場合のことであり、平和な状況の中で平和を乱そうとする妨害を防ぐのがPKOの目的である。したがって、PKOについて自衛権の考えを持ちこむのは、平和な状況の中での秩序維持について平和でない場合のルールを持ちこむのに等しく、適切でない。
もちろん、PKOでは武力行使が無制限に許されるのではない。各PKOに関する安保理決議を実行するのに必要な程度まで許されるということである。
 このようにPKOの場合と自衛権を行使する場合を明確に区別すれば、前述したPKOに日本国憲法の制約が及ばないことが一層明確になるであろう。PKOは国連の監視下にある平和な状況の中での行動であり、日本の部隊が武力を行使しても侵略などに発展することはありえない。
 以上、鍵となるのは、PKOを国連憲章2条4項の武力行使禁止の第3の例外とみなすことと、PKOは自衛権発動の事態とは基本的に異質な、平和な状況であることを認識することであり、私はこれらを肯定し、自衛権の発動でも、また日本国憲法で制限されている問題でもないPKO部隊は、国連決議の履行に必要な限りにおいて武力を行使できると考える。

2014.04.16

PKOと武力行使⑥


PKOでの自衛隊による武力行使について、日本政府が、「要員の生命などを防護する場合(A型)」は認められるが、「任務の遂行を実力で妨害する企てに対する抵抗の場合(B型)」は認められないとするのは国際的に稀有な例である。そのような立場を取る理由は日本の平和憲法にあるが、憲法を見てもそのような結論が簡単に導き出されるわけではない。憲法9条には「国際紛争を解決する手段としては武力行使を永久に放棄する」と規定されており、このこととPKOで武力行使ができないということとの間にはかなりの距離があり、それは解釈で補われている。

日本政府によれば次のように説明されている(官邸ホームページ「国際的な平和活動における武器使用」)
○ 憲法第9条第1項の「武力の行使」とは、基本的には、「国家の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為」をいい、関連法において「戦闘行為」とは、「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」をいう。
○ 憲法第9条第1項の「武力による威嚇」とは、「現実にはまだ武力を行使しないが、自国の主張、要求を入れなければ武力を行使するとの意思、態度を示すことにより、相手国を威嚇すること」をいう。
○ 「国際紛争」とは、「国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立している状態」をいう。

この定義に立てば、日本でないA国とB国の間の紛争において日本は武力を行使できず、また、A国内で政府と反乱軍の間で生じている紛争にも日本は武力行使できないという結論になる。憲法9条1項の「国際紛争」とは世界中のすべての紛争のことだというのと同じことであろう。
これが法制局において吟味を重ねた結論であることは分かっている。だからというのではないが、ここで論じられている限りにおいてはもっともな結論であると私も考える。しかし、この解釈でPKOにおいて必要とされる行動について妥当な結論が得られるとは思わない。問題は、「国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立している状態」をどのように解するかであり、もし、PKOとして活動が継続している間に反乱軍が政府軍に攻撃してきた場合もこの定義に当てはまると考え、したがって憲法9条の言う「国際紛争」とみなすのは、平和な状態であるPKOを国際紛争とみなすことにならないか。PKOがPKOとして活動している限り、すなわち、国連がPKOの継続を困難と判断しない限り、攻撃や妨害があってもそれは全体として平和な状態の中の問題であり、PKO部隊にとってはそれに対し防御する、つまり、「任務の遂行を実力で妨害する企てに対し抵抗」しなければならないである。
さらに重要なことは、そのように我が国のPKO部隊が行動し、必要な武器を使って攻撃に対し防御したり、抵抗したりする場合、日本国憲法が厳しく定めている平和主義に悖る心配はまったくない。PKOは平和を維持するために活動しているからであり、かつ、そのことが国際的に承認されているからである。また、そうすることは日本の自衛隊を含め、PKOに参加しているすべての国の部隊にとって義務である。
このように考えると、日本政府の「国際紛争」とは「国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立している状態」とするのは憲法9条を拡大し過ぎているのではないかと思われる。少なくともPKOという、国連憲章も予想していなかったが現実の国際政治の中できわめて重要な国際的活動として認められているPKOに対する理解が不十分なのではないかと思われる。
根本的な問題は、PKOは「国際紛争」の存在を前提とすることが多い自衛権の発動でなく、国連憲章2条4項にしたがった措置として武力行使が認められるということである。和平が成立している状況下で武器使用に限定があるとすれば、それは国連決議のみである。
 政府は91年、国連平和維持活動(PKO)協力法の審議の際、「自己保存のための自然権的権利」という考えを編み出し、その上で、「隊員個人の生命・身体を守るための必要最小限の武器使用は、憲法の禁じる武力行使にはあたらない」という統一見解を示した。01年のPKO法改正では、「自己の管理下に入った者の生命、身体の防護」にも拡大した。これらの結論は妥当なもの(必要なことで十分でないが)であるが、やはり、自衛権の考えにとらわれているようである。

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