平和外交研究所

中国

2014.02.14

人民解放軍の出張規則など

2014年2月11日付の京華時报は、軍内の新規則について報道している。軍という大きな組織のなかの小さな部分に過ぎないが、人民解放軍について知られていることは少ないので紹介しておく。

○「軍の総後勤部(中央の総参謀部とならぶ部署で、いわゆるロジスティックスを担当)は、最近軍人の旅費に関する規定を改訂し、交通費、宿泊代、食費などに関する手当ての標準限度額を「調整」した」。調整とは、文脈からして下方調整、つまり減額のことかと思うが、疑義がないわけではない。
「軍人の出張は合理的な理由がなければならない」。当然だが、日本の役所でも同様の問題があるかもしれない。
「師団級以下の幹部(団職以下幹部)のホテルについては、標準部屋は2人用とし、シングルで1人とするか標準部屋にするかは調整可能とする(調整為住単間或標準間)。軍区級幹部については正副ともレギュラー・スウィートに調整する。義務兵などは(ただし原文は「義務兵和供給制学員」)は高速鉄道あるいは「動車組列車」を利用してよい」
「既定の限度を超える場合は超過分を各自が負担する。また、乱用の目的いかんにより罰金を追加される。また、状況に応じて、通報あるいは批判の対象とし、当該年度に得られる賞与から罰金を控除する」。
これらの規則が問題にしている行為の概要は見当がつくが、その詳細については不明確なところがある。このような細かい注意が必要なのは乱用の危険が実際にあるからであろう。習近平は政権成立直後からいわゆる「八項注意」として①調査・研究の改良、②会議活動の簡素化、③書類・説明の簡素化、④訪問活動の規範化、⑤警備業務の簡素化、⑥ニュース・報道の改善、⑦草稿発表の厳格化、⑧勤勉倹約の励行の8項目を指示ししており、今回の軍内の規則改訂もその一環であろう。

2014.02.13

茅于軾氏の講演

2月12日、キヤノングローバル戦略研究所で茅于軾氏の講演会があった。
茅于軾氏は、中国の著名な改革派経済学者であり、歯に衣着せず発言することで知られている。日本では、「中国の現状への最もラディカルな批判者」と評する人もいる。茅于軾氏は昨年春、自らのブログで「毛沢東をただの人間に戻そう」と題する長編の文章を発表し、中国の内外で波紋が広がった経緯もある。
今回の講演もひとことで言えば毛沢東批判であった。
「毛沢東は中華人民共和国の成立以来多数の人間を死なせており、餓死者も含めその数は4500万人ないし5000万に上る。国民党軍も多数殺害した。」
「戦争に負けた日本が繁栄し、戦争に勝ったはずの中国が貧しいままでいるのは毛沢東が間違っていたからである。中国の党政府は重要な事実を国民に知らせていない。」
「毛沢東による混乱が頂点に達したのが文化大革命である。約300万人もの死者が出た。」
「鄧小平は毛沢東と文革の過ちを正したが、1989年の天安門事件では過ちを犯した。」
「毛沢東は公平、造反、闘争、権力などを好む。公平自体は結構だが、それは指導者の自己満足になる。経済的に考えれば、効率を重視しなければならない。公平にこだわると経済効率を上げるのに障害となる。」
「現在の経済状況には多くの問題がある。不動産関係、金融関係などの問題は深刻である。高層の住宅を建てても空き家だらけだ。その比率は30~40%に上る。」
「現在成長率は7%台に落ちているが、9%くらいに戻すのは困難でない。しかし、それには経済改革を進めなければならない。」
「次の改革は急務である。第1に司法の独立。第2に、国有企業改革。現在の国有企業は企業でなく、政府の一部である。第3に、7人の政治局常務委員がすべてを決めるのでなく、国民の意思をもっと吸い上げるようにしなければならない。」

茅于軾氏の率直な発言に聴衆は強く印象付けられたようであり、「そのような発言をして中国内で問題にならないのか」という質問も出た。これに対し、茅于軾氏は、「発言はできる。しかし、大学の教授などは問題になるであろう。」という答えであった。ちなみに茅于軾氏は現在85歳であり、いわゆる長老である。現役の人たちには同氏のような自由はないだろう。

2014.02.05

江沢民派と胡錦涛・習近平の争い

2月4日の多維新聞は、習近平が力を入れている反腐敗運動の背景に中共政権内部、とくに胡錦涛と曾慶紅など江沢民派の間の権力闘争があることを、以前に報道されたことなどをまとめて紹介している。一部の内容については事実か否か疑問の余地もあるが、この種の問題については即断することなく時間をかけてフォローしていくべきものと思われる。

○前政治局常務委員の周永康はすでに死に体である。規律検査の第1号はその背後の大物、曾慶紅とその家族である(注 このことは昨日の「中国雑記」にも紹介した)。
○2007年、第17回党大会に際して、曾慶紅とその「政治仲間(政治朋友。注 江沢民であろう)」は、第1期の任期を終える胡錦涛は留任せず、曾慶紅に譲るべきだと主張したため、争いが生じた。
○曾慶紅は2002年の第16回党大会後、政治局常務委員と中央書記処書記の地位を利用し、胡錦涛に立てつき、指示を出すのを妨害した。胡錦涛はこれを問題視して曾慶紅を攻撃することにした。胡錦涛は曾慶紅の家族による汚職の事実を調べ上げ、党内で味方を増やして曾慶紅にその要求を諦めさせた。
○曾慶紅が要求を諦める代わりに出した条件は、賀国強と周永康を政治局常務委員に入れることであり、9人の常務委員のうち江沢民派は呉邦国、賈慶林、李長春、賀国強、周永康の5人となり多数を占めた。
○この結果胡錦涛・温家宝コンビは重要問題について政令が出せなくなり、国内では「胡温政令不出中南海」と揶揄された。
○胡錦涛が軍権をほんとうに掌握したのは第18回党大会近くになってからである。
○17回党大会では、江沢民派は薄熙来を常務委員にしたかったが、党内で支持が弱く実現しなかった。その代わりの妥協として習近平を認めた。江沢民や曾慶紅には、いずれ時が来れば習近平に迫って権力の明け渡しを要求する、場合によっては武力を行使してでもそれを実現しようという考えがあった。
○習近平は腐敗問題で曾慶紅や周永康をきびしく追及しており、三中全会で最高権力機関である「国家安全委員会」を設立したのも江沢民派の牙城であった「政法委員会」を徹底的に破壊するためである(注 胡錦涛もこの委員会を解体しようとしたと言われていた)。

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