平和外交研究所

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2014.06.07

セルビアの大洪水

バルカン半島では去る5月中旬、数日間降り続いた豪雨により大洪水が発生し、セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナがもっとも大きな被害をこうむった。セルビアの西北から東南へ向かってドナウ川が流れ、ベオグラードで西から流れてくるサバ川と合流する。洪水はこのサバ川を中心に発生し、オブレノヴァッツ市(首都ベオグラードの西方50キロくらい)などはほぼ全域が水没した。この一帯ではほとんどすべての町で道路その他のインフラ破壊などの二次被害が起こっている。
大規模な災害の程度を正確に表現するのは困難であるが、5月20日ごろの時点で避難を余儀なくされた人の数は3万人と推定され、約30万世帯が電気を使えなくなったそうである。
セルビアの大統領は「歴史上最大の被害」であったと述べている。被害総額は15~20億ユーロで、これは同国のGDPの約7%にあたり、さらに増加する見込みであると言われている。
しかしながら、この災害の状況は広く伝えられていない。日本でこのことを知っている人は今日(6月7日)の時点でもおそらくごくわずかであろう。日本だけでない。この災害についての報道は各国とも少なく、有名なセルビア人テニス・プレーヤーのジョコビッチが報道の少ないことを嘆いている。
報道が少ないのには理由がある。一つには、セルビアにとって歴史的な大災害であっても各国のメディアの基準では直ちに大きく報道するようなことでないからである。また、日本から見た場合バルカンは非常に遠い国であるという要因が加わる。地理的距離は南米などより近いが、心理的には非常に遠く、それだけ関心が薄いのである。
さらにセルビアにとって不幸なことに、5月中旬から6月にかけ、ウクライナ問題、中国艦艇の南シナ海での問題、さらにはアジア安保会議(シャングリラ対話)、G7、ノルマンディー上陸70周年記念など世界的な事件や行事が相次ぎ、メディアの関心がどうしてもそちらに向かいがちであった。
ともかく、この際セルビアやボスニア・ヘルツェゴビナなどでひどい災害が起こったことに注目していただくのは重要なことと思う。バルカンとそれ以外の地ではお互いに抱く関心の度合いが非常に不均衡である。心理的に日本から遠いと言ったが、セルビアには日本の武道や俳句を愛好する人たちが大勢おり、セルビア人は日本のことに強い関心を抱いている。このようなことも日本ではあまり知られていない。
東日本大震災に際して、セルビア政府は5千万ディナール(約4.5千万)の義捐金をセルビア赤十字経由で日本に提供し、これに民間からの義捐金を合わせるとセルビアからの義捐金は2億円近くに上った。誇り高いセルビア人は見返りを期待して行なったことでないが、我々日本人として忘れてはならないことではないか。
在京のセルビア大使館が開設しているホームページや、民間のサイトがセルビアに対する支援をよびかけている。アクセスしていただければ幸いである。

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2014.06.06

G7とロシア・中国

今年のG8は、ウクライナ情勢の関係でロシアを締め出し、急遽6月4日にブラッセルでG7として開催された経緯から明らかなように、ウクライナに関する討議が大きな部分を占めた。
サミットが終了した翌日である6日には、ノルマンディー上陸作戦70年記念式典が開かれるのでプーチン大統領も出席のため訪仏し、オランド仏大統領とはエリゼ―宮で、また、キャメロン英首相とはシャルル・ド・ゴール空港で会談した。両者からサミットの状況の説明を受け、ロシアに対する厳しい見方を伝えられたのであろう。プーチン大統領としては、ブラッセルのG7は愉快なことでなかっただろうが、記念式典では欧米諸国とともに戦勝国の大統領として参加したので違った気分だっただろう。また、オランド大統領がロシアを孤立させないよう努めたこともあり、プーチン大統領と各国の首脳は冷静に対応したようである。
記念式典は予定通り行われ、先月末選出されたばかりのポロシェンコ・ウクライナ大統領も出席したのでプーチン大統領と顔を合わせたはずである。両者の会談は予定されていなかったが、米英仏などの首脳がプーチン大統領に対し、ウクライナの安定化のため貢献するよう強く勧めた可能性がある。プーチン大統領は、訪仏前からウクライナ大統領選の結果を認めていた。
ウクライナが今後安定に向かうか、ロシアの出方が重要である。G7ではロシアに対し警戒を緩めず、さらなる制裁措置もありうることを議論していたが、ロシア軍は結局東ウクライナへ侵入せず国境付近から離れたので、緊張した雰囲気は遠ざかっている。ウクライナ情勢は大統領選の成功とロシアの静観により、ひと山越えた感がある。
ノルマンディー上陸作戦70年記念日とG7はまさに「昨日・今日」のことであり、そんなに早く和解するとは言えないとしても、10年前のノルマンディー上陸作戦記念式典はイラク戦争をめぐって対立したブッシュ米大統領とシラク仏大統領が和解するきっかけとなった。この故事を引用してロシアと欧米諸国の和解の可能性を論じる向きもあるようである。

G7では、中国の東シナ海および南シナ海での行動についても議論が行なわれた。コミュニケは中国を名指ししていないが、「我々は,普遍的に認められた国際法の原則に基づく海洋秩序を維持することの重要性を再確認する。我々は,国際法及び国際水域における管轄権に関して国際的に認められた原則と整合する形で,海賊,その他の海上犯罪に立ち向かうための国際的な協力に引き続き関与する。我々は,東シナ海及び南シナ海での緊張を深く懸念している。我々は,威嚇,強制又は力により領土又は海洋に関する権利を主張するためのいかなる者によるいかなる一方的な試みにも反対する。我々は,全ての当事者に対し,領土又は海洋に関する権利を国際法に従って明確にし,また主張することを求める。我々は,法的な紛争解決メカニズムを通じたものを含め,国際法に従って,紛争の平和的解決を追求する紛争当事者の権利を支持する。我々はまた,信頼醸成措置を支持する。我々は,国際法並びに国際民間航空機関(ICAO)の基準及び慣行に基づく,航行及び上空飛行の自由と併せ民間航空交通の効果的な管理の重要性についても強調する」と言明した。これは、数日前のシンガポールでの安倍首相およびヘーゲル米国防長官の発言とほぼ同様の内容であり、中国が激しく反発したものである。
一方、6月26日から8月1日の間に開催されるRIMPAC環太平洋合同演習に中国が初めて参加することが明らかになった。4隻の船で行くそうである。中国は2012年、主催国である米国から参加の招待を受け、2013年6月に中国の外相は受諾の意向を示していたが、シンガポールで日米と厳しく対立したにもかかわらず、参加を実現することになったのである。中国側でも一定のバランス感覚が働いているのを期待したい。この合同演習では日本から参加する海将がvice commander to the deputy commander of the Combined Task Forceとして補佐することになっており、参加する中国の海軍は当然日本の部隊とも協力関係に入る。
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2014.06.05

PKOと多国籍軍への参加

安保法制懇の報告後行なわれている与党協議では、「多国籍軍」と「平和維持部隊(PKO)」への日本の関与のあり方について新しい考えが検討されているそうである。PKOも複数の国の部隊が派遣されるので、その意味では「多国籍軍」と呼ぶことも可能であろうが、両者の間には明確な違いがあり、日本の関与のあり方を検討するためにはその違いを明確にしておく必要がある。
両者の最大の相違点は、PKOは和平の合意がすでに成立している場合に派遣されるが、「多国籍軍」は和平がまだ成立していない場合に行動することである。PKOは和平が成立していることを条件に派遣されるので、その性格は非常に明確であり、PKOとして認識され、扱われる。

1990年代の初め、ブトロス・ガリ国連事務総長は国連の機能として「平和の維持」とともに「平和の構築」を掲げた。前者は戦争や内戦はすでに終わっている場合のことであり、後者はそれがまだ成立していない場合である。両方ともに国連の任務としたかったが、「平和の構築」を「平和の維持」と同等に扱うのは時期尚早という感じが強かった。
しかし、国連は国際の平和と安定の維持が目的であり、そのために「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する」(国連憲章第39条)。この権限を基礎に、安保理の決議で「多国籍軍」に対してもお墨付きを与えている。旧ユーゴスラビア、イラク、リビアなどの場合がその具体例である。
しかし、PKOと「多国籍軍」の違いは明確であり、和平の成立については前述したが、さらに、部隊を率いる指揮のあり方も違っている。PKOの最高指揮権は国連事務総長にあり、後者の指揮はいずれかの国(の司令官)が行なう。PKOの場合も実際には各国の部隊を統括、指揮する司令官がいるが、それはあくまで国連事務総長の下にあり、その指図にしたがう。

日本が国連に協力し、これらの活動に参加することを検討する場合にもこのような違いは決定的に重要である。PKOへ参加する場合、日本の部隊が海外で武器を使用することについて、かつては非常に制限的に考え、他の国の部隊が行なうこともできないとしていた。日本国憲法(の解釈だが)が厳しく禁じていたと考えたからである。
しかし、PKOは国連も日本国憲法も想定していなかった事態であり、また、PKOでは和平の成立が前提であるので、任務を果たすために必要であれば武器の使用は認められるべきである。各PKOには国連決議があるのでそれを実行するのに必要な範囲内であることはもちろんであるが、それ以外には武器使用を制限すべきでない。国内で警察官が武器を使用するのは自衛のためやむをえない場合に限られると解されているが、それは国内のことであり、国際社会にはいろいろな状況とそれに応じた必要性があり、国連がそれらを勘案して決議を採択したからには、日本として日本の国内基準を国際的に適用したいと主張すべきでない。
また、PKOはそもそも和平の成立が前提であり、しかも国連事務総長の指揮下にあるので、日本国憲法が厳しく禁じている海外での侵略になることはありえない。

一方、「多国籍軍」の場合は、これら2つの条件・制約はない。もちろん「多国籍軍」でも単独の行動でなく、また、国連の決議がある。しかし、国際政治の現実によって左右されることがまったくないとは言えない状況にある。この点については異論もありうるが、日本としては慎重に考え、これには直接関与しないという立場を取ることは合理的であろう。
報道によれば、政府は「多国籍軍」への支援制限を緩和し、戦闘地域でも医療支援や物資輸送など一定行為を可能にするよう対処方針を変更する案が示されたそうだが、日本として「多国籍軍」には慎重に対処すべきであるということと、国連のお墨付きがあるということとのバランスをどこで取るべきか。すくなくとも、ここで述べたようなPKOとの区別ははっきりさせておいた上で決定すべきであろう。
日本はアフガニスタンでもイラクの場合でもすでに一定の後方支援を行なったが、それはPKOでの貢献があまりに少ないということから、「多国籍軍」の場合に逆に積極的に応じざるをえなかったのではないか。つまり、PKOという和平が成立している場合にあまりにも厳しい規律をみずからにかけてしまったので、「多国籍軍」に協力せざるをえなかったのではないか。
ともかく、PKOも「多国籍軍」も国連が成立した時には想定されていなかったことであるが、今や国連でもっとも重要な機能になっている。そうなったのは国際社会として必要だからである。厳格な平和主義に立つ憲法を持つ日本としては、「多国籍軍」については慎重に対処しつつ、理論的にまったく問題がないPKOには各国と同等の条件で参加すべきである。

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