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2015.08.19

安倍首相の70年談話をどう読むか

 安倍首相の戦後70年談話は8月14日、閣議決定の後発表されました。「植民地支配」「侵略」「反省」「おわび」などかねてから注目されていた重要語(「キーワード」とも言われます)はすべて談話の中に盛り込まれました。
 このうち、「植民地支配」と「反省」は、以前からとくに問題となっていませんでしたが、「侵略」については採用されるか不明でした。この言葉は、かつての日本の行為を描写するのに適切な言葉か議論があり、安倍首相自身も国会で「その定義は学問的にも国際的にも定まっていない」という見解を述べたことがありました。また、70年談話の参考とするため設置された「21世紀構想懇談会」の報告書は、「満州事変以後大陸への侵略」と本文で言いつつ、(注)で安倍首相の答弁と同趣旨のことを付記していました。
 一方、「おわび」については、同報告書はまったく触れず、盛り込むか否かは安倍首相の考え次第ということになっていました。

 重要語が盛り込まれたことは注目されますが、談話はどのように評価すべきでしょうか。談話が発表されてからわずかな時間しかたっていませんが、すでに多くの反響が内外から伝えられております。韓国の朴槿恵大統領は、「残念な部分が少なくない」と述べつつ、今後は「誠意ある行動」が必要と述べました。また中国は、「日本は侵略戦争と戦争責任を明確に説明し、被害国人民に誠実に謝罪するべきだ。この重大な原則的問題をごまかしてはならない」と論評しました。両国とも談話を称賛してはいませんが、抑制された反応であったことは外交上留意すべきでしょう。この談話により韓国や中国との関係が進むとは思えませんが、悪化させることはなかったと思われます。

 談話の内容については次の諸点が注目されます。
 一つは、歴史認識に関する言及は間接的な表現が多く、安倍首相の考えが明確に伝わってこず、首相の談話として訴える力が弱いことです。
 たとえば「侵略」ですが、安倍首相談話は「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。(中略)先の大戦への深い悔悟の念とともに、我が国は、そう誓いました。」と述べています。この言葉は、日本国憲法第9条の誓いに日本が行なった戦争について「悔悟している」ことを付け加えたものであり、「侵略」したか否かについては触れていません。
 談話は、続けて「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。(中略)こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」とも、また、「私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます」とも述べています。
 これらの言葉を整理してみると、日本の行なった戦争について「反省」「悔悟」「お詫び」していると表明する一方、「侵略」については直接言及せず、「行き詰まりを力によって打開しようとした」と述べているわけです。
 「侵略」については言及せず、「行き詰まりを力によって打開しようとした」という言葉には一定の歴史観が表れているようですが、そのことはさておいて、少なくとも、「侵略」について安倍首相が明確な表明をしなかったことは談話の大きな特徴であると思います。
 そして、「反省」「悔悟」「お詫び」についても、その主体は「歴代内閣」であり、「今後も、揺るぎないものであります」の中に安倍首相としての立場が含まれているように読めます。つまり、歴史認識に関する安倍首相の言葉は、一部の重要問題については間接的に語られ、「侵略」については語られていないのです。

 安倍首相が「侵略」についてどう思っているかは重要なことなので、談話発表後記者から質問が出され、安倍首相は、「中には侵略と評価される行為もあったと思います」「具体的にどのような行為が侵略に当たるか否かについては歴史家の議論に委ねるべきであると考えています」と答えました。これで安倍首相の考えは比較的明確になりましたが、談話で表明していないことを後の質疑応答で完全に補うことはできません。「侵略」について安倍首相は明確に考えを表明しなかったという事実は残ります。

 「お詫び」については、さらに、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べました。この言葉と「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。(中略)こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」とは、今後お詫びするのかしないのかについて、矛盾していると思わせる、あるいは誤解される可能性があります。
 子供たちの関係の言葉については、加害国として言うべきでないとする批判もありますが、それはさておいても、「お詫び」についてこのように理解困難な表現をしたことによって安倍首相談話はいっそう不明確になったと思います。
 
 「戦場の陰には、名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」という言及も歴史認識に関係して注目されました。この言葉は、いわゆる慰安婦となった人々のことを含んでおり、談話で言及したことはそれなりに評価すべきですが、日本が戦時下の女性の名誉と尊厳を傷つけた責任という大事なことについての安倍首相の考えは示されませんでした。安倍首相は女性を重視しているが、慰安婦問題については積極的でないという印象がそのまま残ったのではないでしょうか。

 一方、「寛容の心によって、(中略)和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての人々に、心から感謝の気持ちを表したいと思います」の言葉には、以上と違って力がこもっています。和解のために尽力してくれた国々、人々への感謝は安倍首相が常日頃重視していることであり、安倍首相がインドを訪問した際、東京裁判において敗戦国日本にも公平な姿勢で臨んだパール判事の親族にあらためて敬意を表したことにも同じ姿勢が見られました。安倍首相は、日本のために努力してくれた人のことを重視し、大切にしていることを談話でも語ったのです。

 以上、安倍首相は歴史認識の関係ではあまり熱が入らず、とくに日本の行為を厳しく見ることに消極的ですが、日本に耳触りのよいことを言ってくれる人は言葉を惜しまず称揚しているように思われます。
 しかし、日本を本当に強く、美しい国にするには、批判にも謙虚に耳を傾け、長所のみならず短所も含めて客観的に日本を見つめる姿勢が必要であり、辛口の人を敬遠したり、遠ざけたりすべきでないと考えます。

(THE PAGEに8月18日掲載)
2015.08.17

(短評)東京裁判の見直し

 自民党は東京裁判や連合国軍総司令部(GHQ)による占領政策などを検証するための党内機関を発足させると報道されている。
 
 大きく言って2つ問題がある。
 1つは、日本と旧連合国が戦争を法的に処理したサンフランシスコ平和条約に違反する恐れがあることだ。同条約において日本は東京裁判の結果を受け入れた。もし東京裁判に異を唱えれば、条約違反になる。
 日本には、同条約の内容にも、東京裁判にもさまざまな意見があり、中には認めないというのもあるが、この条約は日本が戦後国際社会に復帰するに際し国際社会と交わした約束であり、憲法と並んで日本国の在り方を定めた根本規範である。日本国としては憲法と同様順守しなければならない。不適切なことがあったと言って是正を要求できるものではない。
 条約は締約国がすべて同意すれば改正できるが、戦争を終了させたサンフランシスコ平和条約も改正できると考えるのは現実を知らない議論だ。法律の世界で確立された法理にかなっているか否かなど、残念ながら意味を持たない。この点は国内法と異なる。
 条約の改正に他の締約国はどうしても同意しないが、それでも日本として条約を守れないなら戦争を起こして無理やりに改正するしかない。これが現実である。このことを無視して、「法理にあっていないから要求するのは当然だ」というのはあまりにナイーブであり、かつ、国を誤る危険な主張だ。

第2に、東京裁判や占領政策を検証した結果、なにをするのか。東京裁判については、それを不当と考え、やり直しを要求できるかはすでに論じたとおり、できない。
占領政策については、米国に対し注文を付けることを考えるのか。これまたできない。

 要するに第1の問題も、第2も、戦争の結果を受け入れるか否かである。受け入れるに際して日本はさまざまな苦痛をこらえてきた。戦争裁判を現在の感覚で整理しなおし、考え直すのは、戦争の悲惨さ、非合理性を身をもって教えてくれた犠牲者に顔向けできないことではないか。
2015.08.12

そもそも「戦後70年談話」は必要なの?

談話とは何か

 安倍首相の戦後70年談話が14日に発表されることとなったと報道されています。6日には、有識者懇談会の報告が提出されましたが、どの程度参考にされるか不明です。
 「談話」とは首相や官房長官などの見解の表明であり、対象となる事柄はさまざまです。
 「談話」は、たとえば、「天皇皇后両陛下のパラオ共和国御訪問に関する内閣総理大臣談話」のように「談話」という言葉が出てくる場合(狭義の「談話」)と、メッセージ、声明、見舞い、祝辞、コメントなどを総称して「談話」と呼ばれる場合(広義の「談話」)があります。外務省の文書では両方が使われています。「談話」「メッセージ」「声明」は実質的には同じであり、重みに区別はありません。
 これら「談話」および類似の言葉を区別する基準は明確に決まっているわけではなく、文脈や慣用にしたがって使い分けられています。
 たとえば、「見舞い」や「祝辞」がそれぞれどのような場合に使われるかは自明であり、混同されることはまずありえないでしょうが、他の言葉については紛らわしい場合があります。
 とくに、「声明」と「談話(狭義)」の使い分けは明確でありません。しいて言えば、「声明」は「談話」より硬い感じがあります。2015年1月25日と2月1日にそれぞれ発表された湯川遥菜氏と後藤健二氏殺害の場合はともに「声明」でした。
 一方、英語では通常「談話」と「声明」は区別されておらず、ともにstatementです。前述の両陛下のパラオ御訪問に関する談話もstatementと訳されています。
 安倍首相は2013年12月26日、靖国神社へ参拝した直後に「談話」を発表し、なぜ参拝したかを説明しました。この英訳もstatementでした。

国会決議との違い

 国会も重要事項について決議を採択して立法府としての見解を表明することがあります。戦後50年に際しては、村山首相の談話が発表されたのが8月15日の終戦記念日。それに先立つ6月9日に、衆議院で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」が採択されました。これは「終戦50年決議」とも、また「不戦決議」とも呼ばれることがあります。また、これは厳密には衆議院の決議ですが、通常は「国会決議」と呼ばれています。参議院においてはこれに相当する決議はありませんでした。
 法的に言えば、予算、条約、首相の指名などのように憲法で「国会の議決」によることが明記されている場合を除き、「国会決議」というものはありません。すべて衆議院かあるいは参議院の決議です。内容が同じことであっても両院の別々の決議です。

 憲法などに想定されていない任意の事項に関する場合、すなわち「終戦50年決議」のような場合は、厳密に言えばすべて衆議院か参議院の議決なのです。
 しかし、「国会の場で行なわれた決議」という意味で「国会決議」と表現することは誤りでないとみなされており、政府の文書においても「国会決議」の表現が使われることがあります。
 戦後60周年の際には、やはり8月15日に小泉首相の談話が発表されるのに先立ち、衆議院で8月2日、「国連創設及びわが国の終戦・被爆60周年に当たり、更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議」が採択されました。これは「終戦60周年決議」と略称されています。
 「決議」と「議決」は文脈に応じて使い分けられますが、意味は同じです。また、「国会決議」は全会一致で採択されることが多いですが、「終戦50年決議」「60周年決議」のように多数決で採択された場合もあります。
 「国会決議」「衆議院決議」「参議院決議」の効果については、前述した予算、条約、首相の指名などのように憲法に定められている場合を除き法的には定められていませんが、その内容についてそれぞれ国会、衆議院、参議院が責任を負います。

閣議決定の意味

 村山談話も小泉談話も閣議決定されました。
 行政をつかさどる内閣はさまざまな問題について審議・決定します。その様式には「閣議決定」と「閣議了解」があり、「閣議決定」が正式かつ最高の決定です。
 「閣議了解」は、本来各省庁の主務大臣の権限に属することですが、とくに重要な問題について内閣の了承が求められた場合に行われることです。
 このほか、閣議では「閣議報告」「配布」「閣僚発言」など、さらに閣議に引き続き開かれる閣僚懇談会で「了承」されることもあります。いずれもそれなりに重要なことですが、内閣としての意思決定ではありません。
 首相談話の発表については、必要な手続き・要件は決まっておらず、首相の判断次第でできますが、村山談話も小泉談話も閣議決定されました。これにより両談話とも内閣全体で決定したこととなり、閣議決定されない首相個人限りの談話より一段と重くなりました。

70周年談話は必要か

 安倍首相はどのような内容の談話を出すのでしょうか。前例としては50周年の村山談話と60周年の小泉談話があります。そもそも70周年に談話を発表することは必要でありませんが、発表するからには有意義な談話になることを望みたく思います。中国、韓国、さらには米国なども新しい談話の内容に強い関心を寄せています。

(THE PAGEに8月11日掲載)

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