平和外交研究所

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2015.07.28

(短評)ベトナムの対外姿勢

 ベトナムはフィリピンと並んで、中国による南シナ海での拡張的行動の影響を直接受けている。2014年の5月から7月にかけ、中国は西沙(パラセル)諸島沖で大型石油掘削装置を投入し、抗議するベトナム船と中国船が衝突を繰り返した。また、ベトナム国内でも中国に抗議するデモが一部暴徒化して死者が出るなど、両国は鋭く対立した。
 ベトナムにとって最大の対外問題は中国との関係であり、軍事的には劣勢にあるが、中国に対して弱みは見せない。かつて米国と戦っても負けることなく、ついには南ベトナムと米軍をインドシナ半島から追い払った敢闘精神は中国との関係でも衰えていない。 
 しかし、ベトナムは中国の隣国。歴史的に関係が深く、経済面でも中国と密接な関係にあり、ベトナムとしては中国と対立・衝突しても関係を破壊してはならないことをよく承知しているようである。
 最近、ベトナム共産党のグエン・フー・チョン書記長の活発な外交活動が注目された。
 2015年4月、同書記長は中国を訪問し、大歓迎を受けた。
 それから3カ月後の7月には米国を訪問した。政府の肩書はなく、共産党の書記長として米国に受け入れられたのであり、オバマ大統領はホワイトハウスの執務室、オーバル・ルームで同書記長と会見するなど厚遇した。
 ベトナムは近年経済改革(ドイモイ)を進め、日本などの投資先として注目されているが、現在でも共産党しか合法政党はなく、完全な一党独裁国である。しかし、グエン・フー・チョン書記長が米国から大歓迎を受けたことは、体制の違いは両国間でもはや決定的な障害でなくなったことを象徴している。
 米国は40年来継続してきたベトナムに対する武器禁輸を2014年に解除し、軍事援助を大幅に増加させている。グエン・フー・チョン書記長の訪米に先立つ6月には、カーター国防長官がハノイを訪問し、米越両国は防衛協力を強化すると宣言した。南シナ海における中国の行動は、米国とベトナムを接近させ、軍事協力も行なわせているのである。
 一方、ベトナムはしたたかである。ベトナムは「三つのノー」を外交の基本政策としている。「軍事関係を結ばないこと」「外国の軍事基地を認めないこと」「いかなる国とも同盟しないこと」である。この大きな枠組みの中で、中国とは対立しながらも良好な関係を維持し、米国からはかなりの軍事協力を引き出している。
 東南アジアでのプレゼンスを強化したいロシアとの間では、武器の購入を増加させ、資源開発について協力することを約している。それは中国が快く思わないことであるにもかかわらずである。しかし、戦略的拠点であるカムラン湾については、ロシアは利用したいが、すでに米軍に利用させているベトナムは首を縦に振らないらしい(5月7日の本HP「南シナ海でのロシアと中国の不一致」を参照願いたい)。
2015.07.24

(短評)中国によるガス田開発に関する政府発表

 7月22日、中国のガス田開発に関する日本政府の突然の発表は驚きであった。官房長官が述べている「中国が一方的に資源開発をすることは極めて遺憾だ」ということ、日本として開発の中止を強く求めていくこともわかるが、なぜ今そうしなければならないのか、わからない。
 日本政府は日中首脳会談実現の可能性を探っている。そのようなときに、このような発表をするのは役に立つだろうか。中国に対して主張すべきことを差し控えたり、遠慮する必要はないが、それは原則論。タイミングを計るのは重要なことである。外交でも日常生活でもタイミングを計りつつ発言する。それは主張の効果をより高めるためであり、そのようなことを考えずに行動すると「空気が読めない」ということになる。
 中国による一方的なガス田開発が深刻な問題であれば、首脳会談の場でこちらの考えを表明できるではないか。
 今回の政府発表は某紙の記事がきっかけであったとも言われているが、当たり前のことを主張するにも、あまりに単純な行動は禁物である。
2015.07.22

ギリシャ支援と政治変化

 ギリシャとユーロ圏諸国が財政・金融支援(第3次)について合意したのは喜ばしい。しかし、これでギリシャの危機が解決したのではなく、経済成長、財政、金融、対外債務の支払いなどをめぐる状況は依然として厳しく、さらなる支援が必要になるかもしれないと言われている。前途はまだまだ多難なようだ。
 そもそもギリシャの混乱は、欧州各国がリーマンショック以来の金融危機から脱しきれないでいた2010年1月、欧州委員会がギリシャの統計上の不備を指摘したことから始まった。それまでは、ギリシャの財政赤字はGDPの4%程度と発表されていたが、実際は13%近くに膨らみ、債務残高は国内総生産の113%にのぼっていた。要するに粉飾報告されていたのである。
 この問題が明るみに出た時の首相はゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ(全ギリシャ社会主義運、PASOKの党首)。2009年の総選挙で保守系の新民主主義党NDを破って政権について間もない時のことであった。NDは1970年代の初めに軍事政権が倒れて以来、PASOKと並んでギリシャの政治を担ってきた政党である。
 統計問題の指摘後、国債、株価が急落するなかでパパンドレウ首相は2010年4月、EU(ユーロ圏諸国)などに対し金融支援の要請に踏み切り、第1次および第2次支援策(それぞれ2010年5月、2011年7月)をまとめた。
 しかし、緊縮政策に起因する不景気、失業率の増大が引き続き、国債の償還満期の延期や利息の引き下げ、対外債務の減免などで対応しようとしたが混乱は収まらず、政治は不安定化し、パパンドレウは退陣した。
 2012年5月の総選挙ではNDが雪辱した。党首のアントニス・サマラスは組閣に取り掛かったが成功せず、1カ月後に再選挙となり、NDが再度第1党となった。今度はPASOKなどと連立政権樹立に成功したが、PASOKはもともとNDのライバル政党であり閣外協力にとどまったので、サマラス内閣にとっては基盤の弱い門出となった。
 
 アレクシス・チプラスが率いる急進左派連合(SYRIZA)はこのころすでにかなりの勢力となっており、2012年の選挙では第2党であった。サマラスが政権樹立に失敗した場面ではチプラスが大統領から組閣を要請されたこともあったが、実現には至らなかった。
 チプラスは学生時代から政治運動に関わってきた共産党員であり、チェ・ゲバラの崇拝者である。首相に就任する際にも伝統的なギリシャ正教式の宣誓式をしなかった。公式の場でもノーネクタイを貫いている。
 2015年1月の総選挙でSYRIZAが第1党となりチプラス政権が生まれ、EUなどとの再交渉に臨んだが、EU側の態度は硬く、あくまで緊縮案の受け入れをギリシャに迫った。チプラス首相は国民の意思を背後に再交渉に持ち込もうとし、各国の反対を押し切って7月5日に国民投票を行なった。その結果、緊縮案に対する反対は61.3%に上った。
 しかし、ユーロ各国はきびしい態度を崩さなかった。交渉が決裂すると債務不履行に陥り、ユーロ圏からの離脱を迫られるので筋金入りの左翼主義者であるチプラス首相としても譲歩せざるを得ず、7月13日、ユーロ圏首脳会議はほぼ当初案通りの内容の支援策につき合意した。

 これまでの経緯を振り返ると、いくつか注目される点がある。
 第1に、7月5日の国民投票であり、チプラス首相は国民投票で多くに国民が緊縮案に反対すれば再交渉は可能と本当に考えていたのか疑問が残る。表面的にはまさにそれが国民投票の目的であり、投票前にはチプラス自身、国民にノーの意思表示をするよう呼びかけていた。しかし、それまでのEUの厳しい姿勢にかんがみると、それは楽観的に過ぎる期待であり、再交渉はしょせん困難と判断すべきでなかったか。
 第2に、チプラス首相が飲まされた条件は従来から提示されていた緊縮策と同じであり、しかも、付加価値税の引き上げなどについては2日後の15日までに法制化することを条件とされるなど格段に厳しくなった面もあった。チプラスは債務の減免を獲得できるとギリシャにとって有利な面を強調しているが、合意全体を見ると、結局無条件降伏に近い敗北となったのではないか。
 第3に、従来からチプラスとSYRIZAを支持してきた低所得者層のなかでチプラスの大幅譲歩に幻滅し、今後は支持しなくなる人たちが出てくるのではないか。そうなれば、今後の政権運営は困難になる。
 第4に、1970年代からギリシャの政治を担ってきた左翼系のPASOKと保守系のNDに加え、厳しい内外の環境下でのしてきた急進的左派勢力であるSYRIZAも今後のギリシャ政治の新たな核となる印象もあったが、今回の結末を見るとSYRIZAにはたしてそのような力が備わっていくか疑問である。

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