平和外交研究所

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2019.06.15

香港での大規模抗議デモと「一国二制度」

 6月9日、香港で大規模な抗議運動が発生した。問題になったのは「中国に容疑者を引き渡す」ことを可能にする条例改正案である。現行令では引き渡さないと規定されている。

 改正案が成立すれば、デモに参加したことが罪に問われて中国に引き渡される恐れもあるとか、香港で暮らす外国人も中国本土に引き渡される危険が出てくるので海外から香港への投資が減り、ビジネスに悪影響が出るとか言われているが、最大の問題は、香港で保証されているはずの住民生活が中国の法律によって規制されることである。

 この問題を理解するには、香港が1997年に中国へ返還されて以来の経緯を見ておく必要がある、英国と中国が香港の返還を正式に発表したのは1984年12月19日付の両国共同声明(中国は趙紫陽首相、英国はサッチャー首相が署名)であったが、それに先立って鄧小平中国中央軍事委員会主席はサッチャー首相に「一国二制度、高度の自治、香港人による香港統治、現在の资本主义・生活方式は五十年間変えない」の原則を示しており、その文言は事実上そのまま共同声明(付則)にも記載された。関係の部分は次のとおりである(中国語版による)。

「中华人民共和国政府和大不列颠及北爱尔兰联合王国政府关于香港问题的联合声明
附件一:中华人民共和国政府对香港的基本方针政策的具体说明
一 中华人民共和国香港特别行政区基本法(以下简称《基本法》),规定香港特别行政区成立后不实行社会主义的制度和政策,保持香港原有的资本主义制度和生活方式,五十年不变。」

 しかし、中国は香港の中国化を進めた。中国と香港住民(形式的には香港政庁と住民)の間では甲論乙駁の状況もあったが、明らかな合意違反の事態が再三発生したので香港住民は強く反発した。
 これまで香港ではすでに3回、大規模な反対運動が起こっていた。
 
 1回目は2003年で、政庁は香港の分裂などにつながる動きを禁じる国家安全条例を制定しようとしたが、50万人規模のデモが発生し、撤回に追い込まれた。
 2回目は12年で、愛国心を育てる国民教育科の導入が問題となり、中高校生などの反対を受けて見送られた。2回とも中国の国家主席は胡錦濤であった。
 3回目は、2014年の「雨傘運動であり、中国の国家主席は強硬派の習近平に代わっていた。問題になったのは2017年に民主的な行政長官(政庁のトップ)選挙を行うことであったが、政庁は要求に応じなかった。

 そして今回、中国への犯罪人引渡し問題に関して大規模なデモが発生したのである。
 
 今後の展開については大きく言って二つのポイントがある。
 第1に、香港にとっての問題の深刻さである。中国への犯罪人引渡しは本来犯罪者をどのように扱うか、また、その人権をどのように守るかの問題であるが、中国との間では香港の住民全体にかかわる政治問題なのである。だから、今回の条例改正案について100万人以上という多数が参加するデモとなった。12日にはあくまで条例を改正しようとする立法会に市民ら数万人が押し寄せ、周辺の道路を占拠する事態に発展し、警官隊との衝突により数十人が負傷する事態になった。 

 立法会での条例改正審議はいったん延期されたが、中国政府の意向に従う香港政庁はあくまで審議を強行する構えである。そこで、香港の民主派団体などは16日にも改めて大規模なデモ行進を行う予定である。
その後事態がどのように発展するかは不透明であるが、香港政庁はあくまで条例改正に向け突っ走るのであろう。香港の民主化を求める住民の願望が取り入れられる可能性は、残念ながら低いのかもしれない。

 第2に、中国が香港における民主化要求を強く警戒するのは、中国自身に影響が及び、中国内の民主化を求める人たちを元気づける恐れがあるからである。さる6月4日、天安門事件30周年を中国政府が強く警戒したのも同じ懸念からであった。これは中国以外ではわかりにくいことだが、中国の指導者は共産党の一党独裁が崩れることを常時心配しており、今後も民主化を求める動きを厳しく統制していくだろう。

 香港はいわゆる「一国二制度」の実験場になっている。この原則は、歴史的事情から中国本土と異なる状況にある地域は、中国に統一されても異なる制度であり続けられるとして、統一に対する懸念を払しょくすることを目的としているが、香港の状況がこのようなことであれば、この原則は色あせてくる。「一国二制度」は、実質的には「中国化するため方策」になりつつある。

 そうであれば、台湾の統一問題にも影響が及ぶのは避けられない。中国の要人は台湾に対し、つねに「一国二制度」だと言っている。
 一方、台湾では、中国とかりに統一すればどうなるかを誰もが注視している。彼らにとって、「一国二制度」が本当に「異なる制度を認める」ということか、それとも「異なる地域を中国化するための方策」に過ぎないかは死活にかかわる問題である。

 中国にはそのような台湾人の心情を理解しようとする姿勢は見られない。習近平政権では、台湾の統一を実現するためには武力行使以外のあらゆる可能な手段を用いるというパワフルな姿勢ばかりが目立っている。

2019.06.13

メイ首相の辞任と英国のEU離脱問題

 英国のテリーザ・メアリー・メイ首相は6月7日、与党・保守党の党首を辞任した。次の党首兼首相が決まるのは7月末になる見通しだという。メイ首相は英国のEUからの離脱を実現しようとしたが、その道筋を確定できないまま在任3年で職を去ることとなった。

 英国のEU離脱の是非が問われた2016年の国民投票後に就任したメイ氏はもともと残留派だったが、首相に就任してからは離脱実現に積極的に努め、離脱強硬派と言われたこともあった。しかし、課題や戦略を詰めきれないままEUに離脱通知をし、2年間に限られた交渉期間のカウントダウンを始めた。もちろんあてもなく暴走したのではなかった。メイ首相はEU理事会と協定書案を作成し、これを受け入れるよう議会に承認を求めた。しかし、議会は協定案を3回否決し、結局メイ首相は辞任に追い込まれた。

 メイ首相の最大の失敗は、国内の政治基盤を強化してEUとの交渉を有利に進めるために、就任1年後に下院の解散総選挙に踏み切ったことであったと言われている。しかし、これは裏目に出て、与党・保守党が過半数割れとなり。親EU派議員が増え、離脱方針も穏健路線に転換する必要が出てきたのだが、メイ首相は党内の支持を失わないために強硬路線にこだわり、柔軟な交渉ができなくなったというのである。

 辞任が避けられない見通しとなった5月24日に行った演説でメイ首相は珍しく感情をあらわにし、「女性の首相としては2人目で、最後ではないはず。愛する国に仕える機会を得たことに感謝しながら職を辞する」と涙声で語った。

 メイ首相は去ることになったが、英国のEUからの離脱期限は(延長されて)10月31日になっている。メイ氏の後任には強硬離脱派のジョンソン前外相がすでに40人程度の議員の支持を確保し、トップを走っている。その他、ゴーブ環境相、ラーブ前離脱相、ハント外相、ジャビド内相らが候補となっている。新しい指導者が決まれば、改めてEU離脱の詰めが行われるわけである。

1.EUからの離脱派と残留派の主張の違いをまとめておく。適宜説明を加えておいた。

〇離脱派の主張

英国の主権回復 
 EU では政策領域ごとに加盟国とEU の権限分担が決まっている。政策領域によっては、EU が独占的に権限を持つ場合や、共通政策が望ましいと判断される場合 EU の権限が優先される。このため英国の活動はあまりにも制限されており、主権を回復する必要がある。

移民問題
 英国では 2004 年以降東欧諸国からの移民が急増した。この結果、国民の就労の機会が奪われている。

 移民は社会保障制度に「ただ乗り」しており、支出が膨らんで社会保障制度は疲弊している。

自由な貿易と企業活動
 通商協定を結ぶ際、 EU 加盟国は EU として一体的に交渉する必要があり、そのため加盟国はEU 全体の利益のために自国の利益を犠牲にしなくてはならない。

 離脱すれば、英国はEUの枠にとらわれず、アジアの成長著しい国々と通称協定を結ぶことができるようになる。しかし、メイ首相がEUと作った協定案では、英国はEU以外の国と関税及び貿易協定を結んではならないと書かれているので、これでは主権の回復にならない。

 EU にはあまりにも煩瑣な法律や規制があり、非効率である。

〇残留派の主張

経済への影響
 EUから離脱すると経済への悪影響は不可避となる。英財務省が2016年4月と6月の2度にわたり公表した報告書によれば、短期的(2年後)にはGDP(国内総生産)が3.6%~6%程度押し下げられ、ポンドは12%~15%下落し、52万~82万の失業者が発生すると予測されていた。さらに離脱決定から15年後には、GDPは5.4~9.5%縮小し、政府の年間税収は、最悪シナリオの場合、450億ポンド(約6.7兆円)減少すると推計されていた。

 各国の企業はEUの巨大市場をあてにして英国に投資する。外国企業は英国の離脱を見越してすでに英国から撤退し始めている。

2.北アイルランド問題
 北アイルランドはアイルランド島の北端に位置する人口187万人(2017年)の自治領であり、この地の特殊事情を知らない人にとっては英国の一地方でしかないだろうが、英国のEU離脱交渉を左右する最大の難問になっている。
 その根本原因は、この地においてはプロテスタントとカトリックがほぼ同数(今はわずかにプロテスタントが多い)であり、両者の間に激しい対立があることである。その状況は中世の宗教戦争にもたとえられるほどである。

 北アイルランドが1922年のアイルランド共和国独立(独立当時は「アイルランド自由国」)後も英国領として残ったのも、アイルランドのその他の地域と違ってプロテスタント(英国系)のほうがカトリックよりもやや多いからであった。
 それ以来北アイルランドの両派は激しく争い、とくに1968年からはテロ事件が多発するようになり、30年間、爆発事件はほぼ毎日、銃撃事件はその3倍も発生し、多数の犠牲者が出た。死者の総数は3千数百人、負傷者は4万2000人以上に上ったという。

 1998年、ようやくアイルランドが北アイルランドの領有権を放棄し、「ベルファスト合意」が成立して激しい対立は収まった。その背景にはEU統合が進み、ヒト、モノ、サービスの移動が自由になり、北アイルランドとアイルランド共和国を隔てる障害が少なくなったという事情があった。国境をまたぐ往来が自由になったのである。北アイルランド市民はアイルランド共和国と英国の両方のパスポートを保有できるようになった。英国とアイルランド共和国がEUに同時加盟したのは1973年であったが、当時はまだEU統合が進んでおらず、国境の意味が事実上なくなるまでには20数年間の時間が必要だったのである。

 しかるに、英国がEUから離脱すると、北アイルランド(英国領)とアイルランドとの国境は1998年以前の状況に戻り、自由に行き来できなくなる。そうなると北アイルランドは血なまぐさい対立に戻ると恐れられており、それだけは何としても避けなければならないと英国もアイルランド共和国も、さらにEUも考えている。

 そこでEUは、英国に対し、離脱しても厳格な国境に戻さないよう求めた。メイ首相とEUとの間で作成した協定案では、「英国とアイルランド両国間で決着がつくまで、当面この国境は封鎖しない。その代わりイギリスはEUに対して負担金を支払う」と記載された。離脱した英国に負担金を支払わせるのは酷に見えるかもしれないが、国境を封鎖しなければ英国は離脱後も北アイルランドを通じてEUと自由に交易できる。それは不当であり国境が開放されている限り負担金を支払うのは当然だとの考えであり、メイ首相もこの考えを受け入れたのであった。

 つまり、英国がEUから離脱しても、北アイルランドという特殊な地域を介在することにより、英国はEUに加盟しているときと事実上変わらない状況になるのであるが、これは離脱後20─44カ月の移行期間(離脱から20年末まで)中の対処案である。英国とEUはこの間に包括的な通商協定を結ぶ交渉を行い、それが達成されればその中で北アイルランドの国境問題も解決できると考えられている。

 しかし、包括的協定は本当にできるのか。できるとしてもその時期はいつか。これらの疑問に対して明快な回答はない。できないかもしれない。できなければ、移行期間中の暫定措置はいつまでも続くことになる恐れがある。そうなると形式的には離脱しても、実質的には離脱しないことになる。離脱派が問題にしているのはこのことである。

 一方、EUの懸念は、包括的通商協定が成立しない場合、北アイルランドの安全は確保されなくなるので、どうしても同地とアイルランド共和国の間の国境を現在の状態、つまり自由な国境にしておくために何らかの取り決めが必要だ、それがなければ結局北アイルランドはかつての恐ろしい状態に戻ってしまうという点にある。

 この取り決めがバックストップと呼ばれている。取り決めと言っても抽象的な考えであり、BBCはThe backstop is a position of last resort, to maintain a seamless border on the island of Ireland in the event that the UK leaves the EU without securing an all-encompassing deal.と説明している。

 具体的には、移行期間が終わった後も英国はEUの関税同盟内にとどまり、アイルランド国境は完全に開放しておくことが一つの案である。しかし、離脱派の立場からすれば、これは暫定措置と実質的には変わらない。英国は離脱後もEUの関税同盟のルールに無期限で縛られることになる。その影響は深刻であり、英国はEU以外の国や地域と独自に通商協定を結ぶことができず、英国の主権を取り戻すことはできない。協定案を呑めば英国は永遠にEUの植民地になると主張する者もいる。メイ首相の政権から強硬派の大量離反が起こったのはこの問題のためであった。

 英国とEUの間の矛盾を解くカギは北アイルランドにもありうる。宗教上の違いがあっても政治的に協力できれば問題は解決する。EUの関税同盟に残ることも可能となる。英国の離脱派もそのようなことは受け入れるかもしれない。

 しかし、現実の姿はそれにはほど遠いことが、2017年に実施された北アイルランド議会の選挙で示された。英国派とアイルランド派が獲得した議席はほぼ同数であり、相互の不信は根深く、新しい政府を樹立できなかったのである。北アイルランドは今も「無政府状態」にあると言われている。
これは本来好ましいことでないのはもちろんだ。英国政府は、北アイルランドが一定期間内に政府がつくれない場合、再選挙を行うか、英国が直接統治すると要求したこともあった。しかし、それでも問題は解決しなかった。そこで、英国政府は「何週間か、短い期間だけ延期して交渉を続ける」という措置をとったが、それもうまくいかなかった。

 そんなひどい状況ならば、北アイルランドは放棄してしまえばよいとう考えがあるかもしれないが、北アイルランドは英国と政治的に関係しあっており、北アイルランドの英国派政党(民主統一党 DUP)は地域政党であるが、英国議会で与党の多数維持に貢献している。北アイルランドの英国による直接統治はありうるが、北アイラランドを英国の主導で放棄することなどありえないのであろう。

 メイ首相が辞任した後、英国のEU離脱と北アイルランド問題がどのように展開するか。バックストップが必要であることについては一応の合意があるようだが、具体的な方策の決定はこれからである。その過程でブレグジットを(さらに)延期すること、あるいは英国とEUが包括的通商協定を結ぶこと、あるいは北アイルランドだけをEUの関税同盟に残すこと、などすでに議論されてきたことであるがあらためて問われるだろう。また、英国においては国民投票をやり直す考えが再浮上する可能性もあるようだ。状況はまだまだ不透明である。

2019.06.10

安倍首相のイラン訪問

安倍首相がイラン訪問します。米国とイランの仲介は可能でしょうか。一文をTHE PAGEに寄稿しました。
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