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2014.07.03

流転した故宮博物館の宝物

6月28日、NHKスペシャル は「流転の至宝」を放映した。故宮所蔵の宝物のことである。これがいかに素晴らしいものであるか、何回も聞いたことがあるが、今回はこれまでとは少し異なる角度から興味を覚えた。中国人がその優れた文化財を大切にし、また、それが中国のイメージを改善する力を持つことを認識していたことである。
1935年11月から100日間、ロンドンで中国芸術国際展覧会が開かれ、故宮の文化財735点が披露された。その2年前、日本軍は満州から山海関を越え華北に侵入し、国民党政府は日本軍と共産党軍に挟まれるようになっていた。1935年、日本政府はいわゆる廣田三原則を掲げ、国民党政府に共産党軍を掃討するよう圧力を強め、軍部はますます強気になり「北シナ政権を絶対服従に導く」と鼻息を荒くしていた。一方共産党軍は、抗日救国の8・1宣言を発し、いわゆる長征を敢行して長期戦に入った。
この大変な状況のなかで大量の文化財をロンドンに運ぶ余力がどこにあったのか不思議なくらいであるが、ともかく英国の軍艦「サフォーク号」が展示物を運んだ。英国はこれと相前後して、中華民国が幣制改革を行ない銀本位制・通貨管理制を導入するのを支援していた。
中国芸術国際展覧会を訪れたイギリス人は42万人にものぼり、英国では宋の時代の皇帝のファッションなどが流行したそうである。ロンドン大学のアントニー・ベスト博士は、この展覧会は日本と戦う中国政府の「文化的プロパガンダ」戦略があったと分析している。この展覧会は中国美術コレクターの呼びかけが始まりだったが、蒋介石たちは英国政府に両国主催の展覧会にすることを求め実現した経緯があった。
一方、日本は、満州事変を調査したリットン卿が展覧会に関わっていることを知って危機感を募らせたが、展覧会は予定通り開かれ、中国側の目論見は成果をあげ、日中戦争になった際には中国を支持する人が増えていた印象であるとベスト博士は見ている。
 時代はさかのぼるが、故宮博物院が正式に設立されたのは辛亥革命から13年後の1925年である。清朝末期には文化財が外国に流出しており、国民党政権は成立当初から危機感を抱いていた。日本軍が山海関を越え華北に侵入した翌年の1934年、国民党政府は故宮の文物を5つに分け、約2万箱を上海など南部に運んだ。その準備は1931年の満州事変後すでに開始していたと言う。
 1937年、盧溝橋事件が勃発すると上海から南京に移していた文物を、さらに南路、中路、北路の3つのルートで奥地へ避難させた。南路で運ばれた80箱の文物は、ほとんどが「中国芸術国際展覧会」に出展した逸品であり、武漢を経由して長沙、貴陽、安順の各地を経て四川省巴県に運んだ。中路で運んだ9,331箱は、漢口、宜昌、重慶、宜賓を経由し、最後に四川省の楽山安谷郷に安置した。北路経由の文物は7,287箱あり、津浦鉄道に沿って徐州まで北上し、隴海鉄道で宝鶏まで運んだ後、漢中と成都を経て、四川省の峨眉に運んだ。北京に残されていた文物も、後に南京経由で重慶からさらに奥地に運び、四川省南渓に安置した。
 1948年秋、内戦で国民党軍が劣勢に立つと、政府は文物を台湾へ移すことを決定し、同年末から3回に分け、約2千箱を移送した。量的には上海へ移したものの約2割であったと言う。これが台北の故宮博物院に展示された。
 故宮の文物が移送されるきっかけとなったのはいずれも国民党政権の命運を左右する大事件が起こったからであり、国民党政府は早め早めに手を打って移送したのであるが、保護し、輸送するのに必要な経費も人手も半端なものでなかったはずである。当時の国民党政権をめぐる政治状況にかんがみるとそれができたことは驚異である。これは少数の指導者が決定すればできることではない。中国人の間には自分たちで故宮の宝物を守らなければならないという強い思いがあったのでできたのであろう。
 故宮の宝物については国家体制の違いを越えた中国人らしさを感じる。大陸の中国人も台湾の中国人(とくにいわゆる外省人)も同じように優れた文化財を大切にする。宝物を珍重するだけでなく、それを他人に見せること、また、そうすることによって外国人の対中国イメージを改善できると考えている。そういう意味では、中国人はいわゆるソフト・パワーの力を昔から知っていたのかもしれない。

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2014.07.02

集団的自衛権に関する閣議決定ではイラク戦争参戦は避けがたい

政府は7月1日、集団的自衛権の行使を認める閣議決定をおこなった。
内容的にも手続き的にも多くの深刻な疑問や反対意見が出ていることを無視し、国会で圧倒的な多数を占めていることを背景に安倍内閣はこの閣議決定を強行したのは誠に遺憾である。今回の閣議決定はPKOに関する新しい方針など積極的に評価できることも含んでいるが、最大の問題の一つは次の点にある。

安倍首相の記者会見では「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。海外派兵は一般に許されないという従来からの原則も全く変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません。外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるという誤解があります。しかし、そのようなこともあり得ない。」と述べ、さらに「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」と言明した。
一方、閣議決定は「現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容される」と述べている。
記者会見での安倍首相の説明と閣議決定の文言は一見矛盾しないように見えるかもしれないが、重大な疑義がある。すなわち、閣議決定の示す「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」を判断するのは日本であるが、それは現実の国際政治、とくに日本が安全保障において米国に依存している日米安保体制の下では、米国から強く求められると断れないだろうと考えると現実には成り立たなくなる。
集団的自衛権の行使はできないという旧解釈の場合は、憲法上の理由で断れたが、それが可能となれば、日本政府の方針や(これからできる)法律ではことわれない、少なくとも憲法を理由とするよりもはるかに困難になる。断れば、では法律を変えればよいではないかということになる。

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2014.07.01

中国機の異常接近問題

THEPAGEに6月27日掲載されたもの。

「最近、中国のスホイ27型戦闘機が日本の自衛隊機に異常接近する事件が立て続けに発生しました。最初は5月24日、場所は東シナ海の日中中間線付近でした。中国機は自衛隊機から30~50メートルくらいの距離まで接近してきたので非常に危険な状態になりました。第2回目は、6月11日。場所は前回と同様東シナ海です。
日本側は、外交ルートを通じて中国側に対し、危険な行為について抗議するとともに不測の事態を回避するよう求めました。
 これに対し中国側は、中国機の方からではなく、日本の自衛隊機が接近してきたと主張しています。日本側では2回とも写真を撮っており、公表しました。中国側も第2回目の時は、現場で撮影したとする写真を公表しました。しかしながら静止写真でははたしてどちらから接近したか決め手にならないので、日本側では飛行中にビデオ撮影ができるよう準備を進めています。
中国機の異常接近の背景に、2013年11月、中国による「東シナ海防空識別区」の設定がありました。飛んでくる飛行機が無害であることを確かめるための識別圏設定は日本も含め国際的に広く行われていますが、中国が設定した識別圏はかなりの範囲にわたって日本の識別圏と重なっており、そうなると識別に混乱が生じ、また、民間の航空機に余計な負担をかける恐れがあります。しかも中国が設定した空域は,日本の領土である尖閣諸島の領空があたかも「中国の領空」であるかのごとき表示をしています。
日本政府は中国政府に強い懸念を表明し、その撤回を求めましたが、中国側は聞き入れない状態が続いていました。
艦艇同士の間でも問題が発生しています。2013年1月、同じ東シナ海海上で中国海軍の艦艇が海上自衛隊の護衛艦「ゆうだち」に搭載の哨戒ヘリコプターに向け射撃用のレーダーを照射する事件が起こりました。これは実弾の発射ではありませんが、狙いをつけるのに等しい危険な行為です。中国国防部はそのような事実はないと否定していますが、中国艦の艦長が独断で行なった可能性があります。
これらの事件は悪化している日中関係を反映しているものと思われます。2012年9月、日本政府は不要な摩擦を避けるため尖閣諸島を国有化したのに対し、中国側がこれを不服として反発しました。前述した事件はすべてそれ以降に発生しています。
しかし、日本との間だけでなく、中国は他国に対しても強硬な行動を取っています。2001年には中国の戦闘機が米軍機に接触して墜落し、パイロットが死亡するという事件が起きました。米国の艦船が中国の官憲から妨害を受ける事件も起きています。
中国はフィリピンやベトナムとも南シナ海における島嶼の帰属と資源の開発をめぐって対立しており、ベトナムに対しては軍艦を派遣しています。
中国は、かつて帝国主義の侵略を受けて海洋への進出が遅れたという認識の下に、海洋大国になる国家戦略をたてています。これが根本的な問題であり、中国は東シナ海や南シナ海などで、国際法違反になるおそれを顧みず、領土主張を強め、また資源確保のために大胆な行動を取っており、その結果近隣諸国と摩擦を起こしています。これに対し日本をはじめ各国は国際法にしたがって対処し、東アジアの平和維持と安定のため粘り強く中国を説得し、事態の拡大を防止し、鎮静化を図ることが必要です。」

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