平和外交研究所

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2014.11.18

米国の中国観

(続き)
中国は米国と日本に対し、まったく異なる態度で接した。これに対し、オバマ大統領は中南海で歴史についての会話を楽しんだことを口にするなど米中関係の積極的な面を表に出していたが、中国にとって肝心の「中国は大国である」については、従来同様肯定せず、米国としては「中国がその地位にふさわしい責任あるふるまいをすることを期待する」という以上のことは言わなかった。
その後豪ブリスベンでのG20首脳会議に出席したオバマ大統領が11月15日、クイーンズランド大学で行なった講演は、オブラートに包まれていた米中の違いを浮き彫りにした。オバマ大統領は北京ではホスト役の習近平主席に面と向かって批判的なことを述べるのは差し控えたが、オーストラリアではそのような外交的配慮は必要でなく、持論を存分に展開したのである。
オバマ大統領の演説を貫く主張は、アジア太平洋地域の重視と民主的な政治と自由な経済に対する米国の信念である。そしてオバマはまずこの地域において「米国の持てるあらゆる力を駆使して関与を深める」としつつ同盟の重要性を強調し、日本を真っ先にあげた。また、民主主義は欧米に限られたものでないことを強調するなかでも日本、台湾、韓国という順番で成功例を指摘した。両方とも日本を重視していることを強調する意図を感じさせる言及であった。
オバマはアジア太平洋地域の脅威を論じた際には「領土、離島、岩礁などに関する紛争は国際的な対立を惹起する恐れがある」と指摘した上、「どの国も人々も安全で平和に暮らす権利がある。アジアの安全保障は影響力や強制や大国による小国のいじめに基づいてはならない。相互の安全保障、国際法と確立されている国際規範、および紛争の平和的解決原則に基づかなければならない」と論じた。これは日本が主張している「国際法に基づく解決」をさらにレベルアップしたものであり、中国に向けられ、中国の恣意的な行動をけん制していることは明らかであった。
オバマはさらに、「世界の唯一の超大国として」米国が特別の責任を有していることを論じた。中国を大国と認めていないことを間接的に示したのである。その上で、米国はすべての同盟国の主権、独立および安全保障に鉄のコミットメント(ironclad commitment)をしており、また、われわれは同盟諸国間の協力を拡大する考えである」と述べた。実に力強い発言であった。
さらに、オバマは中国を論じ、「平和で、繁栄し、安定し、かつ世界において責任ある役割を演じる中国を歓迎する」と述べ、また、中国は実際そうしていることも付言しつつ、「われわれは中国に、他の諸国と同じルールを尊重するよう促している。相違があればわれわれは今後も率直に発言していく」「中国との関係、その他の国との関係であれ、われわれの価値や理想をないがしろにするようなことではわれわれのためにならない(We do not benefit from a relationship with China or any other country in which we put our values and our ideals aside)」と言い切った。
さらにオバマは、香港での民主化要求デモに言及し、「香港の人々は普遍的な権利を求めて声をあげている。このアジアでも、世界のどこでも米国は自由で公正な選挙を支持している」「われわれは、タイでもそうしているが、民主的な統治(civilian rule)に早く戻るべきだと促している(注 誰が戻るべきだと言っているかは明示していなかったが、言わずとも明らかであろう)。われわれは集会の自由、言論の自由、プレスの自由、自由でオープンなインターネットを支持している」と断言した。これは北京の記者会見での発言に比べ何段階かレベルアップしたものであり、中国はもちろん注意深くフォローしていた。(続く)
2014.11.17

中国の対米、対日姿勢

北京でのAPEC、それに引き続くオバマ大統領の中国訪問、オーストラリアのブリスベンで開催されたG20首脳会議は日米中3国間の関係でも興味深い出来事となった。
APECは中国が大国であることを誇示する絶好の機会であり、開会式をオリンピック並ににぎにぎしく演出し、各国首脳に強iい印象を植え付けようとした。米国に対しては、清朝以来中国の権力機構の中枢である中南海にオバマ大統領を案内し、そこを舞台にオバマ大統領と個人的な親密さを醸し出す会話をし、中米両国は「新しい大国関係」を築いていくべきだと力説する演出を行なった。歴史を背景としたのは、列強の侵略を受けて弱体化した中国を共産党が立て直したということと、当時米国は中国を助けたということを強調する狙いがあったかもしれない。米国に、中米両国はともに大国であることを認めさせたいという願望は、人民日報に、オバマ大統領がいかにも習近平主席の言葉に全面的に賛成したかのような印象の記事を書かせるおまけまでついた。
一方、習近平主席は日本の安倍首相を冷たくあしらった。「仏頂面」とはまさに両首脳が握手した時の習近平の表情を言い、習近平主席として安倍首相との会見は何の面白味もない、興味もわかないことを強調しているようであった。両首脳の会談が実現する前から、日本側が日中首脳会談を熱望していたということがプレスによって広く流布されていた。事実はそのように一方的なものではなく、中国側としても日本との首脳会談を望んでいたと思われるが、日本が強く要望していたということを中国側は巧みに利用した。とくに、中国内部の反日派、反習近平派などに対して、「日本側がしつこく言ってくるので会ってやったのだ」というメッセージを送るのに習近平の仏頂面は役立ったのであろう。
さらに、中国の新聞ではないが、中国に近い多維新聞などは、岸田外相が11・7合意に関して「尖閣諸島について領有権問題は存在しないという日本政府の立場に変化はない」とか「11・7合意は国際法的拘束力がない」と日本で述べたことを大きく取り上げ、いかにも岸田外相が久しぶりの重要な日中合意を否定し始めているような印象の記事を書いている。これは中国の新聞ではないが、従来からの傾向にかんがみれば中国での見方をかなり忠実に反映している可能性がある。台湾の新聞も岸田外相の発言には注目して報道している。
日本を矮小化し、米国には熱意をもって接するのが中国の方針であるかのような印象があるのである。以上の描写には少なからず推測が混じっており、また、情報が偏っている危険がないではないが、すくなくとも一つの仮説として、今後そのような見方が間違っていないか、時間をかけ検討するに値する。(続く)

2014.11.14

集団的自衛権 行使は人道的措置に限って

11月9日付『朝日新聞』「私の視点」に掲載されたもの。

「過激派組織「イスラム国」に対して米国が8月~9月に行なった空爆は、多くの国は支持を表明し、特に9月22日のシリア空爆後の支持国の数は40カ国に上った。
武力行使を認める国連の安保理決議はなかったが、圧倒的な支持が得られた理由は、「イスラム国」の蛮行により現地の少数民族が迫害され、無辜のジャ―ナリスや法律家がむごたらしく殺害されるという人道問題を各国が重大視し、対応が必要と考えたからであろう。
米国は今回の空爆について、「国連憲章51条で定められた個別的自衛権と集団的自衛権に基づいて攻撃した」と主張している。イラクは「イスラム国」から武力攻撃を受けて危機的な状況に陥り、米国に空爆を要請したので集団的自衛権行使の要件を満たしているようである。そうであれば、国連の安保理決議がなくても武力行使は可能であり、安保理には事後的に報告すれば足りる。
ただ、集団的自衛権の行使が広く行なわれることについては不安を覚える。実際、米国や旧ソ連はこれまで、自国の戦争について都合よく集団的自衛権を解釈してきた。また、1991年に起こった湾岸戦争のように、いわゆる多国籍軍が出動する場合は集団的自衛権の主張ができることが多いかもしれないが、それは形式的な解釈であり、適切と言えない。
国連はたしかに不完全で、常任理事国の拒否権があるために期待に応じた働きができないことも事実だ。オバマ大統領が9月下旬に行なった国連総会での演説でも、そのことが苦渋に満ちた言葉で語られていた。
しかし、安保理は国連のかなめであり、米国といえども安保理を軽視したり無視しようとしたりはしていない。不完全であっても、米国にとって安保理は味方を増やすために必要な場だからである。もちろん、らちが明かない場合に米国がみずからの判断で動き出すこともあるが、安保理で自らの主張を展開し、懸命に支持票を数えている。やはり国際紛争は、安保理を中心に解決を図るべきである。
今回の「イスラム国」に対する空爆に際し、米国が人道的措置であることを強調したのは正しい方向に向かっている。これをさらに一歩進め、集団的自衛権の行使ははなはだしい人道的侵害を除去する場合に限るのがよいのではないか。人道法の概念も確立されつつある。それは、今後の安保法制の議論で日本の集団的自衛権の行使を考える上でも示唆に富むものである。」

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